後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「芸術の秋(2)笠間日動画廊美術館と板谷波山記念館」

2024年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

茨城県の水戸には県立美術館があり北茨城には県立天心記念五浦美術館があります。
そして笠間市には笠間日動画廊美術館と県立陶芸美術館があります。笠間の西隣りの筑西市には板谷波山記念館があります。

私はこれらの美術館を以前に家内と一緒に見てまわりました。水戸の県立美術館での中村彜の特別展は印象深いものでした。
今日は笠間日動画廊美術館の展示の絵画と板谷波山記念館の板谷波山の陶芸作品をご紹介したいと思います。
まずこれらの写真を示します。

1番目の写真は「泉のそばの少女 」 オーギュスト・ルノワール (1841-1919)です。

2番目の写真は「ヴェトゥイユ、水びたしの草原 」クロード・モネ (1840-1926)です。

3番目の写真は「パリ裏街 」 佐伯 祐三 (1898-1928)です。

4番目の写真は板谷波山の彩磁藤文花瓶です。

5番目の写真は彩磁花弁紋香炉です。

6番目の写真は白磁唐草文壺です。

7番目の写真は青磁袴腰香炉です。
これらの数少ない写真だけでは笠間日動画廊美術館や板谷波山記念館の多数の展示品から受ける感動はお伝え出来ません。それらのほんの片鱗をご紹介したのです。
日動画廊の展示絵画は豊富です。どれも身近に置きたくなるような楽しい油絵が並んでいます。その上、有名な絵描きさん達と親交が深かったので、美しいパレットが蒐集展示してあるのです。アトリエの中の画家の息吹が感じられるのです。
日動画廊は銀座や名古屋など各地にあります。お店は出入り自由の美術館のようです。その上、その店で時々、個展を開いているのです。
単なる画商ではなく絵画芸術の普及に努力し、画家達を応援しているのです。その精神は尊敬に値しますので以下に創業者の長谷川仁さんをご紹介します。
彼は1928年に友人の弟で洋画家であった松村建三郎の助言で洋画商を志し横浜貿易会館で洋画大展覧を開催したのです。
1931年には、日本動産火災保険の当時の社長の粟津清亮の好意で京橋区銀座5丁目に「東京画廊」を開きます。それをすぐ「日動画廊」と改称して、洋画だけの画商として現在に至っています。
長谷川仁氏は1897年に生まれ 1976に亡くなりました。
そして1965年には、出身地の茨城県笠間市に笠間日動美術館を作ったのです。

一方、板谷波山は明治5年(1872)に茨城県に生まれ昭和38年(1963)に亡くなりました。
明治27年東京美術学校彫刻科卒業後、明治36年に田端に居を構え、「波山」と号し、陶芸家としての道を歩み始めました。貧窮の生活の中で窯を築き、明治39年初窯に成功し、翌年には東京勧業博覧会で三等賞を受賞。以後様々な展覧会・博覧会で入選・受賞を重ね、陶芸界での地位を不動のものとしていったのです。
板谷波山の作品は静謐な美です。眺めていると心が静まります。そしてその上品な美の世界へ吸い込まれていくのです。宗教とはまったく別な崇高なものを感じさせます。嗚呼、そういうのが陶芸芸術なのだと納得するのです。茨城県の筑波山の北の山麓にある筑西市に生まれ育ったので筑波山の筑を消して波山と号したそうです。

波山の精神性に溢れた陶磁器が沢山あるのが板谷波山記念館です。そして笠間日動画廊美術館の近所にある茨城県立陶芸美術館にも波山の作品が沢山展示してあります。
是非、笠間日動画廊美術館と板谷波山記念館にあわせて茨城県立陶芸美術館もご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


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