後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日比谷花壇の写真」

2025年01月15日 | 写真
日比谷公園本店は、“戦後復興計画の一環として、市民の憩いの場である公園に、海外の例に習ってフラワーショップを”という当時の東京都知事からの要請を受け、1950年に出店しました。

その時に東京都から指定された店名が日比谷花壇でした。そして同年12月、社名を『株式会社日比谷花壇』へと変更し、日比谷花壇の歴史が始まりました。

https://hibiyakadan-honten.jp/about/

「近所に広々とひろがる畑の風景」

2025年01月15日 | 写真
近所に広々とひろがる畑の風景です。
昔ここは小金井村という畑作農村でした。まだ近所には所々に畑が広がっています。
広い畑を見ると心が平和になります。
そんな風景の写真を撮って来ましたのでお送り致します。
最後の写真は農業の素人の市民の畑です。一人一坪ずつ市役所から借りて思い思いの野菜を作っています。
 


「花の思い出のあれこれ」

2025年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム
花の写真を撮っている間は楽しいものです。その自然で、繊細な美しい姿に魅了されて夢心地になります。至福の時間です。
自分で写真を撮るだけでなく他の方々の撮った写真を眺めて楽しみます。そうしてその美しい写真を撮った方へメッセージを送り転載するお許しを頂きます。皆さん、喜んで、どうぞお使い下さいと言ってくれます。花のお陰で暖かいものが流れます。
趣味人倶楽部の「大チャンさん」(https://smcb.jp/users/434777)へお願いしましたところ、どうぞ ご自由にお使い下さいという返事を頂きました。
「大チャンさん」は神奈川県にお住まいの男性の方で、いろいろな趣味をお持ちです。そのうち3つだけ転載しますと、水泳・マリンスポーツ と写真・芸術 とボランティア・社会貢献 となります。豊かな心の持ち主のようです。
それではその写真をご紹介致します。
1番目の写真は朝顔です。何とも言えない半透明な赤紫色が心を奪いますね。
2番目の写真はナデシコです。自分の庭のナデシコは薄い桃色ですが、このように濃い色も良いものです。
3番目の写真はネムノ木の花です。高い木の梢に咲いているのが普通です。このような写真を撮る苦労がしのばれます。
4番目の写真は萩の花です。萩の花は小さくてよく見えません。しかしこのように拡大するとその甘いような色合いがよく見えます。白い部分は蝶ですね。
5番目の写真はセイヨウノコギリソウです。西洋で品種改良したのでしょうか。いかにも洋花のような個性的な美しさが楽しいですね。

花を注意深く見るようになったのは結婚してからです。妻の母が草月流の活け花を教えていたので、その展覧会に何度も妻に連れられて行きました。古流や、池の坊や、小原流の展覧会も見ました。
活け花は いけた人の心を写します。芸術性を映します。独創性が見えることもあります。
フラワーアレンジメントの華麗さ、茶花の簡素な美、それぞれ心を惹かれます。そして我が家にも季節の花々が活けてあります。
華道は日本にしかない誇らしい文化です。
外国に華道はありません。
しかし花々を花瓶に飾るのはどの国にもあり、その飾り方がおのずと日本の華道のある部分と共通な活け方をしているのです。
特に西洋のテーブルの上に飾る四方花の生け方には優れたものが多いようです。
そして教会の祭壇の前に飾る切り花の活け方も華麗で素晴らしいものが多いのです。見ていると花屋さんが構図を考えながら、ゆっくり活けています。

西洋で忘れられない活け花はスウェーデンの大学の廊下に飾ってあった枯れた大麦の束です。赤い大きな素焼きの花瓶がレンガ床にドンと置いてあり、その素焼きの花瓶に枯れた大麦の束が無造作に活けてあったのです。
実験室が並んだ殺風景な廊下に、その活け花は豊かな大自然を連想させ、ほのぼのとして空気をかもしだしていたのです。
その活け花を活けたのはエケトルプ教授の秘書でした。上品な高齢の女性でした。素晴らしいと褒めたら嬉しそうにしていました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「昔から日本にあった花々と外国から来た花々」

2025年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム
花々が咲く風景を単純に愛せば幸せになれると私は信じています。私は花々が咲く風景を愛しています。花々が咲く風景をじっと眺めます。
花のお好きな方は多いと思います。
今日は昔から日本にあった花々と外国から来た花々のことを書きたいと思います。
日本原産の花か,海外から渡来してきた花かを正確にご存じの方は少ないと思います。
私は日本原産の花に興味があったので調べてみました。そうしたら本格的な文献を発見しました。
慶応大学、磯野直秀名誉教授の発表している「明治前園芸植物渡来年表」です。(http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13125 )
これは感動的な研究論文です。信用出来る内容です。
下のにその一部をご紹介いたしますが、是非原文をご覧下さい。植物学の素人にも簡単に理解出来る明解な文章で書いてあります。
以下は外国から来た花々です。
(1)奈良、平安期
梅、菊、ボタン、シャクヤク、アサガオ、シモクレン、ケイトウ、ジュズダマだどなど。
(2)鎌倉期
ナンテン、フヨウ、ムクゲなど。
(3)室町期から安土桃山期
スイセン、ホーセンカ、ジンチョウゲ、ヒガンバナ、ローバイ、ソテツなどなど。
(4)江戸時代(17世紀)
シュウカイドウ、サルスベリ、レンギョウ、ハクモクレン、オシロイバナ、エニシダ、ヒマワリ、などなそ。
(5)江戸時代(18世紀)
キョーチクトウ、ハボタン、ニチニチソウ、など。
(6)江戸時代(19世紀)
ノボタン、ダリア、オジギソウ、コスモス、カンナ、キンギョソウ、スイートピー、パンジー、ラベンダーチューリップ、ゼラニュームなどなど。
この研究論文の圧巻は30ページから39ページにわたる数百種の渡来園芸植物の年号別の一覧表にあります。
慶雲2年(705年)から始まって、明治1年(1968年)のそれぞれの年号に渡来した園芸植物の名前が明記してあるのです。それはこの研究者のライフワークと言っても過言ではありません。

驚くことにわれわれが普通日本古来の植物と思っていた梅も柿もナスもも皆渡来植物なのです。
是非ご覧下さい。そして植物がこの地球上を移動して繁茂する不思議をお考え下さい。
そして驚いたことに花屋さんで売っている花々の大部分が外国からやって来た花なのです。
それではと「日本原産の花」を検索しましたところ「お花の写真集」というホームページがありました。日本原産の花々の写真が沢山掲載されています。もっとも日本原産といっても東南アジアや中国、シベリアにもある花々です。日本だけの固有種ではありません。
その中から幾つかの「日本原産の花」の写真をお送り致します。
1番目の写真がマンサクです。
2番目の写真はテッポウユリです。
3番目の写真はハナショウブです。
4番目の写真はフヨウです。
5番目の写真はナデシコです。
6番目の写真ははアジサイです。
7番目の写真はカラスウリです。
さてそれでは日本にだけ生育している固有植物の花は何でしょうか?
日本の固有植物(http://d.hatena.ne.jp/naturalist2008/20110520/1305903018)というホームページには日本の固有な花の写真が掲載されて」います。
それを見ると、キンラン、エビネ、クマガイソウ、ウラシマソウなどとあまり数多くないことが分かります。是非、このホームページをご覧ください。花々の詳しい説明があります。
さて次に桜について調べてみました。
『万葉集』には色々な植物が登場しますが、桜もその一つです。しかし、中国文化の影響が強かった奈良時代は和歌などで単に「花」といえば梅をさしていたそうです。万葉集においては梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかったのです。その後平安時代に国風文化が育つにつれて徐々に桜の人気が高まり、「花」とは桜を指すようになったと言われています。
サクラの原産地はヒマラヤ近郊と考えられており、現在、ヨーロッパ・西シベリア・日本・中国・米国・カナダなど、主に北半球の温帯に、広範囲に分布しています。
桜で日本に自生するものとしては5から7種類ほどが認められており、これらの変性や交雑などから数十種類の自生種が存在するそうです。
現在、広く植えられているソメイヨシノは江戸末期の改良種です。
このような花々の海外からの渡来の歴史を知ると時代によって日本人が眺めていた花の風景が変わって来たことが分かります。
年年歳歳、花相似たり、歳歳年年、人同じからず、と言います。しかし時間をもっと長い視野で考えると年年歳歳、花同じからず、となるのです。何故か地球の悠久の歴史が感じられます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)