皆様は、無性に故郷のことが懐かしくなることがありませんか?私は時々そうなります。今日もそうです。
それを知りつつ今日も我が故郷、仙台の思い出を書きたいと思います。まず仙台の写真を示します。私は仙台で昭和11年に生まれ24歳で離れる迄住んでいました。
そこで今日は私が昔よく遊んだ八木山や青葉城跡の写真を示します。懐かしい場所の風景写真です。
1番目の写真は青葉城跡の高台から見た現在の仙台です。
2番目の写真は仙台の開祖の伊達政宗の騎馬像でしす。青葉城を作り終生そこに住み仙台藩を統治していました。
3番目の写真は青葉城の裏にある吊り橋です。仙台の観光名所です。この吊り橋を渡った先は八木山になります。そこにはむ昔、八木山球場がありベーブ・ルースが来てホームランを打った歴史があります。昭和9年11月9日のことです。ベーブ・ルースやルー・ゲーリックをまじえた米大リーグ選抜チームと全日本チームと試合をしたのです。試合は7対0でアメリカチームの勝です。その直後に日本にプロ野球が出来たのです。
4番目の写真はお霊屋下橋と広瀬川の沿って登っていく鹿落ち坂の写真でしす。鹿落ち坂を登りと向山になり八木山に続きます。八木山は八木久兵衛の山でした。
四代目八木久兵衛は仙台味噌を作りました。仙台味噌は米麹と大豆を使い風味豊かな赤味噌です。江戸時代には仙台藩の御用で製造していまた。私の家は仙台味噌を使い続けています。
5番目の写真は広瀬川と愛宕橋です。仙台の市街が背後にあります。
仙台は伊達政宗が1600年前後に築いた城下町です。青葉城の大手門から真っ直ぐ東へ伸びる通りは広瀬川の大橋を渡ったところから、東端の現在の仙台駅までを大町通りと言います。
その大町通りの途中を直角に奥州街道が横切っていて、その四つ角を「芭蕉の辻」といいます。賑やかな商店街でした。
仙台を出て東京に暮らすようになって60年。甘い追憶の中のふるさと、仙台を探す旅に度々行きました。
6番目の写真は愛宕山です。この山の背後は向山といい私はそこに24年間住んでいました。愛宕山神社の祭礼には毎年行きました。懐かしい神社です。
7番目の写真は仙台の七夕祭りです。七夕祭りは毎年の8月6日、7日、8日と開催されます。毎年、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出します。
結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕を見に帰りました。父母が健在だったあいだは毎年仙台に帰省していました。
我が故郷の仙台もすっかり変わってしまいました。仙台を24歳の時離れてから茫々60年以上もたってしまいました。
今日は仙台の写真をお送りしました。そして少年の頃の思い出を書きました。
日本の地方都市の変わりようは何処も激しいものです。皆様の故郷はどのように変わったでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料==============================
(1)「完全に消えてしまった三つの沼と亜炭という不思議な燃料・・・こんなことは全国にあるでしょうが」(2014年04月09日掲載)
(2)「我が故郷、仙台の戦前の風景を懐かしむ」(2015年08月10日 掲載)
(3)「遥かなる我が故郷、仙台への小さな旅」(2017年06月02日 掲載)
(4)「夏になると我が故郷仙台の七夕を思い出す」(2019年08月15日掲載)
(5)「完全に消えてしまった追憶の中のふるさと、仙台」(2010年10月21日 掲載)
(6)「我が故郷、仙台の思い出」(2022年11月12日 掲載)