日本には世界に誇れる文化がいろいろあります。
そこで今日から、その具体的な例を上げて説明して行きたいと思います。
まず始めは国宝の仏像を取り上げたいと思います。
国宝の仏像は沢山ありますが、ここでは私の好きな7つの仏像の写真を示します。
1番目の写真は法隆寺の夢違(ゆめたがい)観音像です。像高87.9cmで、法隆寺の東院絵殿の本尊です。
悪い夢を良い夢に変えてくれる伝説からこの名前がつけられたそうです。
柔和な微笑み、衣紋が美しい薄い衣、丸みのある体、指先まで気を配ったしなやかさが相まって、「夢違」の名に相応しい美しさを持つ仏像です。
頭部の飾りをのぞいて、全身を1度に鋳出し鍍金をした蜜蝋鋳型による造形です。中国の初唐の影響が色濃く残る奈良前期の特色がある仏像です。説明は、https://art.iroiro.co/article/art/buddha/horyuji-yumetagaekannon/ から抜粋しました。
2番目の写真は奈良の新薬師寺の薬師如来と十二神将です。奈良時代建立の本堂の中に並び、薬師様を護る十二神将たちです。圧巻です。約1300年ものあいだ睨み付けている十二神将たちは天平塑像の傑作です。
なお新薬師寺の「新」は“あたらしい”ではなく“あらたかな”という意味の「新」です。
説明文は、http://blog.livedoor.jp/takenoji/archives/71037568.html から抜粋しました。
3番目の写真は鎌倉時代に活躍した仏師、運慶が彫った「木造不動明王立像」です。
運慶の不動明王像など5体は1186年の作品で、卓抜した技量と写実的で力強い作風が評価されています。
詳しくは、https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2702K_X20C13A2000000/ をご覧下さい。
4番目の写真は快慶の文殊菩薩です。奈良の桜井市の安倍文殊院にあります。
獅子に乗り4人の脇侍を伴う渡海文殊で5像全てが国宝です。鎌倉時代・建仁3年(1203年)に快慶によって造立されました。
このお寺は大化の改新(645年)に創建された日本最古に属する寺院です。華厳宗東大寺の別格本山です。
運慶と快慶は、東大寺南大門の国宝「金剛力士像」の共作者として知られる。快慶の文殊菩薩像など4体は、東大寺大仏の再興事業に関連して1203~20年に制作されました。
5番目の写真は奈良の室生寺の国宝の金堂にある仏像達です。金堂須弥壇 左から十一面観音、文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩(この写真では見えない)の各像です。手前に立つのは十二神将像です。
詳しくは、https://gurutabi.gnavi.co.jp/p/p_3734/ をご覧下さい。
6番目の写真は奈良の興福寺の阿修羅像です。国宝で天平時代の作です。
「天平の美少年」と言われています。表情にあどけなさの残る阿修羅像は有名な国宝ですが、八部衆の一人です。詳しくは、https://allabout.co.jp/matome/cl000000004569/ をご覧下さい。
7番目の写真は大阪の天野山金剛寺の木造大日如来坐像・木造不動明王坐像・木造降三世明王坐像です。
下記の説明は、文化庁の解説、
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2017031002_besshi02.pdf … です。
「木造大日如来坐像 一軀 と木造不動降三世明王坐像 二軀 について」
【所有者】宗教法人天野山金剛寺(大阪府河内長野市天野町996) 【大きさ】像高 大日313.5㎝/不動201.7㎝/降三世230.1㎝。
3メートルを越える巨大な大日如来像を中尊とする三尊像である。中尊は金剛寺の草創 期である1180年前後の作で、この時代の大日如来像 を代表する作例と言える
光背・台座に弘法大師空海に由来する図像的な特色を示 す点でも注目されます。
不動・降三世明王は最近の保存修理で銘文が確認され,仏 師快慶の弟子,行快が天福2年(1234)に造ったことが判明しました。三尊としての構成は智証大師円珍が中国よりもたらしたとされる尊勝曼荼羅に依拠してり,この図像になる唯一の遺品としても貴重である。 保存修理に伴い,この度,初めて本格的な調査が実施された結果,この三尊像 がおよそ半世紀をかけて造られ,以後おおむねその状態をとどめて今日まで伝え られてきたこが分かりました。
さて話は飛びますが、1870年の頃、イギリス人のレイトナーという学者がインド西部のガンダーラで数多くの仏像を発掘してイギリスに持ち帰りました。それらの仏像の詳しい研究の結果、ガンダーラの仏像はギリシャの彫刻の影響を強く受けていることを証明したのです。
仏像はインドで生まれ、ガンダーラでギリシャ彫刻の影響を受け、それが中国へ伝ったのです。その中国から日本へと伝承されたのです。
そして日本独自の仏像も沢山作られたのです。特に国宝の仏像は日本独自のもので世界に誇れる宗教芸術と私は信じています。
仏像のそんな悠久の歴史を想うと気持ちが広くなります。
尚つぎの記事にも国宝の5つの美しい仏像の写真が出ています。
「多種多様な仏像のある日本の仏教の多神教性」(2018年07月06日の掲載記事)
1番目の写真は京都の広隆寺の木造弥勒菩薩半跏思惟像です。国宝です。
2番目の写真は奈良の大仏です。お釈迦さまではありません。盧舎那仏です。
3番目の写真は奈良・東大寺戒壇院の四天王立像です。奈良時代の塑像の最高傑作といわれる。
4番目の写真は京都の教王護国寺の帝釈天の像です。もとはヒンズー教の神でした。
5番目の写真は京都の三十三間堂の千手観音です。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、正式名称を蓮華王院本堂と言います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
そこで今日から、その具体的な例を上げて説明して行きたいと思います。
まず始めは国宝の仏像を取り上げたいと思います。
国宝の仏像は沢山ありますが、ここでは私の好きな7つの仏像の写真を示します。
1番目の写真は法隆寺の夢違(ゆめたがい)観音像です。像高87.9cmで、法隆寺の東院絵殿の本尊です。
悪い夢を良い夢に変えてくれる伝説からこの名前がつけられたそうです。
柔和な微笑み、衣紋が美しい薄い衣、丸みのある体、指先まで気を配ったしなやかさが相まって、「夢違」の名に相応しい美しさを持つ仏像です。
頭部の飾りをのぞいて、全身を1度に鋳出し鍍金をした蜜蝋鋳型による造形です。中国の初唐の影響が色濃く残る奈良前期の特色がある仏像です。説明は、https://art.iroiro.co/article/art/buddha/horyuji-yumetagaekannon/ から抜粋しました。
2番目の写真は奈良の新薬師寺の薬師如来と十二神将です。奈良時代建立の本堂の中に並び、薬師様を護る十二神将たちです。圧巻です。約1300年ものあいだ睨み付けている十二神将たちは天平塑像の傑作です。
なお新薬師寺の「新」は“あたらしい”ではなく“あらたかな”という意味の「新」です。
説明文は、http://blog.livedoor.jp/takenoji/archives/71037568.html から抜粋しました。
3番目の写真は鎌倉時代に活躍した仏師、運慶が彫った「木造不動明王立像」です。
運慶の不動明王像など5体は1186年の作品で、卓抜した技量と写実的で力強い作風が評価されています。
詳しくは、https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2702K_X20C13A2000000/ をご覧下さい。
4番目の写真は快慶の文殊菩薩です。奈良の桜井市の安倍文殊院にあります。
獅子に乗り4人の脇侍を伴う渡海文殊で5像全てが国宝です。鎌倉時代・建仁3年(1203年)に快慶によって造立されました。
このお寺は大化の改新(645年)に創建された日本最古に属する寺院です。華厳宗東大寺の別格本山です。
運慶と快慶は、東大寺南大門の国宝「金剛力士像」の共作者として知られる。快慶の文殊菩薩像など4体は、東大寺大仏の再興事業に関連して1203~20年に制作されました。
5番目の写真は奈良の室生寺の国宝の金堂にある仏像達です。金堂須弥壇 左から十一面観音、文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩(この写真では見えない)の各像です。手前に立つのは十二神将像です。
詳しくは、https://gurutabi.gnavi.co.jp/p/p_3734/ をご覧下さい。
6番目の写真は奈良の興福寺の阿修羅像です。国宝で天平時代の作です。
「天平の美少年」と言われています。表情にあどけなさの残る阿修羅像は有名な国宝ですが、八部衆の一人です。詳しくは、https://allabout.co.jp/matome/cl000000004569/ をご覧下さい。
7番目の写真は大阪の天野山金剛寺の木造大日如来坐像・木造不動明王坐像・木造降三世明王坐像です。
下記の説明は、文化庁の解説、
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2017031002_besshi02.pdf … です。
「木造大日如来坐像 一軀 と木造不動降三世明王坐像 二軀 について」
【所有者】宗教法人天野山金剛寺(大阪府河内長野市天野町996) 【大きさ】像高 大日313.5㎝/不動201.7㎝/降三世230.1㎝。
3メートルを越える巨大な大日如来像を中尊とする三尊像である。中尊は金剛寺の草創 期である1180年前後の作で、この時代の大日如来像 を代表する作例と言える
光背・台座に弘法大師空海に由来する図像的な特色を示 す点でも注目されます。
不動・降三世明王は最近の保存修理で銘文が確認され,仏 師快慶の弟子,行快が天福2年(1234)に造ったことが判明しました。三尊としての構成は智証大師円珍が中国よりもたらしたとされる尊勝曼荼羅に依拠してり,この図像になる唯一の遺品としても貴重である。 保存修理に伴い,この度,初めて本格的な調査が実施された結果,この三尊像 がおよそ半世紀をかけて造られ,以後おおむねその状態をとどめて今日まで伝え られてきたこが分かりました。
さて話は飛びますが、1870年の頃、イギリス人のレイトナーという学者がインド西部のガンダーラで数多くの仏像を発掘してイギリスに持ち帰りました。それらの仏像の詳しい研究の結果、ガンダーラの仏像はギリシャの彫刻の影響を強く受けていることを証明したのです。
仏像はインドで生まれ、ガンダーラでギリシャ彫刻の影響を受け、それが中国へ伝ったのです。その中国から日本へと伝承されたのです。
そして日本独自の仏像も沢山作られたのです。特に国宝の仏像は日本独自のもので世界に誇れる宗教芸術と私は信じています。
仏像のそんな悠久の歴史を想うと気持ちが広くなります。
尚つぎの記事にも国宝の5つの美しい仏像の写真が出ています。
「多種多様な仏像のある日本の仏教の多神教性」(2018年07月06日の掲載記事)
1番目の写真は京都の広隆寺の木造弥勒菩薩半跏思惟像です。国宝です。
2番目の写真は奈良の大仏です。お釈迦さまではありません。盧舎那仏です。
3番目の写真は奈良・東大寺戒壇院の四天王立像です。奈良時代の塑像の最高傑作といわれる。
4番目の写真は京都の教王護国寺の帝釈天の像です。もとはヒンズー教の神でした。
5番目の写真は京都の三十三間堂の千手観音です。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、正式名称を蓮華王院本堂と言います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)