後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「松江への松平不昧公と小泉八雲の追憶の旅」

2024年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム
観光旅行をするときある種の追憶をたどって行く場合があります。例えば数年前に訪ねた松江への旅は茶人だった松江七代藩主、松平不昧公の追憶の旅です。そして小泉八雲の追憶の旅です。小高い丘の上にある不昧流の茶室に上がって茶と菓子を楽しみながら宍道湖を眺めます。御菓子に感心しました。鮮やかな緑色の「若草」です。柔らかな求肥で上品な甘みです。若草とは不昧公の和歌から命名されたものです。
町へ下りて来て彩雲堂でそれを買い、そして風流堂の紅白の「山川」、さらに三英堂の黄色の地に白い蝶の舞う「菜種の里」を購入しました。下の写真は「若草」と「菜種の里」と「山川」です。

松江といえばもう一つ見なければいけないところが有ります。小泉八雲の旧居とその隣にある記念館です。八雲の生涯は不遇な一生でしたが、セツという素晴らしい女性と結婚したお陰で最後の14年間は幸福になります。セツから聞き出した数々の怪談話を文学作品として英語で発表したのです。
しかしその文学作品が翻訳され日本で有名になったのは彼の死後10年以上経過した大正時代の末頃でした。平川 呈一などの名訳でさらに広く読まれるようになったのです。そのような悲しい、そして幸せな人生もあるのかと考えながら彼の旧居と記念館を訪ねました。下の写真は記念館の門と内側に入った所です。

記念館を見て、その温かい家庭的な雰囲気に圧倒されました。記念館には八雲の子供や孫、曾孫が遺品を持ち寄って展示しているのです。セツさんや八雲の使っていた文房具や原稿の下書き、子供の為に描いた絵や説明文が沢山あるのです。家庭の幸を展示した記念館です。よくある公共の有名人の記念館ではその人の偉大な作品をこれでもかと展示してあります。簡単に言ってしまえば、威張るための展示です。ところが八雲の記念館には家庭愛が展示してあるのです。どんなに八雲がセツや子供を愛したかがすぐに分かるように展示してあるのです。遺族が経営に参加し展示を受け持っているようです。
家内が感心していろいろ絵葉書を買いました。下にその写真を出しておきます。

「昔よくスキーをした山形県のドッコ沼の写真」

2024年08月19日 | 写真
昔よくスキーをした山形県のドッコ沼の写真をお送り致します。
標高約1,400mの蔵王中央高原にある神秘的な沼が「ドッコ沼」です。日差しによって水が青色やエメラルドグリーンに変化し幻想的です。昔よくドッコ沼の前の粗末な宿に泊まり、スキーをしたものです。茫々60以上も前のことです。
ドッコ沼の写真をインターンットからお借りしました。

「松江の宍道湖の写真」 

2024年08月19日 | 写真
今日は松江について書きたいと思います。
山陰の松江へ旅したのは十数年も前のことです。旅の目的は茶人の松江七代藩主の松平不昧公を偲び、そして小泉八雲の旧宅を訪ねることでした。
松江では宍道湖を眺めました。さて小泉八雲旧居はそのまま彼の記念館になっていました。記念館には八雲の子供や孫、曾孫が遺品を持ち寄って展示しているのです。
松江に行ったのは秋の晴天の日でした。その曾遊の地の宍道湖の風景写真をお送り致します。

松江では不昧流の茶室で「若草」という菓子が出ました。感心しました。鮮やかな緑色の「若草」です。感心したので松江の彩雲堂でそれを買い、そして風流堂の紅白の「山川」、さらに三英堂の黄色の地に白い蝶の舞う「菜種の里」を購入しました。
松江では小泉八雲の旧居と記念館を見ました。
八雲の生涯は不遇な一生でしたが、セツという素晴らしい女性と結婚したお陰で最後の14年間は幸福になります。
しかしその文学作品が翻訳され日本で有名になったのは彼の死後10年以上経過した大正時代の末頃でした。1904年東京の自宅で狭心症で死にます。満54歳でした。戒名は正覚院殿淨華八雲居士で墓は東京の雑司ヶ谷墓地にあります。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「白樺湖と蓼科湖の写真」

2024年08月19日 | 写真
老人になった私は曾遊の地のあちこちを懐かしく思います。
そんな曾遊の地に白樺湖と蓼科湖があります。若かった妻と二人の子供を連れて1963年から何度も訪れた場所です。
昔は冬の蓼科湖でも白樺湖でもスケートが出来たのです。白樺湖スキー場でもスキーを楽しんだものです。
一番初めに泊まった旅館は蓼科温泉の「滝の湯」でした。
その後は山梨県の甲斐駒岳の麓に小屋を作り、そこから白樺湖と蓼科湖へ通いました。
夏には観光道路のビーナスラインの途中にあるケーブルカーで八ヶ岳の横岳にも登りました。
ビーナスラインで車山、霧ヶ峰を越えて、遥かに美ガ原の彫刻展示場まで行ったことも一度や二度ではありませんでした。
撮って来た白樺湖と蓼科湖の写真をお送り致します。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

1番目の写真は白樺湖の南岸から撮った写真です。白樺湖の周囲には名前のように白樺の木が沢山生えています。左の後ろにはまだ雪の残っている車山スキー場も写っています。

2番目の写真は白樺の巨木の林に覆われた島と車山スキー場を写した写真です。

3番目の写真は白樺湖から車山に向かうビーナスライン自動車道路を少し登った展望台から見下ろした白樺湖です。湖には白樺の生えた小島が散在しています。

4番目の写真は蓼科山です。この山は別名、「女(め)の神山」とも言い、自動車観光道路、ビーナスラインの語源になっています。写真の左下に白樺湖が小さく写っています。

5番目の写真は蓼科湖です。背後に蓼科山が写っています。蓼科湖も白樺湖もこの蓼科山の麓にあります。

6番目の写真は蓼科湖の南岸から撮った写真で背景に残雪に輝く八ヶ岳連峰が細長く写っています。

7番目の写真は蓼科湖の岸辺にある「彫刻の公園」の前の蓼科湖です。北村西望などの芸術の香り高いブロンズ像が沢山展示してあります。この蓼科湖周辺は昔から有名な蓼科温泉で数多くの旅館やホテルが森の中にあります。

以前に遊んだ白樺湖と蓼科湖の写真をお送り致しました。