後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「あなたは亡くなった家族とどのように交流していますか?」

2020年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
自分を大切にし愛してくれた父母も亡くなります。親切に可愛いがってくれた祖父母も亡くなってしまいました。不運にも若い夫婦でも死別することもあります。あなたは亡くなった家族とどのように交流していますか?
多くの人は写真をかざってその写真に時々話しかけます。盆やお彼岸に墓参りに行って墓に眠っている懐かしい家族と話し交流します。亡くなった家族はあの世に居るのです。あの世で永遠に生きているのです。
私は家内の実家の墓参りに必ず行きます。家内が亡くなった父母や祖父母と交流して幸せそうにします。そんな姿を見ると自分も心の中で亡くなった私の父母や祖父母と交流します。ですから私は墓参りが楽しいのです。墓参りが好きです。
私の祖父はお寺の住職でした。祖父の死後、叔父が住職になりました。お寺では亡くなった人と此の世の人の交流を助ける行事をいろいろします。お経を毎日あげるのは檀家の亡くなった人を供養するためです。そしてお釈迦さまと交流するのです。
亡くなった人々と交流する行事に灯篭流しもあります。
今日は九州のある佛教会の行っている灯篭流しと長崎の精霊流しをご紹介いたします。
夏になると、あちこちで灯篭流しがおこなわれます。夏の暗い川面にほのかに光る灯篭を流します。故人の冥福を祈ります。楽しかった思い出を懐かしみます。祖父母、両親、親族、恩人や友人との別れの悲しさが癒されます。
そんな灯篭流しの一つに九州の延岡市の延岡仏教会が主催する五ヶ瀬川の『流れ灌頂(かんじょう)』があります。今年はコロナで中止しましたが、以前の写真をお送りいたします。

1,2、3番目の写真の出典は、https://nobekan.jp/season/summer/%E6%B5%81%E3%82%8C%E7%81%8C%E9%A0%82%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89/ 
 です。



『流れ灌頂』は、毎年8月18日に延岡市仏教会が主催となり、延岡市に江戸時代から伝わる夏の宗教行事です。もともとは水害や水難事故の犠牲者の霊を供養するために始まったと言われています。近年は水害も無くなったので亡くなった全ての人を供養するための灯篭流しになりました。
川面を照らしながら流れていく灯篭の姿は幻想的で、人たちはゆっくりゆっくり流れていく灯篭に手を合わせながら故人の冥福を祈り、先祖の霊と交流します。亡き祖父母や両親のことを思い出します。幼友達のことも思い出します。
暗い川に浮かんだ灯篭がゆっくりと流れて行きます。だんだん小さくなってしまいには暗い川下に消えて行きます。

灯篭流しと言えば似たものに長崎の精霊流しもあります。
この長崎の精霊流しでは精霊船を町中を賑やかに引いて行って、海に流すのです。海の向こうにある浄土に亡くなった人の精霊を送り、冥福を祈ります。今年はコロナのため無観客で行われました。以前の精霊流しの写真を示します。

4番目の写真は長崎大学医学部の精霊船の写真です。新型コロナウイルス感染防止のため、今年の精霊流しは無観客でした。 毎年8月15日に行われる精霊流しは、遺族が故人の霊を弔うために精霊船を海に送りだします。出典は、http://blog.livedoor.jp/naika2staff/archives/3492201.html です。

5番目の写真は賑やかに送るもう一つの精霊船の写真です。出典は、http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/print.aspx?id=20080815000441 です。
その動画は、https://www.youtube.com/watch?v=_zW-sFin_nQ です。

長崎の精霊流しと灯篭流しは非常に違います。灯篭流しはあくまでも静寂を守ります。一方長崎の精霊送りは船を送るとき爆竹を鳴らします。威勢の良い掛け声をかけます。騒々しく陽気に死者を送るのです。その陽気さの中に深い悲しみがひそんでいるのです。
その深い悲しみを美しく歌いあげたのが さだまさしの「精霊流し」という歌謡曲です。

さだまさし「精霊流し」、https://www.youtube.com/watch?v=cx_tm60Yc24


去年のあなたの想い出が
テープレコーダーからこぼれています
あなたのためにお友達も
集まってくれました

二人でこさえたおそろいの
浴衣も今夜は一人で着ます
線香花火が見えますか 
空の上から

約束通りにあなたの愛した
レコードも一緒に流しましょう
そしてあなたの舟のあとを
ついてゆきましょう

私の小さな弟が
何も知らずにはしゃぎまわって
精霊流しが華やかに
始まるのです

以下省略します。
この歌は若くして亡くなってしまった恋人か、あるいは妻か夫を偲んだものと一般的には理解されています。
残された者の深い悲しみがせつせつと唄われています。
是非、https://www.youtube.com/watch?v=cx_tm60Yc24 の動画で若かった頃のさだまさしの歌をお聞きになって下さい。
この歌を恋人か、あるいは妻か夫を偲んだものと理解しても良いと思います。
しかし、歌詞の設定は恋人同士でも、婚約者でも、新婚でもないそうです。

この悲しい歌が私の耳に焼き付いています。焼き付いて何十年にもなりますが、毎年夏になると長崎の精霊流しや灯篭流しを思い出します。
今日は九州のある佛教会の行っている灯篭流しと長崎の精霊流しをご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
========参考資料=============
さだまさし「精霊流し」の出来たいきさつ。

歌詞の設定は恋人同士でも、婚約者でも、新婚でもないそうです。
さだまさし、いとこの兼人さん、その母親の三人が登場人物です。母親は「おばさん」と呼んでいます。
もともと、まさしの両親一家とおばさん一家は中国に住んでいて日本に帰ってきたそうです。
帰国後、おばさんは離婚して、ジャズ喫茶「椎の実」をひらいたそうです。兼人さんはそのおばさんの息子だったのです。
さだまさしは兼人君と仲が良かったようです。その兼人君が海でヨットのオールを流され、それを拾うために海に飛び込んだのです。しかし兼人君は海から二度と帰って来なかったそうです
息子がおばさんより先に死んでしまったのです。

そして年があけて次の年の夏に、兼人さんの初盆を迎えます。
さだまさしの故郷の長崎では、お盆行事として「精霊流し」が行われます。
この歌は、「精霊流し」の時に、さだまさしが、兼人君を偲び、おばさんとの思い出をつづった歌だそうです。
おばさんの着物が浅黄色なのは、長崎の風習に従って息子の新盆に着る着物の色だそうです。

あの頃あなたがつま弾いた
ギターを私が弾いてみました
いつのまにさびついた糸で
くすり指を切りました

あなたの愛した母さんの
今夜の着物は浅黄色
わずかの間に年老いて
寂しそうです

約束通りにあなたの嫌いな
涙は見せずに過ごしましょう
そして黙って舟のあとを
ついてゆきましょう