後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

間違った書評を掲載してしまいました!岡敬三著「港を回れば日本が見える」について

2009年05月21日 | 本と雑誌

5月11日に、岡敬三著「港を回れば日本が見える」の書評を掲載しました。題目につられてこの本の一部だけを拡大解釈して小賢しい書評を出してしまいました。日本の軽薄な文化を批判する本。官庁が漁港を支配して、ヨットを締め出そうとしている官僚文化の批判。ようするに日本の貧しさを批判した本とこの本を紹介しました。

その後、何日もかけて丁寧にこの本を読んでみました。間違っていました。この本の楽しさや、注目すべき点はその様な「批判的な内容」ではないのです。

日本の辺鄙な漁港を丁寧に一つ一つ、急がず、独り帆走しながら泊まり歩く冒険の記録なのです。冒険と言うのは大げさ過ぎるようですが、「帆船の長距離航海」はいつも危険に満ちた冒険なのです。GPSやレーダーがあっても、ロシアが占領中の国後島と北海道の間の狭い海を帆走するときの怖さに、思わず手を握りしめてしまいます。濃霧が自分の船の舳先さえ見えなくします。電気の故障でGPSやレーダーがダメになることもありました。霧笛だけを頼りにして手探りのような走り方をします。突然、海上保安庁の巡視艇が現れ並航してヨットがロシア領に入らないように案内してくれます。

あちこちの漁港で人々の親切に勇気づけられて航海を根気よく続けます。個人の力の限界が感じられる内容です。決して胸躍る「冒険談」ではありません。

現役の人々で、引退したらモーターボートかヨットで全国を回って見ようと思っている人も多いと思います。特に何年もヨットをしている人にとって、それは何時も心の中に輝いている夢です。しかし長距離帆走の危険性と漁港での係留の困難性をよく知っているだけに実行する人は殆どいません。それを実行するとこうなりますよ、と岡敬三さんは丁寧に書いてくれました。

臆病な小生の読後感は、「物凄く面白い本だが、やっぱり日本を回るのは止めよう」と、いう感想です。危険な帆走の故もあります。しかし、この本を丁寧に読むと自分自身が漁港を巡りながら日本を回ったような気分になるからです。疑似体験が出来る本です。ヨット乗りの皆様へ是非読んで頂きたい名著と思いました。ヨットの趣味の無い方々もヨットの疑似体験が出来る本です。港に泊まっている間に、金子みすずの旧宅を訪ねたり、山川登美子のゆかりのものを探したりしています。岡敬三さんは詩人にも興味があるようです。見知らぬ人々とのしみじみとした交流も書いてあります。先日の書評が間違っていたのでお詫びを致します。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。    藤山杜人


霧のブリテッシュ・ヒルズへ行ってきました(3)イギリスの封建時代が分かる領主の館

2009年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

下に4枚の写真を掲載します。はじめの写真は堅牢な石造りの建物がコの字の形に配置してあります。昔は四角形のロの字の配置を持った砦の形だったのです。ロンドンの王権が強大になり平和が続くようになって開放的なコの字の形になったそうです。しかし屋根の上には砦の銃眼のような形が残っています。地方にに散在した領主は中央のイギリス王へ服従しながら自分の領内を統治し、中央の王へ税金を差出し、忠誠を誓っていました。

中央のロンドンにはタウンハウスと呼ばれる別宅を持ち、王様の意向を注意深く探っていたそうです。丁度、江戸時代の各藩の江戸屋敷のような役割でした。

領主の館には領主が常時住んで居て、執事や執事長を使って、領内の人々から税金を徴収していました。領主の館の外見は威圧的で決して建築美を感じさせません。華麗な装飾も有りません。しかし一歩内部に入ると豪華です。領主の搾取ぶりが見えるようです。まあ、封建時代というものは世界中がそのようなものでした。このような封建時代が中世から産業革命まで牢固として続いたのです。ブリティッシュヒルズの領主の館(Manor House)は200円の入場料で内部を見学できます。家具調度は17、18世紀のもの、図書館の数多くの本は皮表紙のものが多く、出版年代は1800年から1900年の間のものです。これも全て当時の領主の家の図書室にあったものだそうです。数冊の本を開いて目次を見ながらゆっくりすると当時に帰ったようで不思議な思いをします。ブリティッシュヒルズへ行った折にはぜひ領主の家の2階の図書室でゆるやかな時間をお過ごしになりますように。(続く)

105 057 056 066


霧のブリテッシュ・ヒルズへ行ってきました(2)木造の建物の美しさ

2009年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の木造建築は世界一美しいという話をよく聞きます。美の基準は人によって違いますから反対出来ません。しかしヨーロッパへ旅しますと、ハッと息をのむ美しい木造の家に出会います。堅い、荒削りの太い柱が白い漆喰の壁に美しい模様を描いています。内部の梁が頑丈に組み合わせてあります。今回訪問したブリティッシュヒルズには5棟もありました。特にお土産を売っている家は高さの違う4層の部屋が、巧みに組んだ木の階段でつながっています。内部の梁や屋根裏の木組みの精巧さが素晴らしいのです。ここはお土産の売店です。家内はいろいろおみやげを選んでいます。30分以上もかかりましたが、小生は木組みの階段を登ったり、降りたり、材木の表面を触ったりしてゆっくり楽しむことが出来ました。材木は寒い地方でゆっくり育ったようです。年輪が細かで堅牢です。昔、スウェーデンの木造の古民家で、見て感激した材木と同じような硬さです。下の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。     藤山杜人

085 071 073


戦争の危険性(1)ロシアは何故、北方四島を返還しないか?

2009年05月19日 | うんちく・小ネタ

老境に入ると、旅行を楽しみ、色々な趣味を楽しんで毎日を送ることが普通になります。しかし、そんな生活を続けながらも、日本が戦争に巻き込まれること恐れています。仕事を止めても戦争の心配だけは頭を離れません。

老人はもっと戦争勃発の可能性に敏感に反応し、インターネットを通して議論の輪を広げ、戦争に巻き込まれないようにしたいと思います。第二次大戦の悲惨さを忘れ、単に毎日が楽しければ良いという生活を時々考えなおすべきと思います。

最近、アメリカはやっぱり怖い軍事国家と思わせる事態がニュースにありました。それはグルジョア共和国でアメリカ軍を中心にしたNATO同盟国が軍事演習をするというニュースです。グルジョア共和国は黒海に面した国で、すぐ北はロシアに接し、モスクワまでは爆撃機で2時間以内の土地です。アメリカがそんな近くで軍事演習をするのは明らかに、「やりすぎ」と思います。

ベルリンの壁崩壊後、旧ロシアの傘下にあったチェコやポーランドなど東ヨーロッパ諸国はNATO軍事同盟に入ってロシアに対峙することになったのです。それなのにアメリカはロシアの南にあるグルジョアなどの中央アジア各国へ手を出し、ロシアを軍事的に包囲しつつあります。

ロシアは骨身にしみていると思います。自分の同盟国を失ったり、領土を失えば、すかさずアメリカ軍が基地を作り、軍事展開をすると。

第二大戦終了間際にロシア(ソ連)は満州の国境を越えて、一方的に攻め入り多数の日本人が難民になりました。軍人は全員武装解除され過酷なシベリア抑留へと連れ去られたのです。その上、北海道に上陸しようとして北方四島まで軍事占領してしまったのです。

それは決して許すことの出来ない残酷、非道なやり方です。しかし、ロシアは、北方四島を日本へ返還すれば、そこにアメリカ軍が入って来ると想像していると思います。グルジア共和国でのアメリカを中心にしたNATO軍の軍事演習がそれを証明しています。

北方四島はウラジオストックにあるロシア海軍の活動を封じ込める重要な役割ができます。ロシア海軍が太平洋へ出るには対馬海峡、津軽海峡、そして千島列島と国後島の海峡を通過しなければなりません。大きな国後島へは軍事施設が作りやすいのです。当然、ロシアの軍事施設があると想定することができます。

日本政府が「北方四島返還!」と声高に叫ぶのは自由ですが、その背後には戦争の可能性を秘めていると思います。その事に気がついている日本人は少ないようで心配です。単なる感情の赴くままに返還!、返還!と叫ぶことが良いことなのでしょうか?

一老人の思いすごしの危惧でありますことを祈っています。(終わり)


那須高原の風景写真

2009年05月19日 | 写真

169 178 184 199 207

那須高原の観光名所は殺生石、茶臼岳、朝日岳と高原の牧場などです。そんな所ののんびりした風景を写真に撮ってきました。前夜は強い雨が宿のガラス窓を一晩中たたいていましたが、朝は晴天になり、爽やかな風が吹いていました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。          藤山杜人

撮影日時:5月18日午前中


マロニエの並木のほとりに投宿し、宇都宮の歴史を偲ぶ(1)城跡の写真

2009年05月18日 | 旅行記

今までは、旅に出るとき、ホテルや旅館をきちんと予約しました。しかし悠々自適となればブラリと旅に出て、現地に行ってから、周りの風景の良いホテルに投宿する。着いてからその土地の歴史を聞き、神社や城跡を見に行く。そんなのんびりした旅が一つの夢でした。

今回、5月16日に家を文字通うり、ブラリと出ました。2泊3日の旅です。目的は福島の山の中にあるブリティッシュヒルズです。その中間点の宇都宮に投宿することにしました。宇都宮に入り、街を3回、車で回り、一番美しい通りを探します。県庁前から南へ伸びる県庁前通りがマロニエの花咲く並木道です。マロニエは栃の木と言い、栃木県の木です。ドイツ語ではカスタニーエと言いいます。昔住んでいたシュツットガルトではカスタニーエの並木が多く、今頃よく白い花を咲かせていました。その並木道を3回まわって、ホテル・セントレというビジネスホテルを見つけ、泊まることにしました。緑豊かなマロニエの大木に囲まれた静かなホテルです。すぐ宇都宮城跡へ行きました。平安時代から戦国時代までは代々、二荒山神社の神主を兼務していた宇都宮氏が城主としてこの地方を治めて来たそうです。江戸時代には幕府の譜代大名が城に入りました。宇都宮の人は宇都宮氏のことは誇りにしていますが、江戸時代のことはあまり話したくないようです。城跡で説明してくれたボランティアの老紳士は江戸時代のことを質問すると、途端に寡黙になります。全国いろいろな土地で歴史のことを現地の人に聞くと、それぞれ違った歴史感を感じることができて興味深いものです。城跡に昔あった隅櫓の2つが復元してありました。その写真を下にお送りいたします。(続く)

010 002


霧のブリテッシュ・ヒルズへ行ってきました(1)全体的な印象

2009年05月18日 | インポート

とにかく遠いです。東京から車で200Km位、福島県の白河市から奥羽山脈の奥深くに忽然と建物群が現れます。中世のイギリスの時代別の建物が10棟ほどが霧にかすんでいます。本格的な時代考証にもとづいて建てられ、内部の家具調度もイギリスから運びこみました。従業員もイギリス人が混じっています。とにかく本物のイギリスが有るのです。神田外語学院の経営母体の佐野学園の初代と2代目の理事長が25年間にわたって構想をあたため、イギリスの歴史を研究しました。その成果にもとづいて1995年に完成しました。霧の中を歩きまわりました。「イギリスの中世の文化は重く、暗い。しかし、その底に文明開花の爆発力を秘めて来た」、という感じが体得できます。領主の館の内部もつぶさに見ました。イギリス独特なミートパイの昼食もとりました。

この様に、一国の文化を正確に伝えようとする施設は珍しいので、数回にわたって詳しくご報告したいと思います。2泊3日の旅行の間、ブログを休みましたことをお詫び申し上げます。(続く)(詳しくは、http://www.british-hills.co.jp に御座います)

122 109 083 085 088 058


緑豊かな雑木林を見ながら1年前に死んだ昔の同級生を偲ぶ

2009年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

004

昨日の午後、妻と小金井公園の雑木林を散歩しました。とりとめもない会話を交わしつつ若い緑の梢や、ほの暗い林の中を見やったりしながら静かな幸せを感じました。しかし2人は時々別々のことを思い出します。お互いに口には出しませんが、妻は亡くなった父や母と鎌倉で過ごした幼少のころをよく思い出しています。柔らかい表情になるので想像できます。私は何故か1年まえに、今年のこの緑の林を見ないで死んでしまった村木良彦君のことを思い出しました。仙台の中学の同級生です。TBS社から独立し同志3人とともにテレビマンユニオンを1969年につくりました。「遠くへ行きたい」、「世界不思議発見」、「海は甦える」など歴史的な作品のプロデューサーの仕事をしました。同窓会で何度も話をしましたが、彼は自分の仕事のことは一切話さないのです。ニコニコ笑ってこちらの話を聞くだけでした。昨年の寒い冬の日、都内のあるお寺で葬儀がありました。弔辞を読んだのは昔のテレビマンユニオンの同志だった今野氏でした。村木氏はやさしく、穏やかで、決して怒らず、いつもまわりの人々に愛されていたと話す。そんな内容の弔辞でした。昔、仙台にいたころ村木君の家へよく遊びに行ったことを思い出しながら葬儀会場を後にしたことも思い出しました。

皆様も自然豊かな林を見上げながら静かに散歩していると親しかった故人のことをフッと思い出すことがあると思います。

今日は、皆様もそのような静かな散歩を楽しめますようにお祈りいたします。 藤山杜人          

(なお、村木良彦君のことは検索するとWikipedeaに詳しく出ています。(終わり)

010 016


人間関係に疲れて独り、趣味の世界へ逃げ込む、しかし、、、

2009年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

これは私、個人のことで、一般的には正しいとは思いません。

70歳で仕事を止めました。もうこれ以上人間関係に気を使い、オドオド生きる必要がないと途端に明るくなりました。独りで出来る趣味の世界へ逃げ込みました。過去20年以上、私は孤独に湖でセイリングの趣味に没頭して来ました。そこへ逃げ込んだのです。しばらくはそれが天国でした。

しかし、1年が過ぎ1年6ケ月位前からブログやSNSの世界へ入りました。その結果、ネットの上で何となく友人ができました。その縁で、仲間と一緒に広い海の上でセイリングをする機会が出来ました。海の上では突然強風が来たり、波が荒くなります。同じヨットの同乗者の全員が自然の猛威を前にして心臓がすくみます。皆一緒に怖くなります。自然の脅威の中で全員の心が解け合って、お互いを頼りにします。そして怖い強風や大波が過ぎ去ると全員の顔が笑顔になります。すると自分の出来る仕事を自然に分担し、ヨットをより安全に帆走さようとします。素晴らしいチームワークが自ずと出来上がるのです。他人の重要性が身に沁みます。

独りで帆走を楽しむ人々も多いものです。それも良いです。別に反対はしません。しかし仲間と一緒にセイリングをするとヨットの楽しみが深く、多様になります。これがヨットの楽しみ方の一つと理解出来ました。昨日の体験です。特に全長40Feet前後の大型ヨットを豪快に走らせるには数人の仲間が必要です。全長30Feet以下のヨットと40Feet以上のヨットは全く別世界です。

趣味は独りで楽しむ。そうです。誰も反対しません。でも、趣味の世界で良い師匠や先生を求める。あるいは仲間と一緒に楽しむ。これも趣味の世界を広く、深くするものです。良い師匠や、良い仲間を探すのも大切です。独り趣味から脱却した最近の私個人の詰らない感想です。

皆様は趣味を仲間と一緒に楽しんでいらっしゃいますでしょうか?どちらでも良いことですがご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)


奥深い趣味の世界が人生観を変える

2009年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

063

この写真は現在の私の心象風景です。仕事を止めて日々体力が衰えて行きます。親しかった人々が旅立って行き、まわりが少しずつ淋しくなります。それが自然な老境というものと静かに受け入れています。

しかし奥行きの深い趣味のグループを知り、暗い雲間から光が見えてきました。この年になって「希望」とか「あこがれ」という青春の気持ちが蘇ってきます。東京ベイヨットクラブというグループのことです。何週間か前に千葉県の保田漁港に係留してある北欧のヨットの上で「M利」さんという方とお酒を飲みました。彼は、東京ベイヨットクラブという組織と、その中の人間関係を愛しているのです。私は「組織は嫌だ、でも我慢して入る必要がある」という人生観で過ごして来ました。正直言って、M利さんの話はこの人生観を変えました。

東京ベイヨットクラブの会長は誰ですか?と、聞くと、「会長などという立場の人は居ません。でもクラブにとって重要な人はO熊さんです」と言います。

そのO熊さんに昨日お会いしました。浜離宮を前にした静かな運河に係留したドイツ製の豪華なヨットの上で。素直で、はにかみ屋の青年です。どうもクラブの数隻の豪華なヨットは彼が提供しているようです。決して自分ではそういうことは言わない控え目な人柄です。

駿河湾で、そして昨日東京湾で一緒にセイリングしたクラブのメンバーはO熊さんとM利さんを尊敬し、親しいい友人のように思っていました。組織の上に立つ人の人格が一番重要だ、と言います。でもそれを体験する機会はまれなことです。よく言う、「目から鱗が落ちる」体験を昨日いたしました。O熊さんとほんの短い会話をして。

先日から「東京ベイヨットクラブ」という164人から構成される組織に興味を持ち、HPを詳細にみました。どんな組織にもある組織表がありません。したがって会長も専務理事もいません。理事も事務局長も居ません。”偉い人” が居ないのです。しかし164人のメンバーが全員趣味のヨットを自由に楽しんでいるのです。それではこのクラブがどのように動いているのでしょうか?そのことは続編として、別にご説明します。

私の言いたいことは、「趣味のグループは上に立つ人の人格によって一層楽しくなる」ということです。

今日は皆様がそのようなグループを発見して、益々豊かな趣味の世界を楽しまれますようにお祈り申し上げます。                藤山杜人


風速15m、荒れる海、でも快晴のセイリングの写真です

2009年05月14日 | 写真

城ケ島の対岸の三崎港から東京の隅田川河口の浜離宮まで7時間30分のセイリングをして来ました。南の風、風速15m以上で怖いくらいの風速でしたが、快晴の上、船がドイツ製の39Feet の堅牢なヨットでしたので愉快でした。一緒のクルーが皆ベテランで東京湾の航行になれていたので安心して、船の大きな揺れを楽しんできました。東京ベイヨットクラブの代表のO熊さんが陸上から新型GPSと電話でサポートしてくれたのが心強かったです。関連記事は明日掲載しますが、とりあえず2枚の写真をお送りいたします。(終わり)

021

056_2 


明日の荒れる海でのセイリングを前にして緊張した一日を過ごしています

2009年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

明日は、東京湾ベイヨットクラブのヨットで三浦半島突端の三崎港から東京湾の一番奥の浜離宮わきのマリーナまでの長距離セイリングへ参加申し込みをしました。いつも霞が浦という湖でセイリングしているので、正直言って荒れる海が怖いのです。その上、浦賀水道や東京湾は大型船の出入りが激しく、どうなることか心配です。しかし船長は信頼できるO熊さんと聞きましたので、安心です。

今日は一日、雨カッパや着替えの衣類をザックに詰めたり、食糧や水を用意して緊張した時間を過ごしています。

明朝、5時起床で、新宿から湘南新宿ラインで横浜へ直行し、京浜急行で三崎口まで行く電車の時刻表を精密に調べました。10時出港の30分前には到着するような無理のない行程を組みました。下に東京ベイヨットクラブのヨットの写真を一枚掲載します。明日乗る船はこれよりも少し小さいかも知れません。そんな訳で、ブログは明日、丸一日お休みに致します。明後日の金曜日から再開したいと思っています。皆様のご健康と平和を東京湾の海上からお祈りすることにします。(終わり)

P1010263_2


画家の方からこんなコメントを頂きました

2009年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「金持ちになるとこんな素晴らしいことが出来ます」という題目で金持ちが芸術家を経済的に支援することの素晴らしさを書きました。その記事に対してBYOOLというSNSの中で、あるプロの画家の方から、以下のようなコメントを頂きました。
===================================
藤山杜人さん
素敵なお話をありがとうございます。
絵を見てお腹が満たされる事はありません。
でも、魂を救い、憂いを取り去る力が絵画にはあると私は信じています。
パトロンシップも根本には支援者に感性の気付き、、響き合いがあったのだと思います。
そして、この様な時代の今こそ元気の源に芸術があると思っています。
お金持ちではありませんし、魂を揺さぶるような作品を創る技量もありませんが、
少しずつでもこの社会に貢献していきたいと思っています。
====================================
この画家の方は村田 旭氏というお名前です。以前、転載の許可を頂いてご紹介した美しいパステル画を3点、もう一度掲載します。上のコメントと響きあっているようです。皆様もお楽しみ頂ければ嬉しく思います。http://blogs.dion.ne.jp/vasenoir/  から転載させて頂きました。
0272
0131Nup382cc83r83s815b1_3
上より順に、「妖精の住む丘」、「春風」、「ベルベットチョーカーと革のブーツ」、という題目です。   

アメリカでは45%が離婚します、日本もそうなるとしたら?

2009年05月13日 | インポート

アメリカでは90%の人々が結婚し、その半数の45%が離婚しています。

日本でもこのような社会になるのでしょうか?そのための準備はしたほうが良いのでしょうか?

仲が悪くなったら冷却期間をおいて離婚だけは避けたほうが良いものです。しかしどうしても離婚しなければならない場合もあります。 その場合は離婚の多いアメリカの実態を知り、経済的そして心理的にも準備をした方が良いと思います。アメリカで体験したことを少し書いてみます。 

◎アメリカの離婚の実態の一例

オハイオ州コロンバス市で私共の結婚式の世話をしてくれた友人夫妻と恩師の先生夫妻がしばらくして、ともに離婚しました。自由・平等の国アメリカでは離婚の数が日本より断然多いのです。しかし、離婚で生ずる子供への犠牲、悲劇への友人の巻き込み、経済的損害などを考えると、離婚の代償は日本の場合と同じと思います。

友人のジャックと奥さんの金髪美人ナンシーが、私共の結婚式の全てを世話してくれました。1961年のことです。そのナンシーは料理上手で、服も自分で縫い上げる優雅な才媛でした。

4、5年後、東京に住んでいた我々にナンシーから突然の航空便が来ます。夫が浮気をしたので離婚した。いま子供二人を連れて行商のような仕事をしながらアメリカ中をさすらっている。田舎町の行商旅の悲しさ。夫のいない三人だけのわびしいホテルでの夕食の様子などが細かに書いてあります。何度もそのような悲しい手紙が来ました。そのたびに家内が勇気付ける手紙を出していました。

そのうちナンシーから手紙が来なくなりました。美人である彼女が再婚できないはずがないと安心しました。一方、あんなに親切だった夫のジャックからは手紙が来ません。夫にも言い分があったはずですが、沈黙です。アメリカでは離婚が起きたら他人は勝手に慰めたりしてはいけないことになっています。見て見ぬ振りをする。それが一番の親切であり社会的礼儀と聞きました。

@社会は離婚を受け入れ差別しない ―離婚後の社会的ルール

離婚は個人的な悲劇にとどめよう―それがアメリカ社会の約束です。

恩師夫妻も離婚しました。後にオハイオを訪問したときアメリカの友人に聞きました、「あす大学に行くが、恩師に会った時、何って言えばよいの?」「何も言うな。一切知らなかったことにするのがよい」「恩師の前の奥さんには大変お世話になったので、家内からのお土産を持って来たが?」「彼女はA 教授と再婚した。今晩、その家へ連れて行ってあげる。でも離婚のことは話題にするな」その夜、前に世話になった奥さんを訪問したところ非常に喜んでくれました。離婚のことは先方も説明しないし、こちらも話題にしませんでした。

夫婦が別れた後は顔も見たくないというのが洋の東西にかかわらず本音でしょう。しかし離婚の多いアメリカでは「離婚の自由」が「離婚後はお互い友人として付き合い、社会生活では離婚による差別はしない」という規範に支えられています。これは決して偽善ではないのです。社会的平和を守るためのルールなのです。

離婚した恩師はその後、学科主任になりました。学科主任は毎年二回ぐらい教授や学生を自宅へ招くのが普通です。同じ学科のA教授と再婚した前の奥さんも招待しなければいけないのです。招待を受けたら出席するのが義務です。パーテイーでは前の夫の学科主任が明るく歓迎の言葉をかけていました。

親しい教授に「前の奥さんがかわいそうだ。帰る時そば行って慰めてやりたいが」「やめなさい。帰るのに気が付かない振りをするのが親切というもの。それがアメリカの社会のルールなのです」

過去は水に流す。過去の悪いことは一切忘れる。一番大切なのは将来だけです。「未来指向のアメリカ」という意味の一部には離婚後の社会的ルールも含まれているのです。

日本でも離婚が多くなりました。理不尽な夫婦生活を続けより離婚したほうが良い場合があります。その場合の離婚後の社会的ルールを日本は独自に作って行くべきと思います。

不幸にして離婚した人々の悲しさをすこしでも少なくし、社会生活を快適にするためにも重要なことではないでしょうか?  皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日は、夫婦おそろいの方々のためにお祈りいたします、夫婦円満に一日を過ごされますように。                              藤山杜人