自分でも不思議だと思うのですが、後期高齢者になり、特に80歳を過ぎると全てのことに感謝の気持ちが強く湧き上がって来るのです。
よく言われることですが、80歳以上生きることが出来るのは、神様の与えてくれたボーナスなのです。私もそれを実感しています。
そのように考えると全ての事に感謝の気持ちがごく自然に湧いてきます。
全てのことと書くと曖昧過ぎますので、幾つかの例で下にもう少し具体的に説明したいと思います。
(1)朝起きて気持ち良く息が出来ていると、嗚呼、今日も楽しく過ごせると思います。
そうすると健康で床から起き上がれることに猛然と感謝したくなります。天候、季節、自然など周りの全ての事に感謝の気持ちが湧きます。
(2)家内が元気で家の仕事を全てしてくることに大きな感謝を覚えます。特に自分の体が硬くなって庭仕事が出来なくなったので、家内が雑草を取ったり、花々を美しく咲かせています。感謝です。家内が庭の手入れをし、その上、家事の一切、私の外出に付き添ってくれることなど全てに感謝しています。
(3)もう旅立ってしまった親、叔父や叔母に感謝しています。兄弟姉妹にも感謝しています。
そして一緒に遊んでくれた幼馴染や小学校や中学校の友達の顔を思い出して感謝しています。高校と大学での友人たちへも感謝しています。その幾人かは旅立ってしまいました。感謝と哀惜の念にたえません。
(4)毎週、通っているリハビリ施設の若いスタッフ全員に感謝しています。彼等は後期高齢者に実に優しく話しかけいろいろな運動の指導をしてくれるのです。
後期高齢者ははっきり言えば見苦しいものです。それなのに若いスタッフは見る影も無い高齢者に触って指導してくれるのです。感謝せざるを得ません。感動もします。
(5)病院の医師や看護師に感動し、感謝しています。私は、そんなにしょっちゅう病院の世話になりませんが、2、3回は外科手術を受けたことがあります。
私は手術をしてくれる医師や看護師を徹底的に尊敬します。出会ったことは運命と思い彼等を尊敬し、一切を任せます。まな板の上の鯉の心境です。
私は永久に医師と看護師に深く感謝しています。
(6)私は毎日のようにインターネットの上に文章を書いています。毎日、1000人位の方々が私の文章をご覧になって下さいます。この読者の方々に感謝しています。会ったことも無い方々へ感謝出来るとは今迄想像も出来ませんでした。しかし後期高齢者になるとそれが自然に出来るから不思議です。特にコメントを送って下さる方は親しみを覚え感謝しています。
(7)スーパーの店員や病院の受付のスタッフが高齢者へ実に優しいのです。特に私は杖を突いて、トボトボ歩きます。すると道で会う若い人がすばやく道を空けてくれるのです。街角で会う人が皆優しくて親切なのです。自分が若い時は感謝を感じませんでしたが、後期高齢者になると優しい他人への感謝の気持ちが強く湧いて来るのです。
(8)私共は長くアメリカとドイツに住んでいたことがあります。そこで親身の世話になった外国の人々を忘れません。もうクリスマスカードも送りませんが時折思い出して感謝しています。外国に住んでしまうと、頼りになるのはその土地の人しかいません。人間の善意が信じられるようになりました。感謝しています。
(9)学校の恩師や学界で親切に私を指導して下さった先生方に感謝しています。特に他の大学の先生方でお世話になった方々へ感謝しています。
(10)私に洗礼を授けて下さった塚本金明神父さまへ感謝しています。そしてそれぞれ10年以上個人的にもお世話になったムニ神父さまと山本量太郎神父さまへ終生感謝しています。それから教会の歴代の主任神父さまへも感謝しています。いつも慈愛に満ちた態度で私共に接してくれるのです。感謝しています。
このように書いていると幾らでも書けます。しかし長くなるので、この辺で止めにします。
ここまで読んで下さった方々へ深く深く感謝します。
今日は皆様への感謝を込めて先日、神代植物公園で撮った薔薇の花の写真をお送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
よく言われることですが、80歳以上生きることが出来るのは、神様の与えてくれたボーナスなのです。私もそれを実感しています。
そのように考えると全ての事に感謝の気持ちがごく自然に湧いてきます。
全てのことと書くと曖昧過ぎますので、幾つかの例で下にもう少し具体的に説明したいと思います。
(1)朝起きて気持ち良く息が出来ていると、嗚呼、今日も楽しく過ごせると思います。
そうすると健康で床から起き上がれることに猛然と感謝したくなります。天候、季節、自然など周りの全ての事に感謝の気持ちが湧きます。
(2)家内が元気で家の仕事を全てしてくることに大きな感謝を覚えます。特に自分の体が硬くなって庭仕事が出来なくなったので、家内が雑草を取ったり、花々を美しく咲かせています。感謝です。家内が庭の手入れをし、その上、家事の一切、私の外出に付き添ってくれることなど全てに感謝しています。
(3)もう旅立ってしまった親、叔父や叔母に感謝しています。兄弟姉妹にも感謝しています。
そして一緒に遊んでくれた幼馴染や小学校や中学校の友達の顔を思い出して感謝しています。高校と大学での友人たちへも感謝しています。その幾人かは旅立ってしまいました。感謝と哀惜の念にたえません。
(4)毎週、通っているリハビリ施設の若いスタッフ全員に感謝しています。彼等は後期高齢者に実に優しく話しかけいろいろな運動の指導をしてくれるのです。
後期高齢者ははっきり言えば見苦しいものです。それなのに若いスタッフは見る影も無い高齢者に触って指導してくれるのです。感謝せざるを得ません。感動もします。
(5)病院の医師や看護師に感動し、感謝しています。私は、そんなにしょっちゅう病院の世話になりませんが、2、3回は外科手術を受けたことがあります。
私は手術をしてくれる医師や看護師を徹底的に尊敬します。出会ったことは運命と思い彼等を尊敬し、一切を任せます。まな板の上の鯉の心境です。
私は永久に医師と看護師に深く感謝しています。
(6)私は毎日のようにインターネットの上に文章を書いています。毎日、1000人位の方々が私の文章をご覧になって下さいます。この読者の方々に感謝しています。会ったことも無い方々へ感謝出来るとは今迄想像も出来ませんでした。しかし後期高齢者になるとそれが自然に出来るから不思議です。特にコメントを送って下さる方は親しみを覚え感謝しています。
(7)スーパーの店員や病院の受付のスタッフが高齢者へ実に優しいのです。特に私は杖を突いて、トボトボ歩きます。すると道で会う若い人がすばやく道を空けてくれるのです。街角で会う人が皆優しくて親切なのです。自分が若い時は感謝を感じませんでしたが、後期高齢者になると優しい他人への感謝の気持ちが強く湧いて来るのです。
(8)私共は長くアメリカとドイツに住んでいたことがあります。そこで親身の世話になった外国の人々を忘れません。もうクリスマスカードも送りませんが時折思い出して感謝しています。外国に住んでしまうと、頼りになるのはその土地の人しかいません。人間の善意が信じられるようになりました。感謝しています。
(9)学校の恩師や学界で親切に私を指導して下さった先生方に感謝しています。特に他の大学の先生方でお世話になった方々へ感謝しています。
(10)私に洗礼を授けて下さった塚本金明神父さまへ感謝しています。そしてそれぞれ10年以上個人的にもお世話になったムニ神父さまと山本量太郎神父さまへ終生感謝しています。それから教会の歴代の主任神父さまへも感謝しています。いつも慈愛に満ちた態度で私共に接してくれるのです。感謝しています。
このように書いていると幾らでも書けます。しかし長くなるので、この辺で止めにします。
ここまで読んで下さった方々へ深く深く感謝します。
今日は皆様への感謝を込めて先日、神代植物公園で撮った薔薇の花の写真をお送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)