自分が生まれ育った昭和時代を考える場合、私は第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れることが出来ません。それは日本民族の最大の悲劇であり二度と繰り返すべきではありません。世界の人類の悲劇でした。
下の国別の犠牲者数の表をご覧下さい。この一覧表は一番正確な犠牲者数として外国のインターネットでよく引用されています。
この一覧表を注意深く見ると日本ではあまり知られていない事実が沢山あるのです。
気が付いた順に記します。
(1)日本の占領地のフィリピンとインドネシアで民間人の死者がそれぞれ最大、100万人と150万人だったのです。
(2)日本領だった朝鮮の人が兵士や軍属として最大47万人以上死にました。
(3)インド人は英国兵として87000人死にましたが、民間人も250万人死にました。
(4)中国人は400万人の兵士が死に民間人を含めた合計が2000万人となっております。これが世界の常識になっています。
(5)ドイツに占領されたソ連では合計2400万人の人が死にました。
(6)日本人はあまり知りませんが犠牲者の多かった国々は次の通りです。
ブルガリア、チェコソロバキア、フィンランド、ギリシャ、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、オランダ(インドネシアに居た人も含む)、ポーランド、ルーマニアなどです。
これらの国々の幾つかはドイツ側に立って戦争をしたのです。
(7)全世界の総合計です。兵士の死者は15,00万人で民間人の死者は45,00万人でした。総合すると全世界で6000万人の人が死んだのです。
下に第二次世界大戦の国別の犠牲者数の表を示します。
この一覧表では1、国の名前、2、軍人と兵士の死者数、3、民間人を含めた死者数の合計の3項目が順に示したあります。
(https://www.nationalww2museum.org/students-teachers/student-resources/research-starters/research-starters-worldwide-deaths-world-war )
Japan、日本
212万人
260万人ー310万人
Korea(朝鮮出身の日本兵や軍属)
38万人-47万人
Canada カナダ
45,400
45,400
China、中国
3-4,000,000
20,000,000
インドネシア
--
3-4,000,000
France、フランス
217,600
567,600
仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)
--
1-1,500,000
Germany、ドイツ
553万人
660万人-880万人
India、インド
87,000
1,500,000-2,500,000
Italy、イタリー
301,4003
457,000
Malaya、マレー半島
--
100,000
Philippines、フィリピン
57,000
50万人-100万人
Poland、ポーランド
240,000
5,600,000
Soviet Union、ソ連
8,800,000-10,700,000
2400万人
United Kingdom(イギリス)
383,600
450,700
United States(アメリカ)
416,800
418,500
全世界の総合計、6000万人の死者
内訳、 Battle Deaths、15,000,000
Battle Wounded、25,000,000
Civilian Deaths(民間人の死者)、45,000,000
脚注;Worldwide casualty estimates vary widely in several sources.
The number of civilian deaths in China alone might well be more than 50,000,000.
そして第二次大戦後、責任を取って自殺したドイツの民間人の数は直後の4日間だけでさえ;ベルリンで1200人、ライプチッヒで600人、ハンブルグで450人、ケルンで300人が自殺したと新聞に出ていたそうです。4日間だけでの総計が2550人です。それに比較して日本では愛宕山にこもった民間人10人位とその他に僅かと言われています。
さらにシベリア抑留でドイツ兵が55万人死に、日本人は5万人死んだのです。
昭和時代の人類は狂気のように殺しあったのです。国家対国家の大規模な戦争によって殺しあったのです。
その昭和時代の太平洋戦争の為に海外で亡くなった240万人の犠牲者のうちまだ113万5千人の遺骨が日本へ帰って来ていないのです。
父や夫や息子や家族を戦争で失った遺族にとっては太平洋戦争は終わっていないのです。113万5千柱の遺骨が還らぬ限り太平洋戦争は終わっていないのです。
昭和という時代は以上のような戦争の時代でした。それと対照的に終戦直後から日本は明るい時代になったのです。
しかし今回、ロシアがウクライナに侵攻して大規模な戦争になっています。世界に戦争の恐怖を甦らさせています。第二次世界大戦のような戦乱が絶対に起きないように祈っています。
今日の挿し絵代わりの写真は第二次世界大戦の風景です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6 です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は1939年9月、ポーランド侵攻時のブィドゴシュチュ付近におけるドイツのI号戦車 です。
2番目の写真はワルシャワを守るポーランド兵士(1939年9月)です。
3番目の写真はフランスに進駐したイギリス陸軍(1939年10月)です。
4番目の写真はイランに攻め入るイギリス陸軍の戦車(1941年8月)です。