後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ドイツのワインの特別な飲み方の思い出」

2023年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
先日、甲斐駒岳の麓にあるワインを作っている工場を見て来ました。ワインの作り方は簡単です。発酵させるだけです。ブドウを腐らせていくと、ブドウに含まれる糖が酵母菌によってアルコールと二酸化炭素に分解されるのです。
工場で大量に作るには次のようにします。
まずワインの原料となるブドウを粉砕、圧搾し果汁をアルコール発酵させます。
発酵が終わると、樽やタンクに詰めて熟成させ、ろ過して濁りを除いたワインを瓶詰めすれば完成です。
甲斐駒岳の麓にあるシャルマンワインの工場を家内が撮った写真を示します。

写真にある大きなステンレス製のタンクは果汁を発酵させるためのタンクです。それから木の樽は発酵した果汁を熟成させている樽です。熟成が終わればビンに詰め出荷します。

ワインと言えば私に思い出があります。昔南ドイツに住んでいた頃見たドイツ人のワインの飲み方です。1969年、ドイツのローテンブルグという中世の田舎町でのことです。
ガストフという古い食堂に入ってワインをよく飲んでいました。古い食堂は木目が美しい内装で、中は薄暗いのです。
その薄暗い食堂に入るとすぐに帽子、コートを脱ぎます。そして入り口近くの帽子掛けに掛けます。
「グリュ-スゴット!」(神のお加護を!)と店の主人へ声を掛けてから座るのです。
日本の学校ではグリュ-スゴット!などという挨拶は習ったことがありません。南ドイツの方言なのです。
店の奥の左手のテーブルは男だけの地元常連客のテーブルなので座ってはいけないのです。
田舎の店ではコートの脱ぎ方、挨拶の仕方、その後の仕草を地元の人々がジーッと見ています。作法通りにしないと露骨に嫌な顔をします。アメリカ人観光客は地元の作法に無頓着なので、どうしても嫌われてしまうのです。
渋みの効いた地元のワインを注文します。行く度に注文の銘柄を変えて味を比較します。次第にドイツワインの深みが分かるようになります。ドイツワインだけを飲んでいるとフランスワインは美味しくないような気がしてきます。
ドイツの民宿にも何度も泊まりました。民宿はワインケラーというワインの貯蔵倉を持っているのです。
多人数で行った時もあります。夕食時には必ず年代物のワインの栓を2,3本抜きます。抜くのは民宿のご主人で、重々しい顔でラベルの年代を読み、コルクを抜きます。
始めに一杯だけグラスに注ぎ、団員が交代で務める「主客」が一口飲みます。
しばし考えて、「美味い。少しドライだがそこはかとない葡萄の甘味もあり結構じゃないですか」などと誉めます。
主人が満足げに全員のワイングラスに注いで飲み始めるのです。
ワインに使った葡萄の品種やその年の天候などが主人から説明があります。それが終われば儀式が終了するのです。この部分はあくまでも伝統的な作法であり、間違っても少し味が良くないなどと言ってはいけません。
ある時、決まった作法と知らない日本人が自分の好みの味ではないと言ったために主人と大激論になった場面を見たことがありました。始めの儀式が終われば、味の批判や評価をしても良いのです。
このように南ドイツではワインの飲み方にも伝統的な儀式が出てくるのです。
南ドイツは北ドイツとは違います。徹底的に伝統にこだわるのです。
そこがドイツの面白さです。想像してみると、ヨーロッパの田舎はみな伝統文化を墨守しているに違いありません。そこがアメリカとの違いです。
アメリカに1998年から2年間単身で在住した時は良く外の店にお酒を呑みに行ったものです。アメリカでは酒は楽しく飲めば良いので儀式は一切ないのです。ビールは小瓶や缶のまま飲みます。
いかにもアメリカらしい酒場には磨き上げた厚い板のカウンターがあります。カウンターに座ったらまずコインを出して、バーボン ダブルなどと注文します。
男主人がカンターの端から私の手元へグラスをスウッと滑らせてくる。丁度手元で見事に止まる。
以上が酒にまつわる文化です。それにしてもヨーロッパとアメリカは随分と違うものです。
酒の飲み方の作法も時代とともに変わるに違いない。南ドイツでの面倒な儀式は消えたであろうか?あれから50年以上になります。しかし国々の文化の本質は案外変わらない思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)