さて18世紀になるとロシアがこの北方の土地を領有しようとしました。
初代ロシア皇帝、 ピョートル1世( 在位:1721年 - 1725年)がベーリング海峡からアラスカまでの探索を命じたのです。
ベーリング探検隊は2度目の遠征でアジアと北米の間にベーリング海峡があることを発見します。そして1741年に、ベーリング探検隊の隊員がアラスカに上陸します。
この上陸によってカムチャッカ半島、アリューシャン列島、そしてアラスカはロシア皇帝の領有地になったのです。
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1番目の写真は日本の北方地域の地図です。
その後、ロシア正教の宣教師が派遣されカムチャッカ半島、アリューシャン列島、そしてアラスカにはロシア正教の教会が建てられたのです。
しかし1867年にロシア皇帝はアリューシャン列島と広大なアラスカをアメリカに売り渡したのです。ですから現在はアラスカとアリューシャン列島はアメリカの領土なのです。
さてこの地域に住んでいた先住民をご紹介したいと思います。
アリューシャン列島にはアリュート族が住んでいました。
土地が貧しく資源の少ない島でしたが、彼らは流木や海の生物資源を巧みに利用して生活していました。特徴的なのは海獣を狩ることが上手だったのです。
海獣の皮や消化器官でできたフードつきの防水服を着て、流木と海獣の皮で作られたカヤックに乗り、流木と骨で作る投げ槍などを持って数人の仲間と漁に出てラッコ、アザラシ、トド、セイウチ、クジラといった獲物を捕らえてきました。
長年孤立した民族でしたが、17世紀までに列島には約25,000人が暮らし、大いに栄えたそうです。
しかしロシア人の進出により海洋資源が枯渇し、またロシア人が持ち込んだ疾病によってその数は十分の一以下に激減し、1910年の調査ではアリュート族の数は1,491人しかいなかったそうです。写真を示しながら説明を続けます。
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2番目の写真はアリューシャン列島のある島の夏の風景です。この列島は典型的な火山列島で、島々には火山があります。冬は厳寒の地ですが短い夏には草花も咲きます。
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3番目の写真はアリューシャン列島の島にロシア人が開いた町の写真です。ロシア正教の教会も見えます。
白崎謙太郎著、「明治・海・2人」という本によると列島の島々にこのような教会堂があり、アリュート族は皆ロシア正教の信者になり、ロシア風の名前になっていたそうです。
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4番目の写真は暖かい夏のアリュート族の家族の写真です。
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5番目の写真は厳寒の冬のアリュート族の家族の写真です。
次にカムチャッカ半島の先住民をごく簡単に示します。
カムチャッカ半島の大部分を占めていた民族はイテリメン族でした。
(http://karapaia.com/archives/51643453.html )
このイテリメン族と呼ばれる人々は、北はコリヤーク族、南は千島アイヌと接し、17世紀末までは2万人といたと推定されています。しかし17世紀末にロシア人が侵入し、カムチャツカ半島がロシアに併合された後は、混血とロシアへの同化、紛争や伝染病の流行などで人口が激減し、現在では2000人ほどしか残っていないそうです。
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6番目の写真は伝統衣装を着たイテリメン族の男女の写真です。
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7番目の写真は激しい踊りをしているイテリメンの男と女の写真です。
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8番目の写真は戦士の服装をしたイテリメンの男性の写真です。
最近のイテリメン族の研究では、アラスカのトリンギット族と最も近い遺伝子を持つことが分かりました。かつてシベリアとアラスカを結ぶ陸橋だった期間、シベリヤからアラスカへと移動していったのがモンゴロイド達だったのです。当然、血筋が近いのもうなずけます。
ちなみに日本の縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイドと考えられているので、日本人とも血がつながった民族だったのです。
なおアラスカのトリンギット族のことは長くなるので割愛します。
以上のようなロシア支配と先住民達のことを知った上で、白崎謙太郎さんの「明治・海・2人」という本を読むと一層北方民族のことが分かります。
この本は下記にメールで申し込むと買うことが出来ます。立派な装丁の198ページの本です。shirasakikentaro@gmail.com
今日は日本の北に住んでいた原住民やアイヌ民族たちをご紹介しました。アリューシャン列島のアリュート族とカムチャッカ半島のイテリメン族です。千島と樺太には北方アイヌ民族が住んでいましたが今回は省略しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)