後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人生(人間)いたるところに青山あり

2009年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

高校時代の漢文の先生からこの一節を習って以来、長い人生の折々に必ず思い出す言葉です。仕事がうまく行かなくて屈折しているとき。残雪の連山を見ながら亡くなった親や恩人のことを思い出しているとき。海の上でヨットに乗っているとき。フッと思いだして青山でなく青い海原に眠る人々のことを思うこともあります。

お墓を作るところ(青山)は何処にでもあります。故郷を出て広い世の中で活躍しなさい。そんな意味と習いました。正しくは、人間(ジンカン)至る所青山ありと読むらしいです。

最近、ブログの上で交流している方々には日本の故郷を遠く離れて何年も異国に住んでいる方々がいらっしゃいます。ベルリンに住んでいて「ベルリン中央駅」というブログを書いている若い男性、そして昨日ご紹介した南フランスのparismidori さん。イギリスのeko さん、ネパールに住んでアジアの手織物を蒐集しているHikarunoさん。こういう方々のブログを読んでいると、「人生いたるところに青山あり」、という言葉を思い出します。ドイツやフランスやイギリス、そしてネパールには必ずや美しい青い山が有ると信じています。これらの方々へ「人生いたるところに青山あり」という言葉をお送りしたいと思います。

ところで青山を青い海原としても良いと思うことがあります。ブログの上の交流をしているメルさんのお祖父さんは文字通り海へ散骨されたようです。その散骨の写真がhttp://c11z5vlw.securesites.net/prime/naominoyume/ に掲載してあります。

先週、生涯お世話になった恩人の、元海軍技術士官だった方が亡くなりました。青山という言葉から青い海原を連想しました。家族だけで神道のお葬式を済まされたそうです。いずれ榊を捧げに参上したいと思います。きょうは此処に、夕日に輝く海の写真を掲載し、ご冥福をお祈りいたします。

今日は皆様も「人生いたるところ青山あり」という言葉を思い出して、伸び伸びと一日をお送りになるようにお祈り申しあげます。  藤山杜人

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ブログは遠方に住む人も社会の構成員として受け入れます

2009年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログはそれを書いたり、読んだりする人々で構成されるダイナミックな実社会です。従ってブログを書くことによって孤独な存在が社会的存在へ変わります。

遠方の外国や絶海の離島に独り住んでいてもブログを書くことにより社会的な繋がりが出来ます。個人の喜びも悲しみもこの社会の構成員の人々と分かち合うことが出来ます。人はもはや1人ではなく、多くの人々としっかり繋がっているからです。

5月24日に南フランスの田舎で孤軍奮闘しているパテシエの parismidoriさんの文化活動をご紹介致しました。すぐに下記のようなコメントを頂きました。

藤山様、こんにちは。この度は、再度私のブログをご紹介いただきありがとうございます。日本から、また町から遠くに住む私にとって、こうしたインターネットでの交流は、日常の会釈やちょっとした会話に代わる社会活動のひとつのかたちとも感じております。きょうのように記事にしていただいたり、温かなコメントを頂戴することで、どれだけ力づけられていることでしょう。心よりお礼申し上げます。そして、私のまわりの風景が、日本のどなたかに喜んでいただければ幸いです。次は何をお見せしようかしらと、ささやかなブログではありますが、また”やる気”にさせていただきました。ありがとうございます。 投稿 parismidori | 2009/05/25 06:35


ある海軍技術中尉と海軍の全ての戦死者へのオマージュ

2009年05月26日 | インポート

帝国海軍の技術将校の中尉だった恩人が先週静かに、そしてスマートに旅立ちました。

追悼記を掲載しましたところ、いくつも有難いコメントを頂きました。

一つだけ下記に示します。

素晴らしいお話しですね。私の祖父は海軍の機関科の将官でした。亡くなった叔父達二人は造機と造兵の技術士官でした。(父は兵学校の生徒で終戦でした)。叔父達の残した話によれば数の少なかった技術士官達はそれこそ想像を絶する苦労をしたようです。国のために命をかけて仕事に取り組まれた藤山さんの恩人に心よりお悔やみを申し上げます。投稿 Licht | 2009/05/25 22:30 

帝国海軍の戦死者の全てへ、そして、先週亡くなられた恩人の技術将校の中尉へのオマージュとしてこの小文と、海軍の予科練のあった霞ヶ浦の写真を1枚お供えいたします。

(下の写真の右側の鉄塔の左下に予科練がありました。現在は自衛隊の武器学校ですが、その構内に予科練と神風特攻隊の記念館があり、公開しています)

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村田旭画伯の爽やかなパステル画をもう2点ご紹介いたします

2009年05月26日 | 写真

おはようございます。今日は村田旭画伯から転載のお許しを頂いたもう2点のパステル画をご紹介します。上の絵は「コスモスの咲く」という題で下の絵は「黒のベルベットチョーカー」という題です。

村田画伯のHPのギャラリー : http://www.k5.dion.ne.jp/~vasenoir/ には他にも数多くのパステル画が御座います。特に花々の絵と女性の美しい姿の絵が素晴らしいと思います。

今日は、皆様、村田画伯の絵をご覧になって、一日中爽やかなお気持ちで過ごされますようにお祈り申し上げます。                  藤山杜人

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ある海軍技術士官のスマートな旅立ち

2009年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム

昭和10年以後、帝国大学の工学部を卒業した多くの人々は海軍の技術工廠へ入りました。技術士官として少尉になるのです。海軍が使う艦艇を造り、海軍の戦闘機の開発に参加したのです。また呉の製鋼所に入り働く人もいました。戦後は大学に戻ったり民間会社へ入ったりしました。しかし、若い頃、海軍の訓練を受けると影響が大きいようです。時間に正確で、明るくて、公平で、全てに建設的な態度をとるのが海軍と理解出来ます。私の恩人もそのような方でした。長い間お世話になっていると帝国海軍の良い面だけが輝きとなって私を明るくしてくれました。

その方が先週、静かに旅立ちました。2年ほど前にガンになり闘病生活が始まりました。

静かにスマートに一生を終えたいとお考えになったようです。年賀状も止めましょう。お歳暮ももう結構です。もう静かになりたいのです。随分とお世話になりました。と、恩人が若輩の私へ手紙を下さったのは2年ほど前でした。そして今年の1月には小康状態になったので近くの公園を奥様と一緒に散歩している。と、明るい葉書を下さいました。

2年程前、発病の前に、ある方のお葬式が教会でありました。その帰り道、私と恩人ご夫妻とゆっくり歩きながら久しぶりに話し合いました。階段を降りるのが怖い以外はすべてが楽しく、幸せな毎日ですとニコニコ笑いながら話していました。

この恩人と初めてお会いしたのは1961年、オハイオ州立大学でした。その時、恩人はある大学の教授でした。「日本へ帰ったら、私の研究室へ来ても良いですよ」と言ってくださいました。1962年オハイオから帰国し、この恩人の方の研究室に入りました。

それ以来、大学の助教授の席を探してくれたり、学会活動で若い私を引き立ててくれたり、文字通り職業上の全てのお世話をして下さいました。

一生不思議で仕方がありません。卒業した大学も違い、一切の縁故関係も無いのにどうしてこんなに親身に面倒を見てくれるのだろうか?何百回も考えました。

この方のお陰で私の人生が明るくなりました。私も学会を明朗な雰囲気になるように努めました。

見るとこの恩人は他の大学の人々にも公平に接しています。若い研究者を助けようとします。他の大学の研究者が研究発表をすると必ず褒めています。

この方の研究室に4年間お世話になっている間いろいろな所に連れていって貰いました。後年になってからは日中間の技術会議にも一緒に参加しました。思い出は尽きません。

海軍時代の話は一切しませんでした。ただ練習航海として駆逐艦に乗せられて横須賀軍港から台湾まで一回だけ航海したと聞きました。

ご葬儀はご家族のみでした。本当は自宅に参上し線香をたき、お花を供えたいのです。でもご本人はきっと、「それは止してくれ」と仰言るでしょう。

代わりに横須賀軍港を出港し台湾へ向かう折にご覧になったであろう観音埼灯台前の海原の写真を掲載して、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌

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雑木林のお好きな方々へ(14)背景、前景としての那須高原の雑木林の美しさ

2009年05月25日 | 写真

今まで雑木林のお好きな方々へお送りしようと色々な林のたたずまいを撮影して13回の記事・写真として掲載してきました。この13回までは春夏秋冬の雑木林の写真を真正面から撮ってきました。しかし雑木林の美しさは前景や背景に何かを入れて撮影するともっと美しくなることに気がつきました。そこで5月18日に、那須高原では、背景や前景に何かを入れて雑木林を撮ってみました。ここに示す4枚の写真の主題はすべて雑木林です。始めの写真は那須の御用邸の入口の道の両側に続いている雑木林です。二番目の写真は南ケ丘牧場の周囲の雑木林で、青草に休む2匹の馬の背景として撮影しました。三番目の写真はつつじ園の大吊り橋へ続く木道を囲んでいる雑木林です。最後の写真は茶臼岳の前景となっている緑豊かな雑木林です。

色々な場所にある那須高原の雑木林の風景をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日は皆さまがご健康で、雑木林の散歩を楽しむことが出来ますようにお祈り致します。藤山杜人166 205 192 199


アクセス数アップをしてくれるSNS;みんなの足跡「あし@」

2009年05月24日 | うんちく・小ネタ

ソーシャル・ネットワーク・システム(SNSと略記します)には色々特徴のあるものが有ります。教養のある老齢期の男女が集まっているSNS、ジャズ音楽の好きな人々の集まっているSNSなど色々あります。その中でみんなの足跡「あし@」は特に面白い特徴があります。まず構成員が圧倒的に若いのです。それと商品販売のための広告のスペースの間にブログの写真や文章が割りつけたものが半分くらい有ります。商品が売れればお小使いが貰えるシステムになっているようです。しかし商品の宣伝を主たる目的にしないで、自分の写真と文章だけを大きく掲載したブログも半分くらいあります。

このSNSへ入会(無料)すると自分のブログの表紙の左上端に「あし跡」というタグが出てきます。そこをクリックすると自分のブログを開けて見てくれた人々の一覧表がでます。それぞれの名前をクリックするとその人のブログが開けられます。その上、開けたブログが興味ある、良い内容なら「Good!]という項目をクリックします。そうすると私が先方のブログを開けてみて、良い!と褒めたことが先方に分かります。

それを知った先方のブログのオーナーはお返しに私のブログをすぐに見てくれます。気に入ったら、Good!と褒めてくれます。このようにお互いにブログを即刻、読みあうことを推進する機能が付いているのです。私は時にはアクセス数が少ない日もあります。そんな時にはこのお互いに読み合う機能を大いに使います。するとアクセス数が直ぐに増加し始めます。このように打てば響くような機能を持っているSNSは珍しいと思います。先刻、ご承知の方も多いとは思いますが、このSNSは特にアクセス数アップに有効なSNSなので、ご紹介したいと思います。

このSNSのもう一つの特徴は構成メンバーが若いのです。一つの例として、このSNSの中で友人関係になっている、Parismidorさんという若い日本の女性をご紹介したいと思います。南西フランスのボルドー・カスティヨン地区に在住し、お菓子のアトリエの「コクリコの風」と日仏食文化アソシエーションの「ボルドー・みんなのテーブル」を主宰し、運営されている方です。お菓子の写真やお話も素晴らしいのですが、南フランスの花々の写真や風景の写真が心をなごませてくれます。

この方のブログ;http://blog.livedoor.jp/parismidori/ から3枚の写真を下に転載させて頂きました。自然がいっぱいの南フランスの雰囲気をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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ブログを書いているとこんな嬉しいコメントが貰えます!

2009年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

私は、皆様がこのブログを読むと心が休まり、日頃の疲れが霧散するように書いています。写真も大きな数枚を組合わせて、一見しただけで癒されるように、文章の間に割りつけているつもりです。しかし時々は世界平和の問題や、宗教間の対立の問題など、少し考えて頂きたいこともまじえて書いています。

昨日は福島県の山中にひっそり広がる羽鳥湖をご紹介しましたところ下のような2件のコメントを頂きました。このブログの編集方針をご理解して頂き、とても嬉しく思います。

ジークレフさんは心の安らぐ方法を専門にしている方です。 vasenoirさんは村田 旭画伯のことで、一昨日、このブログで2枚のパステル画をご紹介した方です。

==========ジークレフさんからのコメント=============

素敵なブログですね。偶然お邪魔したのですが、本当に素敵なブログで偶然を感謝いたします。

こんにちは。
羽鳥湖をご紹介頂きありがとうございます。

静かで。。。私のすきな場所です。
ブリティッシュヒルズに行く道ですね。

秋の羽鳥はまた格別ですし
冬には氷が張り、ワカサギ釣りも楽しめます。

時々地元のベテランの道案内で温泉&
秘密の山菜採りに出かける場所でもあります。


教養としてのキリスト教(11)歌ミサとキリストの昇天

2009年05月24日 | うんちく・小ネタ

キリスト教では日曜日に教会に集まり一緒に礼拝やミサを行います。そのとき、全ての祈りや、信仰告白の言葉を一緒に歌うことがあります。神父さんが独りで歌い、信者がそれに答えて歌う。対話も歌になっています。それが歌ミサです。もっとも聖書の朗読と説教だけは歌うことが出来ないので普通に話します。

昨日の夕方のミサはこの歌ミサでした。旋律が宗教的で、そして美しく組み上げてあるので1時間のミサが楽しく、陶酔した気分でアッという間に終わります。カトリックの歌ミサも綺麗なメロディーで進みますが、特にロシア正教の歌ミサは感動的なものと聞いています。

宗教的陶酔も楽しいのですが、それだけでは偏狭な信仰になる危険性があります。そこで神父さんの論理的な説教が必要になります。昨日の山本量太郎神父さんの説教はキリストの昇天の事でした。キリストは金曜日の夜に処刑され3日後に復活します。その後の40日の間、12人の弟子たちの前に現われて色々な話をします。そして最後に弟子たちへ、「全世界へ行って、すべての人々へ福音を宣べ伝えなさい」と言って、天に昇って行きます。神の右の座につきます。

これでキリストと人間は、天と地と遠く離れてしまったのです。山本神父さんは、「そうではない」と言います。昨日朗読したマルコによる福音の16・15-20の最後の部分が重要です。と、言います。「弟子たちは出かけて行って、いたる所で宣教した。キリストはいつも天から地上に降りてきて、彼らと共に働いた」と書いてあります。このように話す山本量太郎神父様の隣にキリスト様が立っている。なにか呆然と立っていて、時々我々の方をほほえみながら見るのです。

山本神父さんの優れている点は、何時も自分を中心に考えないで、キリスト様を中心にして考えていることです。従って、毎週の説教は、キリスト様を小金井教会へ呼び寄せる内容になっています。これは容易なようでなかなか出来ないことです。

さてこの稿は「教養としてのキリスト教(11)」です。無宗教の方も、仏教に関心のある方も読んで頂けるように書いているつもりです。特に無宗教の方々も私は尊敬しています。その方々でも以下のようなことは「仏教徒にとっては嬉しいに違いない」と、ご想像出来ると信じています。

「四国88ケ所のお寺を巡るお遍路さんの苦労や、疲れも弘法大師が一緒に歩いてくれれば楽しい旅になる・・・同行二人ですね」---この文章を生涯の旅路に喩えることも出来ます。弘法大師のところを親鸞に置き換えても良いし、 唐時代の玄奘三蔵法師に置き換えてても良いのです。

弱い人間が宗教によって生きる勇気を貰うことは上に書いたようなことと、私は理解しています。(続く)

今日は皆様のご健康と、毎日、はつらつとした勇気をもって生きるようにお祈り申し上げます。藤山杜人


羽鳥湖をご存じですか?

2009年05月23日 | 写真

福島県白河市から西の方角へ会津へ抜ける山道を車で登り、迷いに迷ってしないました。5月17日午前、ブリティッシュヒルズを探している時でした。突然、思いがけず広大なダム湖に遭遇しました。羽鳥湖という農業用水用の巨大な湖でした。観光地でもなく、ただ大量の水が強風で立ち騒いでいます。人が一人もいません。何か不思議な気分になり写真を数枚撮りました。目的地のブリティッシュヒルズへの道はこの湖が見えない南の山道でした。引き返して南側の道を入りこみました。

誰知れず山中に広がる大きな湖の写真をお送りします。(終わり)

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憲法第9条、しかし日本は戦争に巻き込まれて行く、、、

2009年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

国際間の紛争解決に武力を使わないという第9条のような憲法を持つ国は無い。従って世界中の平和愛好家から尊敬されている。しかしその一方で反米国家を武力で征服しようとしているアメリカと日米安保条約を持っている。第二次大戦後のアメリカによる強力な援助のお陰で復活した日本にとっては恩義もある。アメリカが、「今度はこの国を武力で壊滅させるから、日本も出兵しなさい」 と言えば断れない。第一次湾岸戦争で日本は出兵せずお金だけを出した。しかしアフガニスタンやイラクでは出兵を断ることが出来なかった。日本が石油を大量に輸入している中近東地域でのアメリカの主導する戦争には将来も出兵を断るわけにはいかない。

本来、日米安保条約は共同攻撃を確約した軍事条約ではない。その点ではNATO(北大西洋条約機構)とは性質が違う。NATOは完全な意味での軍事条約である。アメリカがイラクを消滅させる為に侵攻すれば加盟国はすべて出兵する。西ヨーロッパ、東ヨーロッパの数多くの国々がイラクに出兵した。朝鮮動乱で助けて貰った韓国も当然、出兵する。

特にベトナム戦争では韓国はアメリカについで大きな戦死者をだしたという。1996年頃、ベトナムへ行った折に韓国兵の活躍が色々な意味で話題になっていた。

アメリカが、「軍事力で世界を制覇しよう」 という考え方を変えない限り、日本はアメリカの要求する通り戦争に参加せざるを得ない。何故、日本のマスコミはこの現実を報道しないのであろうか?このような不安材料はなるべく隠そうとする政府の意向に従っているのかも知れない。

最近、アメリカ軍がロシアの喉もとのグルジアでNATO加盟国とともに軍事演習をするというニュースがあった。ロシアは当然怒る。日本の将来の戦争の危険性を暗示する重大ニュースと思う。しかしマスコミは国内の芸能ニュースで埋め尽くされている。

もし北朝鮮が北海道沖の漁業専管領海に海軍を展開し、日本上陸をしようとしたら大規模な戦争になる。日本の近くで軍事紛争が起きればアメリカは日本へ大規模な出兵を要求するのは当然である。必要以上に北朝鮮を刺激しない賢明な交渉が重要になる。

憲法9条を変えても変えなくとも日本は海外へ派兵しなければならない。それなら変えないで堅持した方が良いに決まっている。派兵の規模は日米政府間の秘密交渉で決まるのであろう。その交渉の様子を、何故か、マスコミは報道しない。

この様に日本の現実を書き進めてくると必ず、「日米安保を破棄して、アメリカ追随を止めれば良い」と短絡的に叫ぶ人がいる。それが短絡的と言うのは実行が極端に困難だからである。それを行えば北朝鮮が日本を占領する可能性もあるし、アメリカ自身が日本を軍事占領する可能性があると想定される。海外派兵ではなく日本の国土が戦場になる可能性が見えるようだ。一歩譲ってそのような極端なことが起きなくともアメリカの経済的圧力で日本の繁栄は朝霧のように消えてしまう。

憲法9条を堅持し、絶対平和を祈る日本が海外派兵を繰り返す。大きな矛盾だ。しかし人間が生きるためには大小の矛盾を抱える必要があるのかも知れない。皆様は日本の将来をどのようにお考えででしょうか?

今日は世界から戦争が少なくなるように心からお祈りいたします。藤山杜人


村田 旭画伯のパステル画をお楽しみ下さい

2009年05月22日 | 写真

郡山市のアトリエで創作活動をされている村田画伯のパステル画は、以前2回ほどご紹介しました。透明感あふれる美しい絵画です。疲れたときに見ると心が休まり、何故か生きる勇気が湧いてきます。先日、村田画伯から4点の絵画の転載のお許しを頂きました。絵画4点を2回に分けてご紹介致します。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

(絵画の出典は、http://www.k5.dion.ne.jp/~vasenoir/ で御座います)

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上が「紅の実り」で、下が「妖艶滝桜」という題です。

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東京ベイヨットクラブという組織に感動する

2009年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

とにかく気軽に豪華なモーターボートやヨットを楽しんで見ようと思ったら、東京ベイヨットクラブ(http://tokyobay.tv/ )に連絡して下さい。保険料と燃料代として1日、3000円支払えば豪華なヨットで東京湾、相模湾、駿河湾、伊豆七島の海でのセイリングが楽しめるのです。この組織が使用している船は15隻もあります。

私は、このヨットクラブの ある船の整備に協力し、2回の帆走に参加しました。そしてこのヨットクラブの在り方に深い感動を覚えました。感動の原因をいくつか書いてみます。

(1)帆走へ参加する場合の費用が非常に少なくて良い上、豪華な船を自由に使わせてくれます。

(2)帆走の参加は昼間だけで良いです。船に泊まりたくなければ電車で帰宅すれば良いのです。(例えば、東京の浜離宮脇の係留地を出発して、三崎港、稲取、下田、妻良、沼津と一泊しながら帆走する場合、どの区間だけでも乗船出来るのです)

(3)ヨットの経験がなくてもお客として乗せてくれます。もちろん操船を教えて下さいと言うと同乗者が親切に教えてくれます。他に、もちろん帆走訓練のコースが初級、上級とレベル別にあります。

このように書いてみてもこのヨットクラブの素晴らしさが説明出来ません。もっと率直に書きます。

このクラブの豪華なモーターボートやヨットを15隻も提供しているのが「Oさん」という個人なのです。何故無償で提供しているのでしょうか?ヨットの奥深い面白さを多くの人々に味わってもらいたい! ただそれだけの目的です。Oさんと少し話し合ってみると彼の純粋さに圧倒されます。

彼は言葉では説明しません。しかし奥深いヨットの楽しみを理解するためにはいろいろな配慮が必要なのです。小さなデンギーから小型クルーザーヨット、そして大型豪華ヨットとすべてを経験出来るように各種のヨットを提供する。少し長距離を帆走してヨットの素晴らしさを分かって貰う。船の取扱やチームワークの重要性を教えるすぐれた指導者を準備しておく。とくに私は毛利さんという指導者と親しくなり、その重要性が理解できました。毛利さんは「Oさん」から給料を貰って東京ベイヨットクラブの帆走技術の師匠のような役割をしてしているのです。

このヨットクラブは「Oさん」の寛大な精神と毛利さんの柔らかなリーダーシップのお陰で誰でも深く楽しめる趣味の世界になっています。したがってヨットの未経験者、から自分で大型ヨットを所有してる人々まで様々な人々が集まってきます。現在会員は164名だそうです。

ためしに2、3回乗って見ようという方々は趣味人倶楽部というSNSへ加入(無料)して、「一緒にセイリングしませんか」というコミュミテへ登録(無料)すると各種セイリングのスケジュールを貰えます。あとは自分の都合で昼間のセイリングへ参加申し込みをすれば良いのです。

1日の参加料が3000円(行程によっては4000円)だけで楽しめます。それを数回繰り返し、多少本気になったら東京ベイヨットクラブ(年間会費12万円)へ入会すれば良いのです。もちろん入会しなくても一切の差別はありません。本人の気持ちだけの問題なのです。

私が最近、乗せて貰ったババリア39フィート(上)と、ハンスクリスチャン43フィート(下)の写真を掲載いたします。

今日は、皆様の趣味の世界でも雰囲気の良い組織へめぐり逢えるようにお祈り申し上げます。藤山杜人

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雄大な北海道の夕暮れの空の色をお楽しみください

2009年05月21日 | 写真

趣味人倶楽部というSNSの会員のhigeziiさんの写真アルバムに「Sunset」という写真集があります。北海道旭川生まれの62歳、男性の方です。北海道にお住まいで風景写真、とくに空の色のうつろいを撮影していらっしゃいます。今日はhigeziiさんから転載のお許しを頂きましたので3枚の風景写真をご紹介致します。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。写真の出典は、http://smcb.jp/_pr00?oid=164447 です。(終わり)

 


何故、ソ連軍が突如、満州へ攻め込んだのか?戦争を避けよう!

2009年05月21日 | うんちく・小ネタ

他人を自分の支配下に置きたいという人間の本能が戦争を起こします。酷い仕打ちを受けたときの復讐心が戦争を起こします。ですから、憲法第9条で、武力による国際紛争の解決を放棄した日本も、常に戦争に巻き込まれる危険性があるのです。長期間の平和を維持するためにも過去の歴史を忘れてはいけないと思い自分の体験を一つ書いておきます。

1945年8月初旬に相互不可侵条約のあったソ連が突如、満州へ侵入しました。この暴虐を許さない!と叫ぶ日本人が多いです。私もその一人です。

しかし何故このような一方的な戦争が起きたのか考えたことがありますか?

日露戦争の日本の勝利への復讐だという教科書的な通り一遍の説明はいくらでもあります。ところが1970年、ドイツの薄暗い研究室でドイツ人から聞いた話で、「何故、ソ連が侵攻した?」が一瞬のうちに理解出来ました。

1941年ヒットラーの電撃作戦でドイツ軍はレニングラードやモスクワ近郊まで占領しました。

このときドイツ軍はソ連の「若者だけ」を選んで2000万人も殺戮したのです。ヒットラーがユダヤ人を200万人(一説には400万人)殺したことは誰でも知っています。しかし2000万人のロシアの若者を殺したことは見落としがちです。この数はドイツ人なら皆知っています。誰も否定しません。

この2000万人を殺害したドイツと日本は親密な軍事同盟を作っていたのです。松岡洋右外相が作った同盟です。若者を殺されたロシアの親、家族が日本も憎むのは当然ではないでしょうか?その松岡洋右が日独関係をより一層強固にし、ベルリンからの帰路、モスクワに寄ってスターリンと拙速に作ったのが日ソ不可侵条約です。スターリンはシベリアでの日本との戦争の負担を避けたいだけでした。ですからドイツが陥落した5月以後はこの不可侵条約は不要になります。当然のことながら一方的に破棄します。

ソ連が日露戦争の復讐として満州へ侵攻したという説明は本当でしょう。しかし、ドイツ軍が殺した2000万人の復讐心も混じっていたはずです。

当然、ドイツ兵もシベリヤへ抑留されます。日本兵も抑留されます。ロシア人にとっては日本人もドイツ人も同じ敵国人だったのです。しかし抑留されたドイツ兵の待遇はもっと過酷を極めたそうです。

このように日本が他国と同盟関係を結べば、戦争に巻き込まれる危険性があるのです。

次回は、日米安保条約と北大西洋条約機構(NATO)との相違点を少しだけ書いてみたいと思います。(続く)