大原美術館は、倉敷で幅広く活躍した事業家大原孫三郎が画家児島虎次郎を記念して1930(昭和5)年に設立しました。日本で最初の西洋美術の私立美術館です。
孫三郎は、友人の児島虎次郎の才能を高く評価し、三度にわたる渡欧を支援しました。
そこで児島虎次郎はヨーロッパの美術作品を選び取るという作業をしました。
彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらします。
大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術作家たちの仕事等にコレクションを広げ民間総合美術館として大原美術館を作ったのです。
私どもも大原美術館を訪れ、その絵画の数の多さと美しさに感動しました。はるばる倉敷まで行ったかいがありました。
それでは写真で大原美術館をご紹介しましょう。
1番目の写真は大原美術館です。
2番目の写真は受胎告知/エル・グレコ(1590年~1603年ごろ作)です。
3番目の写真はルノアールの「泉による女」です。
4番目の写真はゴーギャンの「かぐわしき大地」です。
5番目の写真は関根正二の「信仰の悲しみ」です。
6番目の写真は小出楢重の「Nの家族」です。
7番目の写真はヘンリー・オッテマンの「少女」です。
小出楢重の説明を加えておきます。
小出楢重は大阪に生まれ、岸田劉生や中村彝と同時代の画家です。
黒田清輝以来の当時の洋画壇に飽きたらず、単なる洋画の輸入ではなく日本独自の油絵を確立しようと真摯に努めた画家の一人でした。
「Nの家族」は大正八年の第七回二科展に出品され、他の二点とともに有望な新人に与えられる樗牛賞を贈られ、それまで不遇であった画家が画壇に地歩を築くきっかけとなった作品です。
「Nの家族」制作当時、すでに劉生や河野通勢等の画家が北欧ルネサンス風の写実的な表現を追求していましたが、小出自身の境地を開こうとします。
「Nの家族」は小出楢重の前期の代表作であるばかりでなく、その緊密で力強い構成と表現により大正時代の洋画を代表する一作となりました。
今日は日本で最初の西洋美術館の大原美術館をご紹介しました。最後に小出楢重の「Nの家族」に関する説明をしました。
それはそれとして今日も皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。後藤和弘