後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

インターネットで事業資金を集める方法、クラウドファンディングとは?

2018年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム
これは典型的なアメリカ文化の一例です。自分の一生の記録を書いた本を出版したい。自分の書いた油彩画の個展を開催したい。外国でボランティア活動をしたい。主婦の家事を助ける新しい台所用品を開発して発売したい。
どれもこれも事業の為のお金が入用です。先立つものはお金です。
そのお金をインターネットを利用して集める方法がクラウドファンディングです。これはアメリカでは日常的に使われています。
日本では2011年3月にReadyforという会社がこのサービスを開始しました。
現在国内No.1の規模のReadyfor社が集めた支援総額は、2011年1千万円だったものが2016年では30億円以上となっています。
5月29日掲載の記事、「葉田甲太氏、ボランティア活動をしている日本人を誇りに思う」の葉田甲太さんもこのReadyfor社のクラウドファンディングを利用してカンボジアに病院を作ったのです。

今日はこのクラウドファンディングの利用方法を、
https://readyfor.jp/crowdfunding から抜粋して簡略に説明したいと思います。
クラウドファンディング(CrowdFunding)とは、群衆(Crowd)と 資金調達(Funding)という
言葉を組み合わせた造語で、「自分の作って歌った曲をCDにしたい」「災害被害にあった図書館を復旧したい」など、
様々な理由でお金を必要としている人に対し、 共感した人が一口1,000円程度からインターネットを通じて出資し支援をする、
こうしたインターネット上で多数の人から資金を募る仕組みを言います。
過去にクラウドファンディングが実行されたプロジェクトは幅広く、築地を舞台にした映画作成、
地域活性のために高校生による商品開発、最新のIoTを使ったウェアラブル製作等から、
自身の自伝本の作成など、数多くのプロジェクトが存在します。
また、途上国支援や被災地支援なども多く実行されています。
プロジェクトを立ち上げる実行者自身も個人、団体、企業、自治体など様々です。

クラウドファンディングという言葉自体は比較的新しいですが、不特定多数の人々から資金を募り、何かを実現させるという手法自体は古くから存在していましたがインターネットの普及に伴い2000年代に米国で先駆的なウェブサイトが続々と開設され、市場が拡大してきました。
代表的なサービスにIndiegogo、Kickstarter等があり、特にアメリカやイギリスではクラウドファンディングは
資金集めの方法として一般的なものになりつつあります。日本では、2011年3月Readyforのサービス開始から、
現在まで複数のサービスが開設され、急速に広まっています。現在国内No.1の規模のReadyforが集めた支援総額は、
2011年1千万円だったものが2016年では30億円以上となっています。

その資金の募集方法は葉田甲太さんの次の寄付募集のページをご覧下さい。
「カンボジアの僻地に病院を建設し、8000人の命を守りたい!!」
https://readyfor.jp/projects/npoaozora
そこには寄付募集の趣旨が次のように書いてあります。
赤ちゃんの「命」を救い、泣いていたお母さんの「涙」を止めたい。
カンボジアの農村では都市部と比べると、伝統的産婆と呼ばれる医学的に教育を受けていない助産師が立ち合う出産が一部残るなど、乳児死亡率(出生1000人あたりの1歳未満死亡数)は高いままで改善されていません。乳児死亡率は都市部では「13」であるのに対して、農村部では「42」と3倍近くの開きがあります(*1)。お母さん・赤ちゃん2人の命を賭けた出産をより安全で確かなものにするため、高額な私立病院の受診や危険な出産をしなくても、安心して出産・外来受診が受けられる「場所」と出産時に赤ちゃんが亡くならないように「技術」を教えることを目的として病院建設を行います。

そして目標金額150万円に対して483万円集まったという報告もあります。
このような資金集めはまだ日本社会では広く知られていません。
しかしこのアメリカの方法もいずれ日本社会に普及すると思います。

写真は離島で総合診療医として働いていた頃の葉田甲太さんです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


最近の日本社会の変化(1)ボランティア文化の隆盛

2018年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前の昭和11年に生まれた私は戦前と戦後の日本社会の激変を体験してきました。しかしそんな昔のことを書いても仕方があろません。
そこで1990前後のソ連の崩壊の頃、そしてバブル経済の瓦解の時代から現在までの日本社会の変化について気楽な連載記事を書いてみたいと思います。どうぞお気軽に読み流して下さい。
最近、この欄で次の三つの記事を書きました。
(1)「世界の僻地で幸せに暮らし、その土になる日本人たち」2018年05月24日
(2)「北インドの僻地に住む日本女性、池田悦子さんの幸せな暮らし」2018年05月24日
(3)「葉田甲太氏、ボランティア活動をしている日本人を誇りに思う」2018年05月29日

この3つの記事の共通点は日本人が外国の僻地の発展に貢献するボランティア活動を描いたことにあります。
特に(1)は戦前の古い話ですのでその概略をもう一度書いてみます。
福島県安達郡玉井村の野内与吉さんが1917年ペルーに移民し、1923年にマチュピチュの麓のに定住しました。そしてそのにホテルなどを作りマチュピチ遺跡への観光拠点として発展させ、マチュピチ村の初代の村長になったのです。
野内与吉の次男のホセは1981年から1983年までマチュピチュ村の村長になり、その時、マチュピチ遺跡が世界遺産になるようにペルー政府に働きかけ、間もなく正式に世界遺産に認定されたのです。その後観光客が非常に増え、マチュピチュ村の生活が潤ったのです。こういう話でした。
これは(2)と(3)の池田悦子さんと葉田甲太さんのボランテュア活動と性質が違います。時代も違います。しかし外国の僻地の人々を助けるという崇高なボランティア精神は同じものでした。

この3つの記事を書き終えて、私は考え込みました。
何時から日本社会にボランティア文化がアメリカから導入され、どのように定着したのだろうかと考えたのです。
何時ものように雑に結論を書きます。
元来、アメリカにはボランティア文化があったのです。それが外国へ向けられたきっかけはケネディ大統領が創設した青年海外協力隊だったと私は認識しています。
日本の外務省も国家予算でJICA を組織し、青年達をアフリカなどの僻地の経済発展のために続々と送り出したのです。それに平行するように、日本の慈善団体も世界の僻地へ人材を送り出します。
このような活動と、1990年頃のバブル経済の瓦解以後の日本人の海外ボランティアの性質が非常に変化して来たというのが私の今日の主張なのです。これは私個人の感じ方ですので間違っているかも知れません。
1990年頃以前は外務省の官製ボランティア活動や、各種の慈善団体の社団法人やNPOが組織として資金を支援するボランティア活動だったのです。
それが1990年頃を境にして次第に組織に所属しない個人があくまでも個人の資格と責任によって外国の僻地で活動するようになったのです。
上に書いた池田悦子さんと葉田甲太さんのボランテュア活動は、あくまでも個人の資格と責任によって外国の僻地で活動しています。

何故、それが可能になったのでしょうか?
理由は活動の資金はインターネットで簡単に集めることが出来るからです。

インターネットにはクラウドファンデングという機能があります。不特定多数の人から資金を集める機能を持ったシステムです。
例えば葉田甲太さんは2018年1月にこのシステムを使って303人の寄付者から484万円の資金を集め、カンボジアでの病院建設に使いました。クラウドファンデングという機能は慈善事業だけでなく営利事業の資金集めにも使っている人が多いのです。
さて池田悦子さんはクラウドファンデングという機能は使わなかったようですが、インターネットを通じて資金を集めています。

このように日本人の海外ボランティア活動は組織に所属しない個人が、個人の責任と資格で自由に行う時代になったのです。
日本社会がますます個人の自由と責任を重視するアメリカ型の社会に変化してきたのです。
この海外ボランティア活動は日本国内のボランティア活動の隆盛がその基盤になっているのです。
例えば1995年(平成7年)の阪神・淡路島大震災の場合にはつぎのような個人的ボランティアの活躍があったのです。
・・・地震直後に現地において、被災者支援のボランティア活動に参加した人の数は1日平均2万人超、3か月間で延べ117万人ともいわれる。被災地でのボランティア活動(専門ボランティア・情報ボランティアを含む)の重要度に対する一般の認識も飛躍的に高まった。現地には行かずに被災負傷者のための献血・義捐金拠出・物資提供などの後方支援に携わった人々も含めると参加人数はさらに増えるものとみられる。
このために、この年は日本における「ボランティア元年」ともいわれる。後に、内閣は1月17日を「防災とボランティアの日」、17日を中心とした前後3日の計7日間を「防災とボランティア週間」と定めた。
この震災で、ボランティアに関わった人々の中には、精神的に大きなダメージを負ってしまった人も多かった。被災した人々のケアだけでなく、ボランティアの心のケアも、とても重要なことであることが明らかになった初めてのケースになった。・・・
(https://ja.wikipedia.org/wiki/阪神・淡路大震災#ボランティア活動 )

東日本大震災でも阪神を大幅に上回る多数の個人ボランティアが活動しましたが、その詳細は割愛します。
このようにして今や日本の社会にはボランティア文化が隆盛をきわめているのです。
この実態を理解しようとしない人もいます。戦前や戦後の日本にはボランティアなどいう言葉が無かったのです。当時の人々にとってはボランティア活動なと想像も出来ませんでした。ですから戦前、戦後に育った高齢者には日本におけるボランティア文化の隆盛が理解出来ないのも無理がありません。私もあまり深く理解出来ません。
理解出来なくても暖かい目で見てあげることが重要ではないでしょうか?

今日の挿し絵代わりの写真は昨日、都立薬草園で撮って来た花々の写真です。特に1番目の写真は熱帯に咲くヒスイカズラです。花の色が翡翠のように何とも言えない美しい色合いをしています。以下順にシナカンゾウ、ヨウシュイブキジャコウソウ(ワイルドタイム)、ヤエドクダミ、トウカンゾウです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)