後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「月山、羽黒山、湯殿山などの出羽三山の写真」

2025年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
出羽三山は、山形県の中央にそびえる月山(1984m)、羽黒山(414m)、湯殿山(1500m)の総称です。三山といっても独立した三つの山があるわけでなく、月山を主峰に、峰続きの北の端に羽黒山があり、月山の西方に湯殿山があります。
 最近は寒い日々が続いています。特に夜はひどく冷え込みます。そんんな夜には森敦の「月山」という小説をを思い出します。
東北地方に生まれ育った私は「月山」に描かれた冬の寒さが身にしみてわかるのです。

冬を迎えると月山は吹雪や霧により下界と遮断されてしまう異世界なのです。

写真は月山、羽黒山、湯殿山などの出羽三山の雪景色の写真です。一番目の写真の中央の峯が月山です。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「森敦の月山」

2025年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
森敦の「月山」は今も読み継がれる、芥川賞の名高い小説です。
出羽の霊山・月山の山ふところにある破れ寺に、ひとりの男がたどりつく。炉ばたでひたすら割り箸を作り続ける寺の男、女たちによる念仏のあつまり、庭を見せようと豪雪にもかかわらず雪かきにはげむ老人……。雪に閉ざされた山間のむらで、不思議な村人たちと暮しをともにするこの男が知った此の世ならぬ幽明の世界を描いています。

さて、この作品を私なりに解釈すると、これは森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品である。
 この作品では、月山を「死者の行くあの世の山」として描いている。即ち、現世とは隔離された異世界として、月山を、そして「山ふところ」にある七五三掛(しめかけ)というを捉えているのである。実際冬を迎えることで、この山中の地は雪や吹雪や霧により、下界と遮断されてしまうのだ。
 そして、「わたし」はその異世界の中で数々の奇妙な体験をする。その中でも最たるものが、冬になってこの地にやって来た押売りたちが、吹雪の中で行き倒れになってしまうと、その死体をミイラにして観光の呼び物にする、という風習である(実際、注連寺では即身仏で有名な寺である)。・・・・以下省略。

写真は月山です。
山形県のほぼ中央にあり、羽黒町、立川町、西川町とに境を接しています。
 

「私の大好きな富士山と清貧の思想」

2025年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
日本に生まれ育った人々は日本人として誇りに思っていることが沢山あります。富士山もその一つです。それから「清貧の思想」も日本人は好きです。憧れています。
新春にあたり富士山の風景をご紹介して、続けて「清貧の思想」について小文を書いてみたいと思います。この2つは清らかさという点で深いところで関連があります。
さて富士山は世界文化遺産に認定されているのです。それは2013年のことでした。
認定された「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」には、それを証明する構成資産が全部で25箇所もあるのです。それらは富士山、富士五湖、忍野八海、北口富士浅間神社などです。
私も家内も富士山が好きなので何度も写真を撮りに行きました。そこで世界文化遺産の富士山の写真と北口富士浅間神社の写をお送りします。北口富士浅間神社は数年前に撮ったものです。

1番目の写真は山中湖の北岸から見上げた富士山です。広い駐車場があり、湖岸に沿って自転車道路があります。写真をゆっくり撮れる場所なので必ずここから富士山の写真を撮ります。
雪に覆われた富士山は神々しく見えます。自然に祈りたくなります。古来から、この山は信仰の対象だったということが納得されます。
2番目の写真はヨットのある富士山の風景です。このヨットはいつも沖に係留されています。富士山と沖に停泊しているヨットの風景が好きで何回も写真に撮りました。そのヨットも冬にはこうして陸揚げされているのです。
3番目の写真は北口富士浅間神社の本殿です。元和元年(1615)に鳥居土佐守に創建されました。一間社入母屋造、向拝唐破風造、檜皮葺屋根、安土桃山様式で 昭和28年、国指定重要文化財に指定されました。
4番目の写真は修験者と僧侶に導かれた富士講の行列です。富士山信仰の修験道の山行きの出発前の行列なのです。
「六根清浄、・・・」と唱和する声が杉並木に神秘的にこだましていました。

さて清貧が人生で重要なことは日本の古くからの文化です。
この世の一切の欲望を捨て、心の充実を求めるのが清貧の道です。仏教の教えでもあり、昔から西行,吉田兼好,松尾芭蕉などの書によって日本人の心に沁み込んでいます。
最近では中野孝次(1925年 - 2004年)の著書、『清貧の思想』がベストセラーになって1990年代に再び「清貧」という考えかたが脚光を浴びたものです。
中野孝次の著書の内容は,西行や芭蕉 など,いわば世捨て人の風雅の暮しを論じたもので、日本の伝統で、目新しいことではありません。しかし,ちょうどバブルがはじけた時期と重なり「清貧」の語が新鮮な響きをもって復活したのです。そのせいか驚くほどの反響があり、私も愛読したのです。
振り返ってみると、私は戦後の貧しい頃、新制中学校で金儲けは悪で、清く正しく生きなさいとさんざん教わりました。
金儲けは悪ということは間違いですが、清く正しく生きることは現在でも非常に重要だと信じています。
しかし人間は弱いもので清く正しく生きることほど難しいものはありません。実行出来ないのです。
しかし「清貧の思想」と合致する私の趣味をご紹介いたします。
それは山林の中の貧乏くさい粗末な小屋に通い樹林を眺める趣味です。贅沢な別荘の対極にある貧相な小屋です。
1974年に甲斐駒岳の麓に作りました。深い、深い森の中です。長い間、電気・水道・ガスの無い小屋でした。
山林の中の小屋に行くたびに私は清貧の思想を思い出し、すがすがしい気分になったものです。厳寒の夜に一番頼りになる有難いものは薪ストーブです。窓の外には小川の水音が響き天上には満天の星が輝いています。
この小屋を作った頃、森敦の「月山」いう小説が第70回芥川賞を受賞しました。
話は月山のふもとにある厳寒のお寺で冬を越すという話です。自分の冬の小屋の体験と同じなのです。
読むと寒さが一層身に沁みます。「月山」は深い内容の美しい作品として忘れられない小説でした。
私は富士山を誇りに思っています。清貧の思想は実行は出来ませんが、一生憬れの対象になっています。日本人の美しい精神のバックボーンとして誇りに思っています。

今日は富士山の風景をご紹介して、続けて「清貧の思想」について小文を書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)