後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国宝の仏像は日本が世界に誇れる宗教芸術

2018年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム
日本には世界に誇れる文化がいろいろあります。
そこで今日から、その具体的な例を上げて説明して行きたいと思います。
まず始めは国宝の仏像を取り上げたいと思います。
国宝の仏像は沢山ありますが、ここでは私の好きな7つの仏像の写真を示します。

1番目の写真は法隆寺の夢違(ゆめたがい)観音像です。像高87.9cmで、法隆寺の東院絵殿の本尊です。
悪い夢を良い夢に変えてくれる伝説からこの名前がつけられたそうです。
柔和な微笑み、衣紋が美しい薄い衣、丸みのある体、指先まで気を配ったしなやかさが相まって、「夢違」の名に相応しい美しさを持つ仏像です。
頭部の飾りをのぞいて、全身を1度に鋳出し鍍金をした蜜蝋鋳型による造形です。中国の初唐の影響が色濃く残る奈良前期の特色がある仏像です。説明は、https://art.iroiro.co/article/art/buddha/horyuji-yumetagaekannon/ から抜粋しました。

2番目の写真は奈良の新薬師寺の薬師如来と十二神将です。奈良時代建立の本堂の中に並び、薬師様を護る十二神将たちです。圧巻です。約1300年ものあいだ睨み付けている十二神将たちは天平塑像の傑作です。
なお新薬師寺の「新」は“あたらしい”ではなく“あらたかな”という意味の「新」です。
説明文は、http://blog.livedoor.jp/takenoji/archives/71037568.html から抜粋しました。

3番目の写真は鎌倉時代に活躍した仏師、運慶が彫った「木造不動明王立像」です。
 運慶の不動明王像など5体は1186年の作品で、卓抜した技量と写実的で力強い作風が評価されています。
詳しくは、https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2702K_X20C13A2000000/ をご覧下さい。

4番目の写真は快慶の文殊菩薩です。奈良の桜井市の安倍文殊院にあります。
獅子に乗り4人の脇侍を伴う渡海文殊で5像全てが国宝です。鎌倉時代・建仁3年(1203年)に快慶によって造立されました。
このお寺は大化の改新(645年)に創建された日本最古に属する寺院です。華厳宗東大寺の別格本山です。
運慶と快慶は、東大寺南大門の国宝「金剛力士像」の共作者として知られる。快慶の文殊菩薩像など4体は、東大寺大仏の再興事業に関連して1203~20年に制作されました。

5番目の写真は奈良の室生寺の国宝の金堂にある仏像達です。金堂須弥壇 左から十一面観音、文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩(この写真では見えない)の各像です。手前に立つのは十二神将像です。
詳しくは、https://gurutabi.gnavi.co.jp/p/p_3734/ をご覧下さい。

6番目の写真は奈良の興福寺の阿修羅像です。国宝で天平時代の作です。
「天平の美少年」と言われています。表情にあどけなさの残る阿修羅像は有名な国宝ですが、八部衆の一人です。詳しくは、https://allabout.co.jp/matome/cl000000004569/ をご覧下さい。

7番目の写真は大阪の天野山金剛寺の木造大日如来坐像・木造不動明王坐像・木造降三世明王坐像です。
下記の説明は、文化庁の解説、
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2017031002_besshi02.pdf … です。
「木造大日如来坐像 一軀 と木造不動降三世明王坐像 二軀 について」
【所有者】宗教法人天野山金剛寺(大阪府河内長野市天野町996) 【大きさ】像高 大日313.5㎝/不動201.7㎝/降三世230.1㎝。
3メートルを越える巨大な大日如来像を中尊とする三尊像である。中尊は金剛寺の草創 期である1180年前後の作で、この時代の大日如来像 を代表する作例と言える
光背・台座に弘法大師空海に由来する図像的な特色を示 す点でも注目されます。
不動・降三世明王は最近の保存修理で銘文が確認され,仏 師快慶の弟子,行快が天福2年(1234)に造ったことが判明しました。三尊としての構成は智証大師円珍が中国よりもたらしたとされる尊勝曼荼羅に依拠してり,この図像になる唯一の遺品としても貴重である。 保存修理に伴い,この度,初めて本格的な調査が実施された結果,この三尊像 がおよそ半世紀をかけて造られ,以後おおむねその状態をとどめて今日まで伝え られてきたこが分かりました。

さて話は飛びますが、1870年の頃、イギリス人のレイトナーという学者がインド西部のガンダーラで数多くの仏像を発掘してイギリスに持ち帰りました。それらの仏像の詳しい研究の結果、ガンダーラの仏像はギリシャの彫刻の影響を強く受けていることを証明したのです。
仏像はインドで生まれ、ガンダーラでギリシャ彫刻の影響を受け、それが中国へ伝ったのです。その中国から日本へと伝承されたのです。
そして日本独自の仏像も沢山作られたのです。特に国宝の仏像は日本独自のもので世界に誇れる宗教芸術と私は信じています。
仏像のそんな悠久の歴史を想うと気持ちが広くなります。

尚つぎの記事にも国宝の5つの美しい仏像の写真が出ています。
「多種多様な仏像のある日本の仏教の多神教性」(2018年07月06日の掲載記事)
1番目の写真は京都の広隆寺の木造弥勒菩薩半跏思惟像です。国宝です。
2番目の写真は奈良の大仏です。お釈迦さまではありません。盧舎那仏です。
3番目の写真は奈良・東大寺戒壇院の四天王立像です。奈良時代の塑像の最高傑作といわれる。
4番目の写真は京都の教王護国寺の帝釈天の像です。もとはヒンズー教の神でした。
5番目の写真は京都の三十三間堂の千手観音です。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、正式名称を蓮華王院本堂と言います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)



美しい色彩を楽しむための写真を撮って来ました

2018年07月09日 | 写真
今日は高島屋に行きました。デパートで感心するところは四季折々の婦人服売り場です。季節の色が多彩に取り合わせて飾ってあるのです。
デパートに行くと、そんな色彩の取り合わせを眺めて楽しんでいます。
今日、撮って来た写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。









タイ洞窟の少年4人救出を見て感動す

2018年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム
6月23日に、タイ北部チェンライ郊外で、サッカーチームの少年ら12人と男性コーチ(25)が国立公園内のタムルアン洞窟探検に行って、洞窟内に閉じ込められました。
昨夜、この13人のうち4人が16日ぶりに救出されたのです。私は深く感動しました。

1番目の写真は昨夜、救出した小年を病院へ運ぶ救急車の写真です。
これで全員を救出す可能性が確かになったのです。
しかしこの救出にはいろいろな事があったのです。
日本の新聞では個人名は無視する傾向にありますが、外国のマスコミは個人を尊重しその名前を明記します。
そこで今日は外国での報道ぶりをご紹介します。
7月6日には、救出に参加していた元、タイ海軍の特殊部隊の隊員だった潜水専門家が亡くなりました。亡くなったのはボランティアのサマン・クナン氏(38)です。洞窟内の子どもたちに酸素のタンクを運ぶ仕事をして戻る途中、帰らぬ人となったのです。
ご冥福をお祈りします。

それ以前の7月2日に、洞窟の入り口から約5キロの岩場に少年らがいるのを英国人ダイバーらが発見したのです。13人全員の無事が確認されたニュースには感動し嬉しくなりました。そこでそれに関する記事をお送りします。

『タイ不明少年ら、発見者は英ダイバー 世界の洞窟で救助経験』
【7月4日 AFP】、ttp://www.afpbb.com/articles/-/3181098
タイ北部チェンライ(Chiang Rai)県で、大雨により洞窟に閉じ込められていた少年サッカーチームの捜索活動では、世界中の困難な救助活動に挑んできた2人の英国人ボランティアダイバーが、少年らの発見に貢献した。
 英国から捜索活動に参加したのは、普段は消防士として働くリチャード・スタントン(Richard Stanton)さんと、ITエンジニアのジョン・ボランセン(John Volanthen)さん。2人は、行方不明になってから9日が経過していた少年12人とコーチ1人を見つけるため、水位が上がった洞窟の長く曲がりくねった通路を進み続けた。

 捜索隊にはさらに、もう1人の英国人、ロバート・ハーパー(Robert Harper)さんに加え、タイなど世界各国の専門家らが参加していた。英国のボランティア救助団体「英洞窟レスキュー協会(BCRC)」のビル・ホワイトハウス(Bill Whitehouse)さんによると、その中でもスタントンさんとボランセンさんは捜索隊の「最前線」に立っていたという。
 救助隊と短い会話を交わしたというホワイトハウスさんは英BBC放送に対し、2人が「最後の区間を潜り、行方不明の一行が高台にいた空間にたどり着いた」と説明。「上流に向け潜っていたため、水流に逆らって泳いだり、壁に沿って自分の体を引っ張ったりする必要があった」と述べた。実際の潜水区間は約1.5キロだが、うち半分ほどが完全に水に浸かっており、総潜水時間は約3時間だったという。

「やらなければならない仕事がある」
 イングランド南西部ブリストル(Bristol)在住でITエンジニアのボランセンさんと、同中部コベントリー(Coventry)在住の消防隊員であるスタントンさんは、過去にも難易度の高い潜水活動に参加してきた。
 50代半ばのスタントンさんは2012年、エリザベス女王(Queen Elizabeth II)から大英帝国勲章第5位のメンバー章(MBE)を受け取った際、地元紙に対し、自身の最大の功績はメキシコの洞窟に閉じ込められた英兵6人の救出活動に協力したことだと回想。洞窟潜水を始めたのは18歳の時、テレビのドキュメンタリー番組を見たのがきっかけで、当初はただの「趣味」だったという。
 一方、40代とされているボランセンさんは2013年、サンデー・タイムズ(Sunday Times)に対し、洞窟潜水に必要なのは冷静さであり、「パニックとアドレナリンは特定の状況では有効だが、洞窟潜水ではそうではない」と話していた。
 タイ入りした2人はメディア取材を避けており、ボランセンさんは現場に到着した際に記者団に対し、「やらなければならない仕事がある」とだけ語った。(c)AFP

さてタイ王国は日本と非常に違う文化を持っています。そこで簡単に日本と違う点を3つだけご紹介します。
(1)現在は軍事政権独裁ですが、その上にラーマ10世という王様が君臨しています。
現在は軍事政権独裁ですが、現在でもチャクリー王朝の王様のいる王国です。国王の権限が大きく、不敬罪のある社会なのです。
この王朝は1782年(タイ仏暦2325年)に成立したのです。現在の王様は初代から数えて10代目のラーマ10世です。

(2)西暦でなく佛暦を用いている上座部仏教国です。
上座部仏教はまたの名前をテラワーダ仏教とも言います。英語で書くと Theravada Buddhism となります。南伝仏教徒やパーリ仏教とも言います。

2番目の写真はTheravada仏教の僧侶達の写真です。上座部仏教では仏像はお釈迦さまの像です。日本のように観音像や薬師像や大日如来像なのようにいろいろありません。
この王国は 仏教を大切にしている文字通りの仏教国なので、お釈迦様が入滅した翌年の西暦の紀元前543年を仏滅紀元元年としている仏歴を日常生活に使っています。
ちなみに私は1936年生まれですから、これに543年を加えた仏歴の2479年に生まれたことになります。
現在のタイの人々はこの仏歴が身についていて西洋の西暦へ換算するのが難しい人々が多いそうです。

(3)タイでは全員がある期間、出家します。
出家するためには普通20歳以上でそれまで悪いことをしていないことが大切なのです。
出家の目的はお釈迦さまの教えを修行を通してより深く理解するためです。
出家の期間はいろいろですが、大体3ケ月くらいと言われています。それを済ませると一人前の大人と見なされます。
ですからタイの社会では出家は成人への通過儀礼として行われるとも考えられます。
しかしその一方で、自分の精神力を強めたり、社会性をつけたいなどの目的もあります。
基本的には出家で功徳を積み親や先祖の恩に報いるということが基本になっています。

写真で出家した少年達や若者の托鉢の風景をご紹介したいと思います。

3番目の写真は少年僧の托鉢です。道端に座って食べ物を寄進している女の敬虔な表情にご注目下さい。

4番目の写真は青年僧の托鉢です。左に普通の中年夫婦が籠いっぱいに食べ物を入れて僧侶一人一人へ寄進しています。右側には屋台を出して何か食べ物を売っている人も写っています。托鉢僧は商売ものには近づきません。タイの街角の日常の風景です。

5番目の写真は托鉢を終えた青年僧が列を作って帰る姿です。その表情に深い宗教的な静かさが宿っていることにご注目下さい。托鉢は釈迦に帰依する心を強める祈りなのです。写真に写っている僧達は皆普通の人なのです。ある期間だけ出家しているのです。

さて人間の思わぬ悲劇は、その国の文化や政治に関係無く起きます。今回の洞窟で起きた悲劇はタイが仏教国だということとは全く関係がありません。
しかしこの際にタイ王国の文化を少しばかりご紹介いたしました。

今日は、全員が無事救出されるようにお祈りします。救出隊にも怪我や犠牲が起きないようにお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)