後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「菜の花畑はフランスにもあります」

2025年01月18日 | 写真
菜の花畑は世界中にあります。
この欄の記事の読者の方の幾人かはフランスにお住まいです。
そこでフランスの菜の花畑の写真をお送り致します。
写真の出典はインターネットで「フランスの菜の花畑の写真」を検索して、多くの写真から美しい写真を選びお借りしました。


「ドイツの菜の花畑の写真」

2025年01月18日 | 写真
あれはもう随分の昔になりましたが、ある年の春先に仕事でドイツに行ったことがありました。列車に乗り、暗いコンパートメントの座席から、まだ枯木のままの森を何故か憂鬱な気分で眺めていました。
暗い冬のままの森が切れて突然明るい菜の花畑が広がったのです。それは一瞬息を飲むような光景でした。忘れられない風景です。
それを思い出し、「ドイツの菜の花畑の写真集」を検索しましたところ私の思い出の風景写真が幾つも出てきました。
そこで4枚を選んでお送りします。私の思い出の菜の花畑の風景は2枚目の写真のように暗い空の下に浮かびあがるように広がっていました。
1番目は、ドイツ、ブレーメンの菜の花畑です。
出典は、「ドイツの菜の花畑の写真集」を検索すると出ています。
2番目の写真は、ドイツ、テューリンゲン州の菜の花畑です。
出典は、「ドイツの菜の花畑の写真集」を検索すると出ています。
3番目と4番目の写真もドイツの菜の花畑の写真です。



「東京の春の菜の花畑、そして菜の花の追憶」

2025年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

何故か私は春の菜の花が好きです。最近その理由を考えていたら2つの理由を思いつきました。

幼少の頃、庭の花壇に父が植えた菜の花に蝶が飛んでいました。春の暖い陽射しが蝶の白い羽根にあたり、キラキラしていました。そんな風景が心に焼き付いています。

短気で厳しかった父でしたが、草花へは根気が続き、庭には毎年、四季折々花が絶えませんでした。春になると一番先に菜の花と水仙が咲いていた庭を思い出します。戦争中でしたが、我が家の庭だけは平和でした。楽しい追憶です。

そしてそれからずうっと後になって、1974年にドイツを独り旅をしていた時の思い出です。薄暗い列車のコンパートメントの窓から、低い雲に覆われた野や林を見て居ました。

春先でまだ冬の様な光景が淋しく延々と広がっているのです。列車が憂鬱な林を抜けると、突然一面に菜の花畑が広がっていたのです。アッと息を呑んでしまいました。その花畑は明るい黄色で輝いています。中空に浮いているようにも見えます。

菜の花畑が暗い憂鬱な北国の冬を一気に吹き飛ばしているのです。感動しました。あの一面の菜の花畑の光景はこうしてキーボードを叩いている私の心に鮮烈に蘇っているのです。春の到来を告げる感動的な情景でした。当時のドイツでの仕事の苦しさと混じって何か悲しいような追憶です。

毎年、浜離宮の菜の花畑が咲きます。2011年にその写真を撮るために隅田川の川下りの船を浜離宮で降りました。下にその時撮った写真をお送り致します。これも菜の花にまつわる追憶です。094096 092

今日は東京の春の菜の花畑の写真をご紹介致しました。、そして菜の花に
にまつわる思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)