後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「午後の散歩は都立武蔵野公園まで」

2025年01月20日 | 写真
午後の散歩は都立武蔵野公園まででした。
春のような陽気に誘われて武蔵野公園まで行きました。
カメラを忘れたので冬の都立武蔵野公園の写真をインターネットからお借りしてお送り致します。
 

「国立西洋美術館にある松方コレクション」

2025年01月20日 | アート・文化
松方コレクションは川崎造船所の社長を務めた実業家の松方幸次郎 (1865 - 1950) が1916年頃からの10年余に、イギリス、フランス、ドイツ等で収集した美術コレクションです。

西洋近代の絵画・彫刻と日本の浮世絵が主体ですが、中世ヨーロッパの板絵やタペストリーも含んでいます。

西洋美術コレクション約3000点については散逸・焼失した作品も多いが、このうち、フランス政府から返還された近代フランス絵画・彫刻等370点を基礎として、1959年に東京・上野に国立西洋美術館が開設されました。

特にロダンの「地獄の門」、「考える人」、ルノアールのアルジュの女、4枚、合計6枚をお送り致します。
 

「芸術は爆発だ!と叫んだ岡本太郎の美術館」

2025年01月20日 | うんちく・小ネタ

岡本太郎は日本が世界に誇れる実に独創的な芸術家です。私は彼の絵や造形が大好きです。好きな人の作品をブログでご紹介することは楽しい作業です。

岡本太郎美術館は川崎の西端にあって近いので何度も訪れました。まずその美術館に展示してある彼の作品の写真をご覧下さい。

岡本太郎は1911年に生まれ、1996年に85歳で亡くなりました。19歳でパリに行き、10年間フランス生活していました。しかし第二次世界大戦勃発で帰国し、召集され4年間中国戦線へ行きます。捕虜になり1年の捕虜生活のあと帰国しました。その後、縄文土器に感銘し、そのルーツを求めて日本各地や沖縄、韓国を訪問しました。ユーラシア大陸、シベリヤ、韓国、沖縄、日本と脈々と続く民族文化の根底を検証しました。それで私は彼のことを「縄文芸術家」と思っているのです。

1996年の死後、太郎の養女の敏子さんが川崎市と熱心に相談して1999年に市立美術館として多摩区の生田緑地公園に岡本太郎美術館を開設しました。館内には岡本太郎の抽象画の大作や造形が数十点展示されています。私は家内と共に10回以上も訪ねていますが、見る度に新しい感動を受けるのです。エネルギーを与えられたような気持ちになります。帰途の景色が輝いて見えます。

企画展も並行して開催されています。ある時、「岡本太郎が見た韓国」展がありました。1964年と1977年の2度の韓国旅行の報告でした。岡本太郎は日本の民族文化の根源が韓国、シベリア少数民族、そしてさらにペルシャまで続いていることを指摘していました。そんな韓国の写真展でした。この写真展を見ながら、彼がフランス滞在中にパリ大学の民族文化関係の学科に在籍していたことを思い出しました。

美術館には瀟洒なレストランもあり、ゆっくり昼食を楽しめます。館内には売店があり絵葉書や太郎ゆかりの品を売っています。


最後の写真は家内が撮った岡本太郎の美術館です。撮影日時:2008年9月21日。
売店で、特にお勧めしたいのが、彼が書き下ろした数多くの本です。日本各地への旅の紀行や芸術論関連の本です。「沖縄文化論」もあるし、「青春ピカソ」もあります。
母、岡本かの子の文才が彼にもあるようです。読みやすく、読者に熱く語りかけているようで、つい引き込まれます。妻の敏子さんの「太郎名言集 芸術は爆発だ」もあります。

川崎市立岡本太郎美術館の詳細は、URL;http://www.taromuseum.jp  に御座います。

「芸術は爆発だ!」と叫んだ岡本太郎の美術館をご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「ポール・セザンヌの油彩画」

2025年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
ポール・セザンヌ(1839年- 1906)は、フランスの画家で当初はクロード・モネやルノワールらとともに印象派のグループの一員として活動していたが、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求します。ポスト印象派の画家として紹介されることが多く20世紀の美術に多大な影響を与えました。しばしば「近代絵画の父」と言れています。

さて私はセザンヌの絵を200枚位幾つかの部屋の壁一面に飾ってある館を訪ねたことがあります。それはニューヨークから列車で1時間くらい行った田園地帯にあった昔の金持ちの館でした。セザンヌ美術館として公開していました。
その壁一面の絵画を見ると明らかに未完成の絵が半分以上あったのです。それどころか描きかけの絵さえ数十枚あったのです。
それには吃驚しました。その館の主がセザンヌの絵なら何でも良いと買い集めたに違いありません。それだけ強くセザンヌを愛していたのです。
同時に芸術家は実に気まぐれで途中でその絵を描くのを止めてしまう人もいると知ったのです。
そんな未完成の絵画を画商が持ち出して売ってしまうのです。

それ以来、私はどんな有名な画家の絵でもその絵としての完成度を注意深く見るようになりました。
日本の有名な画家でも未完成の絵が市場に沢山出回っている人がいます。誰とは申しません。

それはさておきセザンヌの完成された絵には感動されます。
青い色を巧みに使った風景画も大好きです。リンゴの紅色も深い色合いを出しています。
人物画の人間がまるで生きているように描いてあります。
特に好きな作品はリンゴや瓶や籠をあしらった静物画です。
そこで今日はセザンヌの完成尾の良い油彩画を5点お送りします。出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・セザンヌ、です。

1番目の写真は『オーヴェルの首吊りの家』1872-73年、55 × 66 cm。オルセー美術館蔵です。
2番目の写真は『アヌシー湖』1896年。コートールド・ギャラリー蔵です。
3番目の写真は『カード遊びをする人々』1890-92年、65 × 81 cm。メトロポリタン美術館蔵です。
4番目の写真は『果物入れ、グラス、りんご』1879-82年作です。
5番目の写真は『リンゴの籠のある静物』1890-94年。シカゴ美術館蔵です。
 
 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「独創性に感動するゴッホの油彩画、7点」

2025年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
ゴッホの油彩画は何度眺めても感動します。その独創性に感動するのです。
そこでゴッホの油彩画、7点をご紹介したいと思います。
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh/1853-1890)は、オランダに生まれ、主にフランスで活動した後期印象派の代表的画家です。37歳で夭折した天才でした。
ゴッホが画家を志したのは、27歳になった1880年のことです。ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年、28歳の時にに実家の自宅に画室を作ったのです。それまでは職を転々としていたのでした。
ですからゴッホの画家としての活動はたった約10年間と短いものでした。その10年間で描いた油彩は900点であると言われています。
しかし生前に売れた絵はたった1枚、『赤い葡萄畑』だけでした。
現在でこそ極めて高い評価を得ていますが、不遇の生涯を送り、弟テオドールの援助でなんとか生活していたのでした。そして現在有名な傑作は晩年の2年半に集中しているのです。
今日はフィンセント・ファン・ゴッホの油彩画を7点お送り致します。
1番目の写真は1885年の「馬鈴薯を食べる人々」です。
この油彩画はかれの初期の作品で、1885に描かれました。それはキリスト者として貧しい生活の人々に寄り添った絵画でした。
しかしこの画風は続きませんでした。1886年に、ゴッホはパリの弟テオのところに同居します。初めてモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどの作品を目の当たりにしたのです。
華やかな印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に活き活きした色彩へと変貌したのです。
1番目の暗い画風から2番目以降の作品の印象派らしい明るい作風へ大きく変化したのです。
2番目の写真は1888年の「ひまわり15本」です。ゴッホ自身はひまわりが大好きでした。作成したひまわりの絵の膨大な量と、彼が兄や友人に書いた手紙の説明の両方からわかりますます。
 ニューヨークでは、 クレラーミュラー美術館 、オッテルローでは、 ゴッホ美術館(Van Gogh Museum)、 アムステルダムのベルン美術館、ロンドンのナショナルギャラリー 、 フィラデルフィア美術館、東京のSOMPO日本美術館、ミュンヘンのノイエピナコテークなどに展示してあります。 
3番目の写真は1890年の「麦畑」です。
 ゴッホは、種まき、収穫、麦束など、農民と自然のサイクルの密接な関連に特に関心を持っています。 耕すこと、種をまくこと、収穫することは人間の努力の象徴と考えたそうです。
4番目の写真は1888年の「ローヌ河の星月夜」です。この絵は、1888年にゴッホの油彩画です。ゴッホがアルル滞在時に、夜のローヌ川の堤防の一角の風景を描いたものです。 
5番目の写真は1888年の「黄色い家」です。 この家は、1888年5月1日にゴッホが借りたフランスのアルルにあるラマルティーヌ広場2丁目の右角にあった4フロアの家屋のことです。 
6番目の写真は1888年の「アルルの跳ね橋」です。小さな馬車が通っている跳橋です。青い川と、草がオレンジ色の土手に多様な色彩服や帽子の洗濯女がかたまって描きこんでいます。
7番目の写真は1888年の「ファン・ゴッホの寝室」です。
この作品は、1888年にゴッホによって制作された油彩画です。ゴッホ自身が付けたタイトルは「寝室」でした。 
「黄色い家」として知られる、フランス、ブーシュ・デュ・ローヌ県アルルのラマルティーヌ広場2番地のゴッホの寝室を描いたものです。

ゴッホの絵画について解説は不要です。見れば何故か心が揺さぶられるのです。
最後に一つだけ私の体験的な感動を書かせて下さい。
それは中年の頃、アメリカの中西部のある町で研究の仕事をしていた時のことです。そこの市立美術館にゴッホの絵が2枚だけあったのです。
仕事に行きづまり、落ち込んでだことが何度かありました。そのたびにゴッホの絵を見に行ったのです。感動しました。胸が熱くなります。勇気が湧いてきます。また研究に対する情熱が燃えたのです。
ゴッホの傑作は何点も以前にフランスの美術館で見ていました。アメリカのその町の市立美術館の2点は決して良い出来ではありませんでした。しかしその筆使いと部分的な色彩が、以前に見た感動的な作品を瞬時に眼前に再現してくれたのです。
絵画から勇気を貰い研究に対する情熱を貰った経験は生涯一度だけでした。
マネーもモネーもルノアールも美しい絵を残しました。シスレーもセザンヌの絵画も感動的です。
しかしゴッホの絵から受けた魂を揺さぶるような影響はありません。ゴッホの絵は私の体を振り動かしたのです。
そして生きていることへの歓喜を与えてくれます。ふたたび仕事へ対する情熱に火をつけてくれたのです。
現在89歳になった私は仕事を止めて久しいのです。もう仕事のことはすっかり忘れました。しかしゴッホの絵から貰った歓喜と情熱を今でも憶えています。

今朝、彼の絵を沢山みながら自分の好きな7点の絵を見て、その説明をゆっくり読みました。それは実に楽しい時間でした。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「日本の藝術に何故独創性が無いか?フランスとイギリスと比較して」

2025年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は「何故日本の藝術に独創性が無いのか?」という問題を考えてみます。その原因はいろいろですが、今日は特に小学校の教育が日本人の独創性を殺してしまうということを具体的に書いてみたいと思います。記述を分かり易く個条書きにしますのでお気軽にお読み下さい。

(1)運動会のような集団行動が子供の独創性を弱くする
まず小学校では国語、算数、理科、歴史、地理以外の科目は教えない方が良いという提案です。
そして学芸会や修学旅行や運動会などといった集団で行う学校行事は一切止めるべきだという問題提起なのです。
日本の学校は協調主義を強要するあまり発達障害を持つ子供の人権を踏みにじっている恐れがあるのです。発達障害を持つ子供だけではありません。いろいろな意味でのマイノリティの人権が軽視されているのです。学校が地獄になっているのです。

以下にある母親から頂いたフランスの小学校の実態を示します。

1、小学校では、遠足や運動会、学芸会と言った集団で行う学校行事はなく、親の参観日も無いのが普通のようです。

2、そもそも、体育とか、音楽、図工、家庭科と言った授業は無いのです。第一そのための設備もありません。
スポーツ、芸術などは、フランスでは各家庭で楽しむことで、学校の集団教育の中で教えることではないらしいのです。

3、水曜日には各地区の学校とは別の施設で、“スポーツやレジャー”という自由な活動があり、スポーツや絵画、焼き物、工作、手芸などの図工から好きなものを選んで、学校の外の指導者もついて、楽しんだり、技術を磨いたりする。参加は全く自由だが、学校ではできない体育、図工の経験がここで補っている。

以上のようにフランスの公的な小学校では余計な学校行事はしないが普通です。日本のように全体主義的な雰囲気がありません。個人の人権を大切にしているようです。

(2)日本の小学校では人権意識が低い教育をしている
日本人には人権意識があまり無いように私は感じています。戦後、マッカーサーのくれた憲法には「基本的人権の尊重」が格調高く謳われていいましたが、日本人は重要視しませんでした。現在でも人権が軽ろんじられています。

その原因の一つに日本の学校教育があると考えられます。
学校では協調性のない子供は差別され冷遇されます。特に発達障害の子供は差別されます。いじめの対象にもなりがちです。
このような教育で成人した人は、他人の苦しみや悲しみが分らない人になります。職場でも、いじめや差別をする人になってしまいます。

イギリスの小学校で子供さんを育てたMionFさんという女性の方から頂いたコメントをご紹介します。
・・・学校と言うのは不思議な場所です。不登校や引きこもりをする子はもちろん少数ですから、そんな子達こそ異常だ、何か問題がある、と言う見方もありますが、そもそも毎日ハッピーに問題なく学校に通う子供の方がおかしいんじゃない?と言う考え方もできませんか? 
発達障害があってもなくても学校と言う集団生活にうまくはまれない子達の方が、感情面では成長が早くて大人だったりすることもあります。知能指数(IQ)が高い場合もありますよね。
そんな事実があるにもかかわらず、日本の学校の集団教育にはまらない子ども達は恐ろしく不幸で混迷した学校生活を送ることになります。・・・

(3)発達障碍者の人権軽視の風潮
日本の学校は集団行動の重要性を教えます。それが出来ない生徒を先生は叱ります。先生は自分の言うことに従わない生徒を憎みます。それを見た同級生がその生徒を虐めます。
当然、その生徒の個人的な人権は蹂躙されます。これが現在、日本の学校の虐めや不登校の原因の一つになっています。
ところが発達障害の生徒は先生の言うことに従いたいのですが体が動かないのです。同級生と集団行動をしたいのですが体は別の動きをします。先生は感情的になるばかりで発達障害の生徒の苦しみにまったく無理解なのです。同情の片鱗もありません。
欧米の学校で飛び級をした日本人の生徒が帰国すると、日本では虐めの対象になり潰れされてしまいます。

(4)個性を消し独創性を抹殺す教育とは?
日本人は先天的に独創性が無いのでしょうか?
結論を先に書けば、日本人にも本来は独創性があったが明治維新以後の富国強兵を目的にした集団行動重視の教育が独創性を抹殺したというのが私の主張なのです。そして西洋の科学技術を導入して軍事技術を強化していった社会体制が個人の独創性を必要としなかったのです。
学校教育では先生が協調の重要性を教え生徒の集団行動を訓練します。
勿論、協調性は人間の社会生活を円滑にする大変重要なものです。ですからこそ入社面接では協調性を厳しく評価されるのです。
しかし小学校からあまりにも協調性を押し付ける教育をすると生徒は自分でものを考えないようになります。先生の言う事に従ってさえいれば先生が喜びます。会社に入社しても上司の言うことをよく聞き、同僚と協調する人は出世が早いのです。
しかしこれでは個人の独創性は邪魔になります。こんな教育や社会なので日本人の独創性は育たないのです。

この様子を分かり易く書いた小文を以下に示します。イギリスに長年住んでいる石山 望さんが2017年02月18日にコメントとして送って下さったものです。
・・・基本的に、日本人は、「自分の考え」を持つように教育されていないと思います。
学校でも(高校までならば)、先生の言われることを、金科玉条みたいに信じて、生徒は、質問すらしません。少なくとも私の行った公立学校ではそうでした。
為政者には、こういう国民、実に御し易い。
尤も、あくまで一般論ですが、こういう日本人のあり方にも、勿論、いいところはあります。
極端に、「とんでもない」人が出てこないということです。
私が住む英国では、大抵の子供が、まるで小さな大人みたいに、はっきりと自分の意見を述べる代りに、中には「とんでもない」のがいます。・・・

このようなイギリスの教育は日本に導入されにくいものです。
何故ならイギリスの教育はその社会と密接に関係しているからです。それは日本と同様です。

今日は「日本の藝術や学問に何故独創性が無いか?」という問題にかんして私の考えの一端を書きました。今日は学校における集団教育や協調性の過度な教育が原因ではないかという主張です。

今日の挿絵代わりの写真は岡山県の奈義の菜の花畑です。
詳しくは、、https://www.jalan.net/kankou/spt_33623cb3512096741/ をご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)