後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「山林の中の私の小屋の近所に咲く花々」

2023年02月10日 | 写真
山林の中の私の小屋の近所にも春になると美しい花々が咲きます。その写真をお送り致します。

1番目の写真は山林の中に住んでいる木内さんの山荘の庭に咲いている可憐なカタクリの花です。このように咲くまで8年もかかる貴重な花です。昔の人はこのカタクリの根から片栗粉をとったのです。

2番目の写真は真原の桜並木のかたわらに咲いていた紅白の梅とスイセンです。この場所から残雪に輝く甲斐駒岳が美しく見えるので毎年来る所です。

3番目の写真は同じ場所に咲いていた白梅です。この辺は標高が約800mの高原なので東京では散ってしまった梅が満開なのです。

4番目の写真は紅白の梅の根元にあるスイセンの花です。

「山林の中に独り住んでいた友人の思い出とモリアオガエル」

2023年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
甲斐駒岳の麓の山林の中に独りで何十年も住んでいる友人がいました。木内正夫さんという方です。ブログ,http://sizen068.blog95.fc2.com/ を書いていました。
2007年の秋に私の山小屋を訪問してくれて、ブログを始めませんかと勧めてくれたのです。そして彼の山荘へ私を誘いインターネット上に写真や文章を掲載する技術を丁寧に教えてくれたのです。
そのお陰で私は2007年の11月から「後藤和弘のブログ」を始めました。
その後、木内さんとは大変親しくなり、いろいろとお世話になったのです。
彼は山荘の周囲の広い敷地にいろいろな花を育てていました。水芭蕉の花、クリンソウ、ヒトリシズカ、イカリソウ、フクジュソウ、ヤマブキ、などなど多種多様な花々を咲かせていました。
そして雑木の丸太を並べて椎茸やナメコも栽培していました。敷地にはクリタケが沢山生えていました。
草花の好きな家内へクリンソウやヒトリシズカやイカリソウを鉢に入れてくれました。私はシイタケの原木を5本も貰ったのです。東京に持ち帰った原木から3年間もシイタケが採れたのには驚きました。
木内さんは優しい性質の人でした、自然を愛し小さな花や森の中の生き物を注意深く観察していました。とくに熱心に努力したことは珍しいモリアオガエルを育てることでした。

彼の山荘の敷地の真ん中に小川が流れています。その傍の樹木の枝に直径10cm位の白い泡の塊があるのを見つけました。春、オタマジャクシが泳ぐ頃です。彼は直ぐにモリアオガエルの卵塊と気が付き、生まれたオタマジャクシを少しだけ分け取って、家の中で飼うことにしたのです。
モリアオガエルは本州と佐渡島にしか棲んで居ない日本固有種で深山にしか居ない珍しいカエルです。
白い泡の塊の中にある数百の卵が オタマジャクシになると下の水溜まりへ落下して小さな可愛いカエルになります。まだ尻尾が付いているのに樹木の枝に這い上がり、一生、樹上生活をします。
飛び跳ねる力が強く一回に3メートル位を飛びます。ですから樹から樹へと、猿のように飛び回って、虫を食べて大きくなります。大きくなるとガマ蛙くらい大きくなります。手足に吸盤がついていて木の葉にしがみ付きます。ここで写真を示します。

1番目の写真は木内さんの山荘に行く道です。なお私の山小屋は木内さんの山荘から更に500m位入った山林の中にあります。

2番目の写真は森の中に埋まるように建ててある木内さんの山荘です。このくらい森と溶け合っていないとモリアオガエルは産卵に来ないのです。

3番目の写真は木内さんが庭に作った池の上の木の枝に産み付けられたモリアオガエルの卵塊です。中に数十匹以上のモリアオガエルの卵が入っています。

4番目の写真はオタマジャクシから孵って手足が消えた若いモリアオガエルです。これに虫の餌をやって育てると大きくなります。

5番目の写真は越冬して大きく育ったモリアオガエルです。翌年は自分が生まれた池の上の枝に卵塊を生むために森の中から帰って来ます。

このように写真を順に見て行くと簡単に飼育出来るように見えます。しかし木内さんの苦労は並大抵ではありません。
オタマジャクシを家の中の容器の水に移し、毎日、ゆで卵と野菜の餌で細心の注意を払って飼育します。
手足が出てきたら草の葉を入れ、這い上がらせます。これで水中生活から一生の間、縁が切れます。
そこからは別の大きな飼育箱へ入れ、ヨーロッパイエコオロギの小さな子どもを餌としてやります。春に孵化したオタマジャクシが11月なってやっと2cmから3cm位に成長するのです。
イエコウロギはインターネットで購入し、数個の飼育箱で子供を産ませます。これが難しくて大変だったと言います。コオロギの飼育箱とモリアオガエルの飼育箱をベットのそばに置いて毎日注意深く飼育しています。冬になると冬眠させるため暖房の無い寒い部屋へ移します。
一方、庭の人工の池で育った数百匹の小さなモリアオガエルは樹木に登って、何処かに飛んで行ってしまいました。森のなかを飛び回って大きくなり、冬眠を始めるのです。
私は自然の営みの不思議さに吃驚しました。モリアオガエルの美しさに感動しました。

彼は人間も独りで森に住んで、そして死んで行くのも自然なことですと言います。モリアオガエルと同じだと言うのです。お葬式もいりません。発見したら玄関の外に書いてある遠方の弟へ電話して下さいと笑っていました。その弟さんは馬場駿という小説を書いている人です。伊豆で岩漿という文学会を主宰していました。
数年前に、木内正夫さんが眼病になってインターンットの世界から退場すると言うのです。10年以上毎日のように更新してきたブログを止めると言うのです。
それ以来、木内さんとは会っていません。彼の長生きを祈るだけです。人間もはかないものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「住宅の苦労話、そして山小屋を作る」

2023年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は住む家で苦労した話を最初に書きたいと思います。1964年に仙台を飛び出しアメリカへ留学した時からの苦労話です。
オハイオ州のコロンバス市では狭い一部屋の下宿から始まりました。間もなく妻を日本から呼び寄せ結婚式をあげ、台所と食堂を兼ねた部屋と寝室の2室のアパートに引っ越しました。翌年娘が産れたので別のアパートに引っ越しました。
1966年に帰国し東京に住みます。国分寺市の1部屋のアパートに住みました。国分寺ではその後2つ部屋のアパートへ越しました。新婚の妻は文句も言わずの楽しそうにしていました。そうこうしているうちに第二子が産まれることになったので私は決心しました。住宅金融公庫からお金を借りることにしたのです。そうして小金井市に小さプレハブの家を作りました。妻の父が小金井市に空き土地を持っていたのでその四分の一を借りました。
この小さな家は二階を上げたり何度も建て増しし現在は大きくなりました。

このように住宅にはいろいろと苦労しました。そこで苦労無しで悠々したいと思い山梨の甲斐駒岳の麓の安い山林を買いました。そこに小さな鉄筋コンクリート造りの小屋を作ったのです。山林の中の小屋です。
1974年に作ってから49年間も通っています。春夏秋冬、その小屋の周囲の自然を眺め自然に魅了されてきたのです。

1番目の写真は雑木林の中を登りつめた所にある山林の中の小屋です。
6畳間と4畳間の鉄筋コンクリートの小屋です。湿気の多い場所なので腐らないようにしました。

2番目の写真は小屋の窓からの風景です。この部屋には妻と何度も泊まりました。子供や孫たちも連れて行きました。現役の頃は働いていた大学の研究室の学生さんたちも招待しました。いろいろ思い出があります。
小屋に行くためには雑木林の中を根気よく2Kmほど登ると小屋に着きます。

3番目の写真は小屋の外で妻が焚火をしまながら読書をしている後姿です。

4番目の写真は小屋の中の薪ストーブです。この薪ストーブは札幌から買って来ました。

5番目の写真は小屋の窓の下によく来る野生の猿です。群れで来ますがボス猿だけ窓の下に来て私が危険な動物か否か確かめに来るのです。
猿の他、鹿や狐やイノシシも時々見かけます。本当に深い山林なのです。
小屋の西側には標高2,967 m の甲斐駒岳が聳えています。甲斐駒ヶ岳は古くから信仰の対象でした。山麓の駒ヶ岳神社から実際に登ってみると山頂にいたる黒戸尾根には現在も不動岩等の信仰にまつわる石碑や石仏が残っていました。
このように小屋は人気(ひとけ)の無い深い、深い林の中にあります。そこに行くと自分を見つめ直します。自分の人生を考えます。
すると私は古い「立身出世主義」に無意識に囚われていたことに気がついたのです。山小屋に行くようになってから立身出世よりも大事なものがあるのと考えるようになりました。
それまでは自分の専門の分野の人々としか付き合わなっかのです。
山林の中の小屋のおかげで視野が広まったのです。そこでよく見ると山林のあちこちに家や別荘が散在しています。私は一軒、一軒訪問しては交友を広げて行きました。別荘の住人は種々の職業の人々です。現地で牧場や養鶏をしている家族とも仲良くなりました。
それで分かったことは人生はいろいろな生き方があるということです。そしてどんな生き方でも貴重で尊敬すべきという確信を持てるようになったのです。

それ以来、私の人生観が変わりました。狭い人生観が広がったのです。自由と平等とはどういうことか少し理解出来るようになったのです。山林の中の小屋のお陰だと今でも思っています。

今日は若い頃は住む家に苦労した話を書きました。その後で山林の中の小屋をご紹介しました。そしてその小屋のおかげで私の人生がどのように変わったかを説明致しました。

今日は皆様が趣味を楽しみ、輝く老境を持つ事をお祈り申し上げます。後藤和弘( 藤山杜人)