後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「豪華な車でハワイのオアフ島を一周した思い出」

2023年02月08日 | 旅行記
何十年も前の1966年に家内と生まれたばかりの赤子を連れてオアフ島を車で一周したことを時々思い出します。家内も懐かしそうにしています。それは一生に一度の豪華な旅でした。

1番目の写真はシボレーの豪華な車と家内です。
泊まったホテルが立派でワイキキの浜辺にありました、窓の下には碧い海が広がり東の方には緑のダイヤモンド・へっドが聳えていました。翌日はシボレーの豪華な車でオアフ島をゆっくり一周しました。
オアフ島の裏側には人があまり住んでいません。熱帯植物が繁茂して、ワイキキの浜の風景とはあまりにも違います。
ハワイ諸島は熱帯の島々なのです。原住民のポリネシア人が住んでいた熱帯の島々なのです。オワフ島を出て他の島々に行くと原住民がたくさん住んでいます。
それはそれとしてオワフ島の風景写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。

2番目の写真はワイキキの浜です。

3番目の写真は緑のダイヤモンド・へっドです。

4番目の写真は5オアフ島の裏の浜辺に茂っているヤシの木です。
===参考資料======================
カメハメハ王朝、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%82%A4%E7%8E%8B%E5%9B%BD
ハワイでは12世紀以降、神権政治的な族長統治体制が確立されていたが、各族長による分断統治を一人の王が統合するようになるのは19世紀後半のことで西洋との接触が始まるのと同じ時期である。
1791年、ハワイ島の大族長のカメハメハ1世が拿捕していたイギリス人から銃火器の使用法を学び武器をそろえて他島の平定に乗り出した。そして1795年にはハワイ諸島を事実上統一してハワイ王国の建国を宣言し、1810年にはハワイ諸島を完全に支配下に収めた。
ハワイ王国は成立初期から西洋からの助力を受けており、単純な二項対立的な関係にあったわけではな。

ハワイ王国の社会文化が大きく変化したのはカメハメハ2世の治世(在位1819-24)のときである。1820年から全15回にわたりキリスト教のアメリカ伝道評議会(アメリカン・ボード)の派遣団が全15回にわたりハワイを訪れ、ハワイ社会の中で指導的地位を獲得した。
カメハメハ3世の治世(在位1825-54)になると多くの白人が憲法制定や立法にアドバイザーとして参加するようになった。1839年には権利の章典を発布し、1840年には憲法が制定された。

カメハメハ家による統治は、1872年のカメハメハ5世の崩御により終焉。カメハメハ5世は王女パウアヒ(英語版)を呼び出して王冠を託したが、彼女にはすでに家庭があり、即位を拒否。カメハメハ5世は代替の後継者を指名する前に崩御した。

「車の運転の卒業、乗った車の思い出」

2023年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム
先週車に車の運転免許を警察署に返納して来ました。24歳で運転し始めてから63年間を無事故で運転しました。
今日は過去に乗った車の思い出を書きたいと思います。
1958年大学を卒業し1960年に24歳の時、オハイオ州へ留学して初めてアメリカの中古車を買いました。クリームと水色のツートンカラーのダッジ・コルネットです。エンジン容量は4・5リッターの大きな車で、たしか1956年製であったと記憶しています。

1番目の写真は初めて買った1956年製のダッジ・コルネットです。
新婚の妻は色合いを最重要視するのでクリーム色と水色のツートンカラーの車にしました。
最初に買った車なので嬉しく、暇さえあればオハイオ州のあちこちへドライブしました。

2番目の写真は帰国後の1966年に買ったマツダ・クーペ360です。
日本で買ったマツダ・クーペはアメリカの大型車に比較すると落差が大きすぎて同じ車とは思えません。しかし楽しい車でした。富士五湖や山梨の芦安温泉や夜叉神峠まで走らせても故障しませんただ空冷エンジンが焼けるので時々道傍に止めて後部エンジンルームの蓋を開けて冷したものでした。こんな小さな軽自動車(360cc)でも4人乗りでした。
1969年8月にシュツットガルトの研究所に留学しました。その時買った車はドイツのオペル・レコルドの中古でした。

3番目の写真はオペル・レコルドの中古です。この車は良く活躍してくれました。フランス東部、スイスのユングフラウ、インターラーケン、ボーデンゼー、シャッハハウゼンやミュンヘン、チロル地方、あるいはオーストリーのザルツブルグなどなどへ、この車で旅行しました。大きな故障は起きませんでした。
ドイツから1971年の帰国後いろいろな車に乗りました。そのいろいろな車は次の通りです。
トヨタ・パブリカ、 トヨタ・カローラ、 ホンダのシビックカントリー、 またトヨタ・カローラ、トヨタ・スープラ、スズキ・エクスード(4輪駆動)、 いすず・ウイザード(4輪駆動の2輪駆動仕様)、 マツダのスポーツカー・ロードスター、 ニッサン・セレナ(ワンボックスカー)、日産ラフェスタと日産ノートなどなどです。1964年以来合計15台の中古や新車を乗り継いできたのです。振り返ってみると高級車はトヨタ・スープラのみで、あとは全て価格ひかえめの実用車ばかりで他人へ自慢にできるような車は一台もあリませんでした。

4番目の写真はトヨタ・カローラです。1987年8月30日に、家人と2人で富士スバルラインを登り5合目で撮った写真です。

5番目の写真はマツダのスポーツカー・ロードスターです。

6番目の写真はニッサン・セレナです。

7番目の写真は日産ラフェスタです。

8番目の写真は山小屋のかげに駐車してる日産ノートです。

15台の車にまつわる思い出は多いものですが、スープラの思い出だけをご紹介したいと思います。
トヨタはスープラをスポーティセダンと言う言葉を用いて盛んに広告をしていた。
あまりにも華麗な姿なので、初代スープラ、1G-EU を1987年に購入しました。乗り心地は2000ccクラスの乗用車と同じ。エンジン性能も乗用車と同じ。排気量1988CC,OHC-自然吸気、出力105馬力、最大トルク、16.0kg-m/4000rpm でした。
ボデーの色が輝くような白色で、形も綺麗だったので家人が気に入っていたのです。
幸い故障もなかったので、8年くらい乗りました。終いには冷却水の循環速度を制御する車載コンピューターが壊れ修理が難しくなったので止めにしました。
このスープラで京都、神戸、伊根、丹後半島、天橋立など遠方へも走りました。自分が乗った歴代の車の中の唯一、所謂、高級車に近い車でした。

今日は運転免除を返納したので自分が過去に乗った15台の車をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)