後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「受恩刻石、恩を受けしは石に刻むべし」

2020年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム
なかなか実行出来ないことですが、懸情流水 受恩刻石という教えがあります。
「 情を懸けしは、水に流し、恩を受けしは、石に刻むべし」と読むそうです。短縮して刻石流水の四文字熟語もよく使われているようです。
そこで今日は「恩を受けしは、石に刻むべし」の教えに従って東日本大震災を支援した国々の恩を石に刻むような思いでお送りいたします。東日本大震災は2011年3月11日に起きました。
この東日本大震災は1000年に一度という大地震と大津波でした。その上福島原発が4基も爆発したのです。
死者、行方不明者は2万人といわれ東北、関東地方の太平洋岸の市町村は津波で跡形もなく流されてしまったのです。
これに対して世界各国から多額の暖かい支援が送られ、多数のボランティアが来たのです。この支援の詳細は末尾の「参考資料、世界の191ケ国からの支援」に掲載してあります。

今日はアメリカ軍による「ともだち作戦」という迅速な救援、支援活動をご紹介したいと思います。
3月11日の大津波は仙台空港をも襲い壊滅します。その滑走路の瓦礫を取り除き、たった5日間で、再び大型輸送機が着陸出来るようにしたのはアメリカ軍と自衛隊の共同作業でした。特に沖縄から来た海兵隊は大活躍したようです。
そして横田基地から救援物資を満載した輸送機が着陸したのです。これにより東北地方の救援物資の輸送が迅速に流れだしたのです。まだ空港の外には瓦礫がある中を、米軍輸送機が土煙を上げて着陸する姿を見て、仙台出身の私の胸が熱くなりました。

1番目の写真は土煙をあげて着陸している米軍輸送機の様子です。
2011年3月12日以後の新聞にはアメリカ軍の大規模で、多岐にわたる救援活動が毎日のように報道されています。この作業をアメリカ軍は「ともだち作戦」という名前をつけて大規模に展開したのです。
2011年4月1日の読売新聞一面には、「日米、不明者を一斉捜索」と題した記事が出ていました。米海軍と海上自衛隊と海上保安庁の艦艇が一斉に三陸沖、仙台湾、福島沖に展開し海上に流れ出た生存者や遺体の発見に努力したのです。
特に三陸沖にある空母・ロナルド・レーガンからはヘリ20機を飛ばして海上の捜索に当たるのです。艦艇は15隻ていどが展開し、捜索にあたります。

2番目の写真はこの空母・ロナルド・レーガンの写真です。

3番目の写真は空母ロナルド・レーガンから捜索のために飛び立とうとしている軍用ヘリです。

その他に2011年4月1日の読売新聞の28ページ全面を使って、「『日本の力に』眠らぬ艦船、」と題した記事では米軍の救援活動の全てを紹介しています。特に普天間基地の海兵隊の港の瓦礫撤去や水・食料の輸送が感動的に書いてあります。強襲揚陸艦エセックスやトーテュガの活躍が報告されています。

4番目の写真はの写真は空母ロナルド・レーガンの上でヘリコプターに救援物資を積み込んでいる写真です。

5番目の写真は駿河湾を通過して被災地に向かうアメリカ軍の駆逐艦です。

大地震発生から3月28日までの米軍の活動は出動艦艇19隻、航空機133機、人員18000人、輸送した救援物資240トンとなっています。この数量の大きさにはあらためて感激せざるを得ません。そして日本人に協力して瓦礫の整理作業をしている2人のアメリカ海兵隊の兵士の姿には頭が下がります。

6番目の写真はアメリカ軍兵士が被災地の後片付けのために汗を流している様子です。

7番目の写真もアメリカ軍兵士が被災地の後片付けている様子です。
そして港が津波で破壊された離島には上陸用舟艇で緊急上陸して食料を運び、後片付けに汗を流したのです。あるアメリカ海軍の小型艦艇は壊れていない港に接岸して船内のシャワーと風呂を泥まみれの被災者へ提供したのです。これは津波で家が流された被災者に非常に感謝されました。
私はこのような在日米軍の献身的な救援活動を書きながら再び深い感動を覚えます。胸が熱くなります。日米が戦後75年間、えいえいと培って来た友情の温かみが感じられます。嬉しい事です。救援活動にあたった全ての米軍将兵へ改めて深い敬意と感謝の意を表します。

ここで米軍の支援の一部を分かり易く整理して列挙します。
(1)空母ロナルド・レーガンが三陸沖から艦載ヘリを15往復して被災地へ救援物資を直接運んだのです。救援物資は非常食、牛乳、果物、医療機器、衣服などです。
(2)普天間基地の海兵隊2200人とヘリコプター部隊は強襲揚陸艦「エッセック」など3隻で出発し、東北地方の酒田港沖へ到着しました。これにより米軍ヘリは合計70機体制になりました。海兵隊は被災地の瓦礫整理や仙台空港や小松基地の復旧作業をするほか、救援物資輸送、医療支援もしたのです。
(3)第7艦隊の強襲揚陸艦「トーティガ」は苫小牧港へ到着し、陸上自衛隊の青森側への輸送に協力しました。。
(4)福島原発で苦戦している高圧送水ポンプも米軍が提供しました。佐世保基地にある4台を発送し、横須賀基地を経由して16日には横田基地へ到着しています。17日中には現地で日本側へ引き渡しました。

アメリカ軍は以上のように、大規模な軍隊を動かし迅速に救援活動を展開したのです。
この活動は「ともだち作戦」と命名され在日米軍が自衛隊と協力しながら実行したのです。このアメリカの暖かい友情で心が熱くなった人々は多かったと思います。

今日はこれで止めて下の参考資料に東日本大震災の復旧を支援した世界の191ケ国、34地域のことを書いておきます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈いたします。後藤和弘(藤山杜人)

====「参考資料、世界の191ケ国からの支援」==================
「東日本大震災の復旧を支援した世界の191ケ国、34地域」
(1)台湾政府からの緊急援助。
馬英九総統は3月11日当日に「日本側の要請を受けたら、すぐに救援隊を出動したい」と語り、緊急救援隊を翌日3月12日に世界のどこよりも早く派遣してくれたのです。
物資支援として、3月14日~6月6日の間に発電機801台、毛布8735箱、寝袋3487箱、スリーピングマット236箱、衣類(防寒具、レインコート、手袋、マフラーを含む)6866箱、食品(クッキー、ポップコーン、米、缶詰等を含む)16.5㌧+18941箱などなどを送ってくれたのです。
日本側では北海道、青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県、東京都、新潟県、埼玉県、山梨県の災害対策本部、被災地、避難所等に至急送ったのです。

(2)中国の支援。
中華人民共和国の温家宝首相は「中国政府を代表して日本政府と日本国民に対しお見舞いを申し上げる」という電報を菅直人総理に送るとともに、必要な援助を提供する意思があることを表明しました。
胡錦濤国家主席は「犠牲者の方々に深い哀悼の意を表し、一日も早い復興をお祈り致します」との電報を今上天皇に宛てに送ったのです。
中国地震局は3月12日夜、日本の被災者に、人道援助を提供するため国際救援隊15人を同月13日朝に派遣すると発表しました。国営新華社通信は「四川大地震で日本から支援を受けた恩に報いたい」という論評記事を配信しました。
中国赤十字会は同日、日本赤十字社に100万元(約1260万円)を緊急援助し、必要に応じた人道援助をすることを決定しました。
一般市民の間でも支援の声は高まり、北京の大学生や会社員ら、有志の若者が仲間に義援金を呼び掛け、既に約5000元が集まったのです。同日午後、中国国際援助隊は生存者の捜索に必要な設備や救急医療物資など4トンの物資を携行し、羽田空港に到着します。
中国政府商務部は14日、毛布2000枚、テント900張、手提げ式応急灯200個などといった3000万元(約3億7500万円)相当の援助物資追加支援を決定し、初回分は14日、上海から空輸され、宮城県登米市に提供されたのです。第二陣は28日にミネラルウォーター6万本やゴム手袋325万組がそれぞれ茨城県、日本赤十字社に提供され、第三陣は31日にゴム手袋1万組、仮設トイレ60個、スニーカー2万5000足が提供されたのです。
さらに別枠で、3月16日、中国政府は日本政府の要請に応じてガソリンと軽油各1万トンを日本政府に対して提供することを決定、それぞれ4月2日、3日に日本に到着、被災地に送られました。
また新聞は「過去の遺恨による民族主義は天災や人道とは関係ない」とし、四川大地震の際に日本が援助したことを受け「民族の感情を超越した人道主義」と評し「必要なのは学ぶことと助け合うこと」と伝えたのです。
3月19日、東京電力は中国外務省を通じて中国の三一重工業集団有限公司に高さ62メートルから放水できるポンプ車の購入を打診すると、三一重工が無償での提供を申し出ます。
この巨大なポンプ車は1台約8500万円で、運搬にかかる費用を含めた約1億円を同社が提供し、24日に日本到着後、陸路で福島に向かい、31日より福島第一原子力発電所の原子炉冷却作業を開始します。
4月1日、中国政府はガソリン1万トン及びディーゼル油1万トンを緊急支援物資として被災地に提供しました。
そしてその後、温家宝首相は東北の被災地をつぶさに訪問し、直接、被災者を励ましたのです。
上記で中国の支援をご紹介したのは以前に韓国と台湾の支援を詳しくご紹介したので、その続きです。

(3)タイからの支援。
タイのプミポン国王夫妻は3月12日に、「地震と津波で甚大な被害が出たことを深く悲しんでいる。両陛下と全ての日本国民に心からの弔意を表す」と弔意を表する書簡を送って来ました。
アピシット・ウェーチャチーワ首相は、国民向けテレビ番組で「日本は長年にわたる開発のパートナーであり、重要な友好国」と述べ、支援する姿勢を明確にしたのです。また、毛布や食料など救援物資のために2億バーツ相当の予算を組む予定だと明かします。
同月13日にはレスキュー隊員と捜索救助犬の派遣を決め、日本の大学を卒業した医師35人の派遣も検討しました。
タイ政府は義援金の送付をすでに決め、国民からの援助物資の受付や義捐金を受け付ける銀行口座を設置しました。
3月25日までに政府より500万バーツ、国王夫妻より500万バーツが日本赤十字社に寄付された他、支援物資としてワチラーロンコーン皇太子より毛布2万枚、パチャラキティヤパー王女より救助袋15,550セット、寝袋1000式、缶詰9000缶、タイ政府・国民から即席麺2万4000個、缶詰1万9200個、飲料水1万5000本、懐中電灯400個を贈って来ました。
タイ政府は5月9日にも日本語が話せる医療支援チームの派遣して被災者、特に小児に対する感染症防御のための支援活動をしたのです。
その他の世界各国の支援の状況は以下のように掲載されています。

(4)「東日本大震災に対するアジア諸国の対応 - Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災に対するアジア諸国の対応...
に、東日本大震災に対するアジア諸国の対応について記述してあります。

(5)「東日本大震災に対するヨーロッパ諸国の対応 - Wikipedia」
「東日本大震災に対するヨーロッパ諸国の対応」を検索すると東日本大震災に対するヨーロッパ諸国の対応について記述してあります。

(6)「東日本大震災に対する北アメリカの対応 - Wikipedia」
「東日本大震災に対する北アメリカの対応」を検索すると支援の内容が記述してあります。

またメジャーリーグベースボール (MLB) およびメジャーリーグベースボール選手会 (MLBPA) が併せて50万ドルを、日本の地震と津波の被害に対する義捐金として国際連合児童基金 (UNICEF) に寄付すると発表した。また、MLBの「Japan Relief」特設ページで寄付しました。
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世界各国からの支援の全てを書きつくすことは大変なことですが概略をまとめてみました。