後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「小金井桜の今日の開花状況」

2022年03月24日 | 写真
小金井公園の中央の数十本の桜の名所のソメイヨシノはまだ1分咲き未満でした。
公園の中央から西にある桜の園にある数本だけが咲いていました。
有名な数十本の小金井桜の花見は幾日か後になりそうです。






「ゼレンスキー大統領の演説にガッカリした」

2022年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の夜6時からNHKテレビでゼレンスキー大統領の日本人むけの演説がありました。12分間の短い演説でした。
それを聞いて私はガッカリしました。理由は2つありました。
(1)東京のウクライナ大使館の用意した同時通訳があまりにも下手で演説の内容が半分くらいしか理解出来なかったのです。
(2)日本の外務省との事前調整で差し障りのない抽象的な表現が多過ぎてゼレンスキー大統領の魂の叫びが消えてしまっていたのです。何を主張したいのか全然分からなかったのです。これは下手な同時通訳も原因の半分になっています。
さてネット情報を見ると欧州政治に詳しい鶴岡路人(慶応大准教授、国際安全保障専門)も演説がマイルド過ぎると非難しています。l詳しくは次の記事をご覧下さい。
「ゼレンスキー大統領演説、日本に合わせてマイルドに?」(https://www.asahi.com/articles/ASQ3R6KKXQ3RULEI009.html )

さて同時通訳の不備を補うためにてゼレンスキー大統領の演説の全文を以下に掲載しました。

『細田衆議院議長、山東参議院議長、岸田総理大臣、日本国会議員の皆様、日本国民の皆様。本日は私がウクライナ大統領として史上初めて、国家元首として直接皆様にお話できることを光栄に思います。  両国の間には、8193kmの距離があります。経路によっては、飛行機で15時間もかかります。ただし、お互いの自由への思いに差はありません。また、生きる意欲の気持ちにも差はありません。それを実感したのは、2月24日です。日本がすぐ援助の手を差し伸べてくれました。心から感謝しております。  ロシアがウクライナの平和を破壊し始めたとき、私たちは世の中の本当の様子を見ることができました。本当の反戦運動、本当の自由や平和への望み、本当の地球の安全への望み。  日本はアジアのリーダーになりました。皆様は、この苦しい大変な戦争を止めるために努力し始めました。日本はウクライナの平和の復活に動き始めました。それはウクライナだけではなく、ヨーロッパ、世界にとって重要なことです。この戦争が終わらない限り、平和がない限り、安全だと感じる人はいないでしょう。  皆様は、チェルノブイリ原発の事故をご存知だと思います。1986年に大きな事故がありました。放射能が放出し、世界各地域で(事故が)登録されました。原発周辺の「30キロゾーン」というのはいまだに危険な場所で、その森の土の中には、事故終息後から多くのがれき、機械、資材などが埋められました。  2月24日、その土の上にロシア軍の装甲車両が通りました。そして、放射性物質のダストを空気にあげました。チェルノブイリ原発が支配されたのです。  事故があった原発を想像してみてください。破壊された原子炉の上にある、現役の核物質処理場をロシアが戦場に変えました。また、ウクライナに対する攻撃準備のために、30キロメートルの閉鎖された区域を使っています。ウクライナでの戦争が終わってから、どれだけ大きな環境被害があったかを調査するのには何年もかかるでしょう。

皆様。ウクライナには現役の原子力発電所が4カ所、15の原子炉があり、すべて非常に危険な状況にあります。ザポリージャ原発というヨーロッパ最大の原発が攻撃を受けています。また、工業施設の多くが被害を受け、環境に対するリスクになっています。ガス、石油パイプライン、および炭鉱もそうです。  先日、スムイ州にある化学工場において、アンモニアの漏れが発生しました。シリアと同じように、サリンなどの化学兵器を使った攻撃をロシアが今準備しているという報告も受けています。また、核兵器を使用された場合、世界がどうなってしまうかが世界中の話題になっています。将来への自信、確信は今誰にも、どこにもないはずです。  ウクライナ軍は28日間にわたって、この大規模戦争、攻撃に対して国を守り続けています。最大の国がその戦争を起こしました。ただし、影響の面で、能力の面では大きくなく、道徳の面では最小の国です。  1000発以上のミサイルや多くの空爆が落とされ、また数十の街が破壊され、全焼されています。多くの街では、家族や隣の人が殺されたら、彼らをちゃんと葬ることさえできません。埋葬は家の庭や道路沿いでせざるを得ません。  数千人が殺され、そのうち121人は子どもです。多くのウクライナ人が住み慣れた家を出て、身を隠すために、命を救うために避難しています。ウクライナの北方、東方、南方の領土の人口が減り、人が避難しています。また、ロシアは海も封鎖して、数十の交易路を封鎖しています。海運を障害することによって、他の国にも脅威を与えるためです。  皆様。ウクライナ、そのパートナーおよび、反戦連立だけが世界の安全保障を出すことができます。すべての民族、国民にとって、社会の多様化を守り、それぞれの国境や安全を守り、子どもや孫のための将来を守るための努力が必要です。  国際機関は機能してくれませんでした。国連の安保理も機能しませんでした。改革が必要です。機能するためには、「誠実の注射」が必要です。ただ話し合うだけでなく、影響を与えるためです。  ロシアによるウクライナ侵攻によって、世界が不安定になっています。これからも多くの危機が待っています。世界市場も不安定で、資材の輸入などにも障害が出ています。環境面や食料面の調整も前例のないものです。  また、これからも戦争をしたいという侵略者に対して、非常に強い注意が必要です。「平和を壊してはいけない」という強いメッセージが必要です。責任のある国家が一緒になって、平和を守るために努力しなければならないです。 
 日本国が、建設的、原理的な立場をとっていただいていることをありがたく思います。また、ウクライナに対する本当の具体的な支援に感謝しています。アジアで初めてロシアに対する圧力をかけ始めたのは日本です。引き続き、その継続をお願いします。また、制裁の発動の継続をお願いします。  ロシアが平和を望む、探すための努力をしましょう。また、このウクライナに対する侵略の津波を止めるために、ロシアとの貿易禁止の導入をお願いします。また、各企業は市場から撤退しなければなりません。その投資は、今後のロシア5年の投資になります。  そして、ウクライナの復興も考えなければなりません。人口が減った地域の復興を考えなければならないです。避難した人たちが故郷に戻れるようにしなければならないです。日本のみなさんも、きっとそういう気持ち、住み慣れた故郷に戻りたい気持ちがおわかりだと思います。  また、全世界が安全を保障するために動けるためのツールが必要です。既存の国際機関がそのために機能できていないので、新しい予防的なツールを作らなければなりません。本当に侵略を止められるようなツールです。日本のリーダーシップは、そういったツールの開発に大きな役割を果たせると思います。  ウクライナのため、世界のため。また、明日、将来のために自信を持てるように。慢性的で平和的な明日がくると確信できるように。皆様、日本の国民の皆様、一緒になって努力すれば、想像以上のことができます。  日本は、発展の歴史が著しい国です。調和を作り、その調和を維持する能力は素晴らしいです。また、環境を守り、文化を守るということは素晴らしいことです。ウクライナ人は日本の文化が大好きです。それはただの言葉ではなくて、本当にそう思っているのです。  2019年、私が大統領になってまもなく、妻のオレナが、目がよく見えない子どものためのプロジェクトに参加しました。オーディオブックのプロジェクトでした。そこで、日本の昔話をウクライナ語でオーディオブックにしました。これは一つの例ですが、日本の文化はウクライナ人にとって非常に興味深いものなのです。  距離があっても、私たちの価値観はとても共通しています。ということは、もう距離がないということになります。私たちの心は同じように温かいです。  今日の努力が、ロシアに対するさらなる圧力をかけることによって、平和を戻すことになります。また、ウクライナの復興を行い、国際機関の改革を行うことができるようになります。将来、反戦連立ができあがった際には、日本が今と同じようにウクライナと一緒にいてくれることを期待しています。(日本語で)ありがとう。ウクライナに栄光あれ、日本に栄光あれ。』(終わり)

今日はゼレンスキー大統領の演説の全文を何度も読み、ウクライナに栄光あれと祈っています。

それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿絵代わりの写真はウクライナの風景写真です。ネットでウクライナの風景写真を検索してお借りしました。





「箱根の湿生植物花園の水芭蕉と珍しい花々」

2022年03月23日 | 写真
先程、北海道の網走湖のそばの湿地の水芭蕉の群落の写真をご紹介いたしました。私の記憶に残るもう一つは箱根の湿生植物花園の水芭蕉です。
仙石原の雄大な景観と湿生植物花園の水芭蕉の花の風景に魅せられて何度も訪れました。

1番目の写真は湿生植物花園の水芭蕉の花の写真です。出典は、https://hakone-shisseikaen.com/flower_spring/ です
2番目の写真もミズバショウの花です。
さて箱根湿生花園には山の湿地に咲くいろいろ珍しい花が咲いています。
仙石原のススキ原の下に広がる湿地帯の昔の植生を再現しています。派手な花々はありませんが日本古来のささやかな花々が何気なく咲いて居ます。幅の広い木道が何処までも続いています。
2011年09月3日に訪れた時に家内が写した写真をお送りいたします。

3番目の写真は野生のノハナショウブです。

4番目の写真は石楠花です。

5番目の写真はヒマラヤに咲いている青いケシの花です。阿片は採れません。

6番目の写真はアミメヘイシソウです。仙石原の在来種ではありません。アミメヘイシソウ はサラセニア属の食虫植物の1種で、捕虫葉の先端部分に紅白の網目模様が入り、美しい花です。

7番目の写真はいろいろなサクラソウの園芸種の写真です。こんなにも数多くのサクラソウがあるのですね。

仙石原には四季折々いろいろな花が咲いています。訪れる季節に咲いている花々は湿生植物花園のHP、https://hakone-shisseikaen.com/flower_spring/ に掲載されています。
このHPをご覧になって是非一度訪れてみて下さい。

「一面に咲いたミズバショウの花の風景が生涯心を豊かにしてくれる」

2022年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム
花々の写真を掲載すると多くの方が喜んで下さいます。
あちこちに車を走らせて花の写真を撮っていると自分が花畑に溶け込んだような錯覚におそわれます。花畑の情景が心に焼き付いて私の心を豊かにしてくれます。
特に私の心に強く焼き付いているのは北海道の網走湖の傍のミズバショウの花の群落の風景です。あまりにも感動したので同じ場所を二度訪れました。

今日は、そのミズバショウの花の群落をご紹介したいと思います。
その網走湖のそばのミズバショウの花の写真を示します。

1番目の写真は2003年5月2日に網走湖の湿地帯で偶然見つけた水芭蕉の花です。あまりにも感動したので4ケ月後の9月同じ場所を再び訪れました。
ここは国道から呼人半島の付け根の方向へ少し入った雑木林の下に広がる湿地帯です。観光地でないので案内の看板も無く、近所の人だけが散歩する細い悪路が林に中に続いていました。
2003年9月の北海道への旅ではこの感動的な場所を再び訪れることも目的にしていました。
ところが9月は水芭蕉の季節ではないので雑木林の中は暗く、道も無く、荒れ果てた感じです。
かつての細い道の入り口には立ち入り禁止の綱が張ってあります。
悲しい気持ちで、丘の上の「網走湖観光ホテル」 悠遊亭に行ってみました。2002年と2003年に2回泊った大きなホテルです。
ホテルは倒産したようで、閉鎖されていました。玄関先には雑草が茂っています。車を停めた広い駐車場にも雑草が生えています。
「栄枯盛衰、世のならい」と言いますが、暗然とします。
下を見降ろすと、当時と同じように広大な網走湖が広がっています。岸辺に降りて行って撮った写真を下に示します。

2番目の写真は二度目の9月20日に再び訪れた時の網走湖の風景です。
網走湖は観光客が行かない湖です。大きなシジミだけが名物の地味な湖です。
それにしても2002年と2003年に泊った阿寒湖温泉のホテルも寂れはてていました。
北海道の自然は変わりません。その大自然が美しいだけに何か淋しい思いをしながら帰って来ました。
旅に出れば楽しい事もありますが悲しい事にも会います。
そこはかとない旅愁もあります。 網走湖と言えば、ミズバショウの花の風景と寂れた観光ホテルの悠遊亭の光景が重なります。華麗な風景が悲しい風景と重なって思い出します。それで一層強くミズバショウの花の群落の風景が心に焼き付いているのです。悲しみを忘れるため明るいミズバショウの花の群落の風景写真を示します。

3番目の写真は、「四季のうつろいを自然の息吹で知る網走湖。 | 北海道 旅の魅力 - 鶴雅グループ」 (tsurugagroup.com ) からお借りした写真です。

4番目の写真は、https://www.nihon-kankou.or.jp/detail/01211ac2100008703 からお借りした写真です。

今日は一面に咲いたミズバショウの花の風景が生涯心を豊かにしてくれることを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)

「小金井公園で今年初めて咲いた桜」

2022年03月21日 | 写真
午後から電動車椅子で小金井公園まで行きました。そうしたら早咲きの種類の桜木が満開でした。
しかし公園の中央にある沢山のソメイヨシノはまだ全然咲いていません。今年は寒いので遅れているようです。
早咲きの種類の桜木が満開の写真をお送りします。







「懐かしいクローバーの写真」

2022年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム
皆様は春の野原で4つ葉のクローバーを探した楽しい思い出をお持ちのことと思います。
クローバーはシロツメクサの事を言うようです。
シロツメクサは漢字で書くと「白詰草」です。
名前は江戸時代にオランダから送られてくる荷物のクッション材として干したシロツメクサが詰められていたことに由来します。
日本全国で自生していて馴染みのあるシロツメクサです。
懐かしいシロツメクサの写真をお送り致します。





「日曜日の礼拝やミサとは何でしょうか?」

2022年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教では日曜日ごとに教会に集まり何事か儀式をしています。

宗教改革で出来たプロテスタント教会の諸宗派ではその儀式のことを礼拝とか礼拝式と言います。旧教のカトリックではミサと言います。

写真に今日のカトリック小金井教会のミサの風景を示します。

それでは礼拝やミサの目的や内容をご説明します。

一言で表すと礼拝やミサの目的は、集まって皆で一緒に神の言葉を聞き、神に一緒に祈ることが目的です。

個人個人で祈るよりも皆で一緒に祈った方が強い祈りになります。強い祈りなので星空の彼方に住み給う神の耳にも届きます。

その上、儀式は聖書の朗読や聖歌のおかげで神秘的な雰囲気になります。参列者が宗教的な陶酔になります。

神とイエスの言葉を聞くために聖書の朗読を聞きます。
イエスの言葉を正しく理解するために神父や牧師の説教があります。

その後で神とイエスに感謝する儀式があります。
そして最後にイエスの体を意味するパン片を貰って食べます。

この部分は神秘的過ぎるのでプロテスタント教会の諸宗派では省略して行いません。

以上がキリスト教の日曜日ごとの儀式の目的と内容です。

さて日本の仏教や神道ではこのように集まって皆で一緒にお釈迦さまや八百万の神へ祈ることはしません。個人的に祈ります。

もっともキリスト教でも個人的な祈りも大切にしています。

以上の説明でキリスト教に親近感を少し持って頂けたら嬉しく存じます。






「今年も咲いた春の花々の写真と復活祭の前の今日のミサ動画配信」

2022年03月20日 | 日記
昨日近所を回りながら撮った春の花々の写真を4枚お送り致します。特に小川の上に咲いていた濃紅 の桃の花が美しかったです。

さて今日のミサの動画配信は以下の通りです。
2022年  3月20日(日) 10時

カトリック関口教会、
https://www.youtube.com/watch?v=E-ONpw-IyR0
聖イグナチオ教会、

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)






「最近の日本の食べ物が美味しくなり手軽に食べれるようになった」

2022年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム
最近の日本の食べ物が美味しくなりました。野菜や果物の栽培法や肥料を改善し美味しいものが出来るようになったのです。魚や貝類も冷蔵と保存技術が進歩して新鮮で美味しいものが食卓に届けられています。冷凍技術も進歩してアフリカ沖や南米沖で捕れた魚類も新鮮なまま日本に運ばれて来ます。
こうして最近の日本の食べ物が驚くほど美味しくなったのです。
その上あらゆる食べ物が上手に調理して店頭に並んでいるのです。それを買って来て手軽に食べれるようになっているのです。女性が外で働くようになったので、家事にかける時間が少なくなり手軽に料理出来る食材が多くなったのでしょう。
思えば戦後77年です。日本の食生活が驚異的に変わったのです。
それではどのように変わったのでしょうか?
この記事を書くために撮って来た写真に従ってご説明します。
(1)果物は剥いたり切るのが面倒なので切った果物のパックを買ってくる。
 それに皮や不要なものを捨てるのが面倒なのです。

1番目の写真は切った果物のパックの売り場です。幅8m以上も切った果物のパックが並んでいます。どんな場所でどんな人が切っているか分からないから家内は買ってはいけないと厳命してますので買いませんが、美しいものだなと感心して眺めているだけです。

(2)野菜は洗ったり切るのが面倒だから切ってパックに入っているものを売っている。

2番目の写真は切ったサラダ用の生野菜を綺麗に盛り付けたパック入りの野菜です。この他に煮物用の野菜を盛り付けたパック入りの野菜も売っています。
これらも家内が絶対に買うなと言いますので買いませんが便利な物だと感心しています。

(3)ビールのおつまみや酒の肴は沢山並んでいます。
そのまま食べれます。ビールのおつまみや酒の肴が沢山並んでいます。
これは買って良いことになっています。選ぶのに目が回ります。


(4)コロッケ、トンカツ、天麩羅は油の始末が面倒なので家ではあまり作らない

3番目の写真はコロッケやトンカツの売り場です。幅の広い各種天麩羅の売り場も並んでいます。
家内が嫌な顔をしますが時々買います。しかし家内は家で作ります。今日も酢豚の肉を揚げています。

(5)ご飯を炊くのが面倒なので幕の内弁当や天丼やカツ丼などを買って来ます。
お寿司のパックでもOKです。
4番目の写真は寿司のパックです。回転寿司より美味しいものもあります。時々買います。

(6)ご飯を炊くのが面倒ならパンもいろいろあります。
パンのコーナーの写真ではパンを焼いています。粉をこねて発酵させるのは工場で行い、それを冷蔵トラックで各スーパーに届けるのです。スーパーでは焼くだけですが美味しのです。

(7)面倒なのでフライパン一丁で出来る食材だけを買って来る。
ぞのためには冷凍のギョーザやシュウマイなどいろいろな種類の食材が沢山あります。

5番目の写真はステーキ用の牛肉です。値段が半額になっています。これはフライパン一丁で焼くだけですから簡単です。

この他、お湯を注ぐだけで食べられるラーメン、ソバ、うどんやレトルトカレーなど調理不要のものの売り場の面積の広いのに驚きます。
最近の日本の食生活が激変しているのです。
その上、便利な回転寿司の店もすぐ近所に出来ました。
回転寿司という便利なものが出来る以前は昔からの寿司屋さんから寿司を自宅に取って食べていました。寿司は誕生日とか何かのお祝いの日だけ取る貴重な食べ物でした。
それが現在は手軽な回転寿司の店へ行くようになりました。

6番目の写真は千葉、東京、埼玉、神奈川に店舗を展開している銚子丸という回転寿司の店です。
自宅から200m位の近くにあるので時々行きます。
回転寿司店ではカウンターに沿い小皿の寿司が回っています。しかし私はカウンターの中にいるお兄さんに直接注文して握って貰います。握りたての寿司が食べたいからです。

7番目の写真は「春うらら」という名前のセットです。あら汁つきで税込み1250円でした。
セットですから回らない寿司です。しかし品質や味は回っている寿司と同じです。握りたてなだけです。
回転寿司の寿司やスーパーのパックの寿司をつい食べてしまうのは見た目の美しさに私が幻惑されているからです。
食べ物は見た目の美しさが重要な要素なのです。
回転寿司店で回っている小皿の寿司を眺めて楽しんでいるのは私だけではないと思っています。

今日は最近の日本の食べ物が何故美味しくなったかを書きました。そして上手に調理してそのまま食べれるようにした商品をいろいろご紹介いたしました。
戦後77年の間に日本の食生活も大きく変わったものです。

それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




「吉田博の帆船と倉と富士の絵、心がくつろぐ絵画」

2022年03月18日 | アート・文化
昨日の「日本人を愛したニコライ、ロシア人の全てが悪人ではない!」という記事でロシアの画家、イリヤー・レーピンの油彩画をご紹介致しました。
しかし油彩画は見ていると疲れます。観賞するためにエネルギーが要るのです。
それに比較すると日本画は何の抵抗もなく心に自然に溶け込みます。心が寛ぐのです。そこで今日は吉田博の日本画をご紹介致します。
吉田 博は1876年(明治9年)生まれ、 1950年(昭和25年)に亡くなりました。画家で版画家でもありました。自然と写実そして詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した人です。
1番目の写真は吉田博 「瀬戸内海集」の「帆船、夕」です。

2番目の写真は吉田博の「 瀬戸内海集 」の「光る海 」です。大正15年(1926)の作です。

3番目の写真は「瀬戸内海集」の「倉」です。1930年作です。

4番目の写真は「富士拾景 船津」です。 1928年(昭和3年)作です。

吉田博は旧久留米藩士の上田束秀之の次男として久留米市に生まれました。1888年、福岡県立修猷館に入学します。1891年、修猷館の教師の洋画家、吉田嘉三郎に画才を見込まれ吉田家の養子となります。
1893年、修猷館を卒業し、京都で洋画家田村宗立に師事します。上京して小山正太郎が主催する不同舎に入門し、後に明治美術会の会員となりました。
1899年、中川八郎と共に渡米、ボストン美術館で2人展を開催し成功します。その後渡欧して、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡歴しパリ万博において、日本現代画家作品展示『高山流水』が褒状を受けました。
詳細は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%8D%9Akipedia  にあります。

今日は吉田博の日本画をご紹介致しました。何の抵抗もなく心に自然に溶け込み心が寛ぐ絵です。

今日の記事と関連した2020年03月07日 掲載の「川瀬巴水の詩的な版画を見て静かに時を過ごす」というの記事もご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、春のお彼岸の墓参りに行きました」

2022年03月17日 | 日記
春の彼岸が近づきました。午後から墓参りに行きました。
日野市の大昌寺の墓地には墓参りの人が何人か来て、花々と線香を供えていました。
写真は今日撮った大昌寺の風景です。皆様が故郷のお寺を思い出すようにとお送りいたします。
お寺の風景は何故か郷愁を感じさせますね。






「本当に春が来た!花の写真を撮りに行きました」

2022年03月16日 | 写真
ここ数日は気温が24℃位で本当に春が来たようです。
その本物の春の花を探して写真を撮って来ました。近所の園芸農家です。
小金井市の以前は園芸農家が沢山あったのです。次第に宅地になり現在を数軒しかありません。園芸農家の風景は江戸時代とあまり変わっていないと思い、何故か豊かな気分になります。
そんな写真をお楽しめ頂ければ嬉しく存じます。





「ウクライナ侵攻のロシア軍の弱さとマリーナの義憤」

2022年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
ウクライナ情勢に関する幾つかの最新報道をお送り致します。
(1)ウクライナへ侵攻したロシア軍の弱さ
「ウクライナ侵攻で露呈「ロシア軍」驚くべき脆弱さ」
The New York Times、2022/03/12 8:30https://toyokeizai.net/articles/-/538388
戦争では「物量が物を言う」。これが軍幹部らの常識だ。
だが、ヨーロッパにおいて1945年以来で最大の地上戦となったウラジーミル・プーチン・ロシア大統領のウクライナ侵攻から2週間が経過し、他国が恐れ、見習うべきとされてきたロシア軍のイメージは砕け散った。
ウクライナ軍はあらゆる面でロシア軍に見劣りしているにもかかわらず、敵の進軍をどうにか食い止めている。アメリカ当局によると、ウクライナ兵に殺されたロシア兵の数は少なく見積もっても3月7日時点で3000人を超えた。
ウクライナはロシア軍の空挺部隊を乗せた輸送機を撃ち落とし、ヘリコプターを撃墜、アメリカの対戦車ミサイルとトルコが開発した攻撃用ドローンを使ってロシア軍の車列に穴を開けていると、アメリカの当局者は情報機関の分析を引き合いに出して語った。

1番目の写真はウクライナに侵攻したロシアの戦車を積んだ列車です。

2番目の写真はウクライナに展開したロシアの戦車です。

(2)ウクライナ将兵1300人戦死、一方ロシア兵は12000人戦死
「ウクライナのゼレンスキー大統領、自軍の損害を初公表」
2022/3/13 、https://www.sankei.com/article/20220313-L7LRJDOQ3BJFBJCYGRMYTFCUHI/
ロシアによるウクライナ侵攻で、ウクライナのゼレンスキー大統領は12日、先月24日の侵攻開始以来、ウクライナ将兵約1300人が戦死したと述べた。ウクライナメディアが伝えた。ウクライナ側が侵攻による自軍の損害を発表するのは初めて。
ゼレンスキー氏は一方で「ロシア軍は1万2千人の損害を出している。(損害率は)1対10だ」と強調。同氏は「ウクライナは100%勝つ。ロシアが100万人を連れてきても、ウクライナ国民を支配するのは不可能だ」などと述べ、国民を鼓舞。交渉による停戦を改めて求めた。
双方の損害をめぐっては、露国防省が2日、自軍の将兵498人が戦死したと発表する一方、ウクライナ将兵2870人以上を殺害したと主張していた。
米国は8日、ロシア軍の人的損害は2千~4千人に達していると分析した。

(3)生放送乱入のマリーナの義憤・・生放送乱入の局員の反戦の叫び
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2022031500226&g=int
ロシア政府系テレビの生放送中に「戦争反対」15日 8時40分ウクライナをめぐる反戦デモの取り締まりが続くロシアで、政府系テレビ局の生放送中にテレビ局の女性スタッフが「戦争反対」と書かれたプラカードを掲げ画面に映り込みました。スタッフは当局に拘束されたということです。
ニュースを読む女性キャスター。その後ろに突然、「戦争反対」と書かれたプラカードを持った女性が映り込みます。プラカードには、「プロパガンダを信じないで。あなたはだまされている」というメッセージ。

3番目の写真は14日夜のニュース番組の生放送中の場面です。
これはロシアの政府系テレビ局「第1チャンネル」で14日夜のニュース番組の生放送中に起きた出来事です。画面が別の映像に切り替わった後、女性の姿は消えました。
ロシアメディアによりますと、乱入したのはテレビ局のスタッフで、警察当局に拘束されたということです。 

(4)ロシアの国営テレビで14日、反戦を訴えたマリーナさんの話
2022/3/15 、https://www.sankei.com/article/20220315-I73URLQAQ5JF7HVXOH7M3AUFXU/

4番目の写真はマリーナ・オフシャンニコワさんです。

ロシアの国営テレビで14日、反戦を訴えたマリーナ・オフシャンニコワさんは事前にビデオメッセージを収録していた。発言の全文は次の通り。
・・・今ウクライナで起きていることは犯罪だ。そしてロシアは侵略国家だ。その侵略の責任は、プーチン大統領にある。私の父はウクライナ人で、母はロシア人だ。これまで一度も敵対したことはない。(ロシアとウクライナの国旗の色があしらわれた)私の首にかかるネックレスは、ロシアが今すぐに、同胞を殺す戦争を止めねばならないという象徴だ。私たち兄弟国は、まだ和解ができるはずだ。
残念ながら、私は過去何年もの間「第1チャンネル」で働き、クレムリンのプロパガンダを広めてきた。今は、それを本当に恥ずかしいと思っている。テレビ画面を通じ、ウソを伝えることを許してきたことを恥じている。国民を、何も考えないようにすることを許してきたことを恥じている。
すべてが始まった2014年、私たちはただ黙っていた。クレムリンがナワリヌイ氏を毒殺しかけたとき、私たちは抗議集会に行かなかった。この非人間的な政権をただ黙って見ていた。
そして今、世界中が私たちに背を向けてしまった。私たちの子孫は今後10世代にわたり、この兄弟殺しの戦争の恥を洗い流すことはできないだろう。
私たちロシア人は思考力があり、賢い。私たちの力だけが、この暴挙を止めることができる。抗議集会に参加してほしい。何も問題はない。彼らは私たち全員を拘束することなどできないのだから。・・・

今日はウクライナ情勢に関する幾つかの最新報道をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 

「老人と孤独とインターネットの利用のしかた」

2022年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は高齢になると祖父母や両親が旅立って行ってしまいます。それまで目をかけて励ましてくれた恩人や友人達も何時の間にかいなくなってしまいます。
自分を昔から知っている人々がみな消えてしまうのです。気が付いてみると周りには知っている人がいなくなってしまいます。老人の宿命です。老人の孤独です。淋しいです。
仕事をやめた老人はよく趣味のサークルやボランティアに参加しています。そうすると自然に友人が出来ます。しかしいろいろな事情でそれが出来ない場合もあります。そんな場合にインターネットが役に立ちます。

今日はインターネットを用いて新しい友人を作る方法を書いてみます。
現役で働いていた時は、仕事を通じてどんどん新しい友人を作ることが出来ました。新しい友人が広がって行きました。孤独を感じないものです。
もっとも仕事で出来た友人は本当の友人ではないと自分は孤独だと思う人もいます。そのような懐疑的な人はインターネットで友人を作ろうとは考えません。
しかし私はインターネットで出来た友人を大切にしています。信頼し尊敬しています。私の人生にとって掛替えの無い人です。
インターネットを用いて新しい友人を作るために一番重要なことは「老人の頑なさ」を綺麗さっぱり捨て去ることです。
以前の仕事の上での成功も失敗も全て捨て去り、徒手空拳の状態になることが一番重要なのです。その上で友人についての狭い了見を捨てます。
インターネットで知り合った人は尊敬すべき友人だと信じることが肝心です。懐疑的な人はそれは軽率だと考えます。
しかし人間は土から生まれて土へ返る存在なのです。生きている間くらいはお互いに感謝しあって友人になれば良いのではないでしょうか。

私はインターネットの上に掲載した自分の文章を読んでくれる人に感謝します。読者を尊敬します。そんな人の中から自然に友人が出来ます。
さてもっと具体的なことを書きます。
まずブログ(https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama )に随筆をよく書いています。
その随筆をFace Book(https://www.facebook.com/kazu.s.goto )にも掲載します。
それから中高年者が主に会員になっている趣味人倶楽部というSNSの日記のページ(https://smcb.jp/mypage)にも掲載します。
すると外国や日本に住んでいる人々からコメントが来ます。コメントを下さった方々のブログやFace Bookや趣味人倶楽部のページを見て丁寧な言葉で返礼のコメントを投稿します。
これを繰りかえしていると自然に親しくなります。
そして親しくなったらその新しい友人へ私のブログやFace Bookや趣味人倶楽部のページに記事を書いて下さいと丁重にお願いします。
記事の内容はその方の家族のことだったり趣味の話だったり自由にお願いしますと書き送ります。
なるべく数回続く連載記事になるようにお願いします。
数例を書きます。ブラジルに移民して、成功したある宗教家に移民後の体験記の連載を書いて貰いました。
フランス人と結婚し孫までいる幸せな日本女性にその体験記を連載して頂きました。
日本に住む女性で、夫のフランス駐在の間、長期間パリに住み子育てをした方にその体験記を連載記事にして頂きました。
日本である問題の故に差別されてイギリスに移住し成功した日本人男性の一生の物語を連載して頂きました。
みんな私のかけがえの無い友人になりました。
まだあります。猟期だけ北海道に移住しエゾ鹿の銃猟を趣味にしている方に猟犬と銃猟に関する連載記事を書いて頂きました。
この方は人格高潔で仲間に尊敬されている様子です。親しくなったらエゾ鹿とイノシシの上質な肉を送ってくれました。

インターネットを用いて新しい友人を作る方法はまだあります。
自分が興味を持った本の書評をブログやFace Bookや趣味人倶楽部のページに掲載するのです。
するとその本の著者と友人になります。
一つだけ例を書きます。その方は三浦半島の小網代湾にヨットを係留していて、そのヨットクラブの歴史を書いた方です。日本のヨットの歴史も本にして出版しました。
その方は読書家で博覧強記なのです。彼には写真や絵画の才能もあります。
まあこのような例は沢山ありますが、長くなるので止めます。

今日はインターネットを用いて新しい友人を作ることについて自分の体験を書いてみました。
新しい友人を作るためには一つの鉄則があります。それはインターネットで知り合った人は皆尊敬すべき友人だと信じることです。
知り合ったことに感謝します。こうして私は孤独な老境でも豊かな日々を送っています。それは楽しい人生の一つの期間です。

挿し絵代わりの写真は五日市街道に沿って亭々と伸びているケヤキの木です。自分で日撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)