後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本の運命を決めるアメリカ(2)日本が自由と平等な社会に変わる」

2022年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム
戦後アメリカは日本を占領し日本を民主主義に変えてアメリカと同じ国にしようとしました。
日本人に人間の自由と平等を教えようとしました。戦後77年間で日本の社会は少しずつ変わりました。アメリカ国内の社会生活においては人間の自由と平等はあるのです。日本はまだまだです。私の4年間のアメリカ在住で、この日米の民主主義の違いを実感ました。
今日は人間の自由と平等に対する考え方の日米の違いを書いてみたいと思います。
結論を先に書けば日本では人間に身分があり完全には自由で平等ではありません。アメリカ国内の社会生活では完全に自由で平等ます。ですが個人の感情の中には差別館は残ります。
さて1960年にオハイオの大学へ留学しました。24歳の時でした。

1番目の写真は留学したオハイオ州の風景です。
このオハイオ州でまず感動したことはアメリカ人の先生方が私を同じ人間として平等に取り扱ってくれたことです。先生と学生が平等だったのです。日本では先生は身分の高い存在でした。
当時のアメリカ人は敗戦国の日本人を蔑んでいなかったのです。私は人間の平等を実感しました。先生方だけでなく付属工場の職人も私を同じ人間として平等に取り扱ってくれたのです。
例えば私の実験装置の完成には機械工場のロスさんという職人がひどく親切に協力してくれたのです。私はロスさんに友情を感じました。
そして指導教授のセント・ピエール先生や学科主任のフォンタナ教授にも私は友情を感じました。

2番目の写真はオハイオ州立大学の ロードホールという建物です。この建物の一階の右端の部屋にロスさんは私の設計図どうりに実験装置を作ってくれました。
そしてもう一つの忘れ得ぬ経験は、指導教官のセント・ピエール教授夫妻が我々の結婚式の仲人をしてくれたことです。私は 妻を日本から呼び寄せ、オハイオ州のコロンバスで結婚式を挙げたのです。1961年のことでした。

3番目の写真は新婚時代の家内です。
私が2度目にオハイオ州に在住したのは1988年から1990年まででした。
1988年に本田宗一郎氏がオハイオ・ホンダ工場を視察に来ました。
アメリカの大企業の幹部は工場労働者とは握手をしません。食堂もトイレも社員と労働者は別です。ところがホンダ工場は一緒だったのです。本田さんは「自由と平等」をホンダ工場の中で徹底した英雄と讃えられました。現在、アメリカでは食堂もトイレも社員と労働者は一緒です。

4番目の写真は私も見学に行ったオハイオ・ホンダ工場です。

5番目の写真は黒人も白人もアジア人も平等に働いているオハイオ・ホンダ工場の従業員一同です。
アメリカの頭痛の種はリンカーン大統領の昔から人種差別の問題です。ホンダ工場では人種差別は無いのです。黒人も白人もアジア人も同じ組み立てラインに平等に働いていました。

6番目の写真はオハイオ州立大学のアメリカンフットボール場です。ここに本田さんが巨大な電光掲示板を寄付してくれました。

7番目の写真はアメリカンフットボールの競技では黒人も白人もアジア人も平等にプレイしています。

以上のようにアメリカでの社会生活では人種差別は無くなりました。しかし居住地には黒人街や白人地区というような差別があります。個人の感情の中から完全には無くすことは難しいのです。一方、日本の社会では男女の差別や身分の差別がまだあります。例えば会社では部長、課長とか平社員のような差別が身分の違いとして残っています。
今日は人間の自由と平等に対する考え方の日米の違いを書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「秋のお彼岸の墓参りに行きました」

2022年09月19日 | 日記
秋のお彼岸の墓参りに行きました。毎年、春と秋のお彼岸とお正月とお盆には家内の家の墓参りに行きます。行くお寺は日野市の大昌寺という浄土宗のお寺です。私自身の父母の墓は仙台にあるのでめったに墓参りには行けません。ある曹洞宗の寺の住職をしていた弟が去年までは供養していました。その弟も旅立ってしまいました。私自身の祖父も父も叔父も曹洞宗のお寺の住職でした。今日は家内の両親と祖父母のこともいろいろ思い出しました。
大昌寺には昔の家内の祖父母の家が移築してあります。大昌寺に移し茶会などに使っています。それで一層、墓参りをすると過去とのこともいろいろ思い出します。
今日は近親者の故人のあの世での幸せを祈りました。冥福を祈りました。今日も心静かに時間が流れ行きました。撮って来た写真を添えておきます。







「日本の運命を決めるアメリカ(1)日米の軍事力」

2022年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の将来の運命に大きな影響を与える国はアメリカです。今日からその軍事力、経済、政治体制、文化と宗教、日米関係などを連載記事として書いて行きたいと思います。 第一回目の今日は「日米の軍事力」です。 日本は戦後77年間平和です。この平和はアメリカと日本の軍事力が中国やロシアや北朝鮮を牽制し平和を守ってきたからです。この現実を忘れることは危険なことです。常にこの現実を直視する勇気を持たなければなりません。 現実の一つの例として青森県の三沢アメリカ空軍基地関連の写真をお送りします。 三沢アメリカ軍基地には恐ろしい攻撃用の爆弾やミサイルを満載して出撃する戦闘爆撃機が多数常駐しています。Misawa Air Base として検索するとアメリカ空軍の戦闘機や長距離爆撃機が多数常駐して様子が分かります。攻撃範囲は太平洋全域からアフリカ東海岸まです。 1番目の写真は三沢飛行場の管制塔の中の写真です。この飛行場は民間航空会社と航空自衛隊とアメリカ空軍の3者の共同利用です。しかし空域の管制は米空軍が行っているのです。
2番目の写真は離陸しようとしている攻撃用の爆弾やミサイルを満載したアメリカの戦闘爆撃機です。敵機を撃ち落としたり地上の人々を殺戮する武器を満載しているのです。攻撃を受けた地上では恐ろしい悲劇が起きます。
3番目の写真はアメリカの戦闘爆撃機の訓練中の写真です。戦闘爆撃機は不吉な色合いです。
このような民間航空会社と航空自衛隊とアメリカ空軍の3者の共同利の空港は九州の福岡や北海道の千歳にもあります。その空域の管制は米空軍が行っているのです。
その他、米軍航空部隊と航空自衛隊の共同利用基地は沖縄、岩国、厚木、福生などなど全国にあるのです。
これらの日本にある米軍基地はアメリカの世界中に配置した軍事基地と密接に連携してアメリカの仮想敵国を包囲しています。
日本にあるアメリカの基地は日本を防衛するために存在するのではなく、アメリカが全世界を軍事的に支配するために設置しているのです。
4番目の写真は全世界に展開している多数の米軍基地の分布図です。出典は、http://manaoki.seesaa.net/article/388804731.html です。
これを見ると米軍があたかも全世界を占領しているように見えます。1990年頃のソ連の崩壊で米軍基地が昔の共産圏まで広がっているのです。
その米軍は核武装して先端技術に支えられた最新鋭の装備を誇っているのです。
さて日米の軍事協力は感情的な問題ではありません。これは日本人の生き方、人生観の問題なのです。自分の問題であってアメリカの問題ではないのです。これが現実です。
それでは日本の軍事力はどうなっているでしょうか?
日本は陸海空軍の軍備をえいえいと増強して来たのです。まず自衛隊の装備の写真をご覧下さい。
5番目の写真は陸上自衛隊の戦車です。
6番目の写真は海上自衛隊の駆逐艦です。
7番目の写真は航空自衛隊の輸送機です。
これらの写真は、日本に陸海空軍の戦力を示し、その軍事力は世界で8位なのです。この自衛隊の戦力と憲法9条の戦争放棄は明々白々な矛盾です。
憲法9条は多くの日本人の祈りなのです。全人類が考えるべ理想です。
 
以上のアメリカと日本の軍事力に対抗する中国の軍事力はどうでしょうか?
詳細は省略して航空母艦を一例として示すます。中国は三隻の空母体制のを作ろうとしています。
中国で初めてとなる国産の空母「山東」は2019年の12月17日、就役しました。これで2012年にウクライナから輸入して就役している空母「遼寧」と合わせて2隻の空母になりました。
3隻目の空母は目下上海で建造中です。それが完成すれば中国海軍は三隻の空母体制になるのです。
日本を取りまく国際情勢はますます波が高くなっているのです。
中国は「世界一流の海軍の構築」を掲げ、将来的に少なくとも4隻の空母の保有を計画しているとみられています。
また中国の国有企業は去年、初の原子力空母の開発を進める計画も明らかにしています。
中国は中東やアフリカなど中国から離れた遠洋での権益の確保と影響力の拡大も狙っているのです。
中国は太平洋のアメリカのグアム基地を攻撃出来るように海軍の軍事力を増強しています。これが太平洋の軍事力のバランスの現実なのです。
 
今日はアメリカと日本の軍事力を見てみました。嫌な現実も直視することが重要だと私は信じています。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 
===参考資料=========================
アメリカの軍事力、
2008年の統計です。現役軍人数:144万人、予備役 149万人で順位は世界第一位です。
そしてアメリカ軍の管轄地域は次のように全世界を覆っているのです。
管轄地域別の一覧;
アメリカ北方軍(USNORTHCOM)- 北米担当
アメリカ中央軍(USCENTCOM)- 中東担当
アメリカアフリカ軍(USAFRICOM)- アフリカ担当
アメリカ欧州軍(USEUCOM)- 欧州担当
アメリカ太平洋軍(USPACOM)- アジア・太平洋地域担当
アメリカ南方軍(USSOUTHCOM)- 中南米担当

その上、機能別でも組織化されています。
アメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)- 特殊作戦担当
アメリカ戦略軍(USSTRATCOM)- 核兵器と宇宙軍とサイバー軍を統括
アメリカ輸送軍(USTRANSCOM)- 戦略輸送を担当

以上のようにアメリカ軍の規模は非常に大きく、そして全世界を管轄しているのです。
その上、最新鋭の装備も持っているのです。
全地球上を覆う米軍基地があるというのが現実です。

今日は皆様とご一緒に、「世界に真の平和が来ますように!」とお祈りしたいと思います。後藤和弘(藤山杜人)

「青と黄色のアスターの花の写真

2022年09月18日 | 写真

青と黄色のアスターの花の写真をお送りいたします。

アスター(エゾギク)は一度花を咲かせると枯れてしまう「一年草」です。宿根アスターは冬になると地上部が枯れ、根だけになって冬越しして翌年また花を 咲かせます。

青い花の写真の出典は下記です。
https://jp.123rf.com/photo_25676404_%E8%83%8C%E6%99%AF%E3...

黄色の花の写真の出典は下記です。
https://jp.123rf.com/photo_38143873_%E9%BB%84%E8%89%B2%E3...


「イグナチオ教会の今日の 『第25主日のミサ』の動画配信のご案内」

2022年09月18日 | 日記

カトリック・イグナチオ教会教会の今日の 『第25主日のミサ 』の動画配信のご案内をお送り致します。

https://www.youtube.com/watch?v=G_REfpx-3Sg

【本日の聖書朗読箇所】
第1朗読
アモスの預言(アモス 8:4-7)
第2朗読
使徒パウロのテモテへの手紙(1テモテ 2:1-8)
福音朗読
ルカによる福音 (ルカ 16:1-13, または16:10-13)


カトリック麹町 聖イグナチオ教会
https://www.ignatius.gr.jp/index_j.html

なお関口教会からも動画配信がありま.す。

写真はイグナチオ教会の今日の ミサの風景です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。 後藤和弘(藤山杜人)


「白くて柔らかい食べ物のお話」

2022年09月17日 | うんちく・小ネタ
白くて柔らかい食べ物?  それは豆腐の話です。
さて早速ですが豆腐料理の写真をご覧ください。

1番目の写真は我が家でよくたべる「冷や奴」です。
写真の出典は、https://park.ajinomoto.co.jp/recipe/card/705616/ です。

2番目の写真は甘辛い味噌を塗った「味噌田楽」です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90 です。

3番目の写真は甘辛い醤油味で煮込んだ「雁もどき」です。写真の出典は2番目の写真と同じです。
ところで日野市に美味しい豆腐を売っている店があるます。「とうふ処三河屋」です。写真をご覧下さい。「とうふ処三河屋」の写真は家内が撮ってきたものです。

4番目の写真は「とうふ処三河屋」の 高幡本店です。

5番目の写真も「とうふ処三河屋」の 高幡本店の店内の写真です。アクセスは、https://www.mikawaya12.com/ に出ています。
さて豆腐の物語です。豆腐の起源についてはいろいろな説がありますが、16世紀に編纂された『本草綱目』では、豆腐は紀元前2世紀前漢時代の淮南王で優れた学者でもあった劉安によって発明されたと書いてあるのです。真偽については分かりませんが中国ではそのように信じられています。
そして豆腐の原料となる大豆は遅くとも紀元前2000年頃までには中国の広い範囲で栽培されていたと考えられています。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90 )
日本へ豆腐は中国から伝えられました。遣唐使によるとする説が最も有力で、空海によると一般に信じられています。
豆腐はアジアの広範な地域で古くから食べられてきました.中国本土、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インドネシアなどでは現在も日常的に食べられています。
アメリカ合衆国やイギリスを始めとする英語圏のほか、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏等々、世界の様々な国々で、"tofu "と書かれて食べられています。
欧米諸国へ導入されたのは17世紀です。清で布教したスペインのドミニコ会宣教師が欧米に紹介したことになっています。
20世紀末期以降のアメリカを始めとする欧米諸国では、健康的な食品への関心の高まりによって豆腐が注目を集めるようになります。
さて江戸時代の日本では『豆腐百珍』という本が書かれました。この本では100種の豆腐料理の調理方法を解説しています。ちょっと面白いのでご紹介します。
豆腐百珍では、豆腐料理を以下の6段階に分類・評価しているのです。
1、尋常品:どこの家庭でも常に料理するもの。木の芽田楽、飛竜頭など26品。
2、通品:調理法が容易かつ一般に知られているもの。料理法は書くまでもないとして、品名だけが列挙されている。やっこ豆腐、焼き豆腐など10品。
3、佳品:風味が尋常品にやや優れ、見た目の形のきれいな料理の類。なじみ豆腐、今出川豆腐など20品。
4、奇品:ひときわ変わったもので、人の意表をついた料理。蜆もどき、玲瓏豆腐など19品。
5、妙品:少し奇品に優るもの。形、味ともに備わったもの。光悦豆腐、阿漕豆腐など18品。
6、絶品:さらに妙品に優るもの。ただ珍しさ、盛りつけのきれいさにとらわれることなく、ひたすら豆腐の持ち味を知り得るもの。湯やっこ、鞍馬豆腐など7品。
(『豆腐百珍 原本現代訳』教育社新書 ISBN 978-4315506846)。

それはさておき、 「とうふ処三河屋」は日野市に高幡本店と万願寺店があります。詳しくはhttps://www.mikawaya12.com/ をご覧ください。
以前にこの店からおぼろ豆腐、寄せ豆腐、雁もどき、厚揚げを買って来ました。
夜におぼろ豆腐に生姜をおろしてかけ、醤油をたらして食べました。大豆の香りがしてふくよかな絶品でした。
雁もどきの方は出汁砂糖醤油みりんで煮ました。口に入れると粗挽きの大豆とごぼう、黒ゴマなどの歯ごたえが絶品です。嗚呼、豆腐は大豆から作るのだと納得します。上質の揚げ油と原料の大豆の美味しさがよく分る雁もどきなのです。
美味しい豆腐を食べると懐かしさと幸福感が湧いてきます。

皆様のお住まいの近所に美味しい豆腐を売っているお店があるでしょうか?
今日は豆腐の起源や豆腐のものがたりを書きました。そして美味しい豆腐を売っている「とうふ処三河屋」をご紹介いたしました。

「大きな花々の写真を見ると元気になる」

2022年09月17日 | 写真
私は大きな花々の写真を見ると元気になるのです。
写真は順に、ムクゲ、サボテン、ヒマワリです。
写真は「大きな花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。
 
 

「秋愁、霞ヶ浦、猪苗代湖の秋風を想い、亡き友を偲ぶ」

2022年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム
来週は秋のお彼岸です。彼岸がすぎると秋が深まって行きます。彼岸という言葉を見るとあの世に旅立った親、親類、恩人、友人のことを思い出します。
毎年、秋になると75歳まで楽しんでいた霞ヶ浦や猪苗代湖のヨットの風景を思い出します。秋空の下で清涼な風を帆いっぱいに受けて走るヨットの光景です。

1番目の写真は2010年の秋に撮ったヨットと秋の空の写真です。
ヨットの趣味は50歳の頃始めました。始めの2年ほどは江の島や葉山のマリーナの沖に出ました。
そして琵琶湖から中古の小型クルーザー・Yamaha19を買い、霞ヶ浦マリーナへ陸送して来ました。その後私は茨城県の県庁が管理している係留場所へ船を移動し、そこに22年間係留していました。
そして62歳の頃、少し大きなJoyrack 26を買いまさた。これも中古でした。
秋になると霞ヶ浦や猪苗代湖で何度も一緒にヨットに乗った大学学時代の2人の友人をよく思い出します。星野君と大友君です。2人とも旅立ってしまいました。
2番目の写真は霞ヶ浦をセイリングしている星野君(右)と大友君(左)です。2人とも大学時代の友人です。星野君は私のヨットに来る時は毎回よく冷えたシャンパンの瓶を担いで来ました。シャンパンを美味しく飲むにはシャンパングラスが必要だと、そのグラスまで冷やして断熱バッグに入れて持って来くれました。  
3番目の写真はヨットの上から見た霞ヶ浦の夕方の風景です。大友君とは霞ヶ浦と相模湾でよく一緒にヨットに乗りました。ある時は古い巡視艇で相模湾を横断し、初島に行って一緒に泊まった思い出もあります。
そして星野君とは猪苗代湖の花春カップ・レースに何度か出たことがあります。 
4番目の写真は猪苗代湖をセイリングしているヨットの写真です。星野君が猪苗代湖で所有していたヨットはこの写真のヨットによく似ていました。彼のヨットのキャビンは大きくて夜には一緒にビールを飲みます。窓の外の波の向こうには黒い磐梯山がそびえていました。

5番目の写真は磐梯山と猪苗代湖の風景です。毎年、秋になると75歳まで楽しんでいた霞ヶ浦や猪苗代湖のヨットの風景を思い出します。そして何度も一緒にヨットに乗った大学学時代の2人の友人、星野君と大友君をよく思い出します。2人とも旅立ってしまいました。秋は何故か旅立った親、親類、恩人、友人のことを思い出す季節です。皆様はいかがでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「欧米人と日本人の趣味の大きな違い」

2022年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

あなたの趣味は何ですか?と聞かれると返事に困ります。実は現在は無趣味なのです。昨日、「私の妻と馬の絆の写真集」という記事を書きました。妻の趣味だった乗馬のことをかなり詳しく書きました。

しかし考えてみると乗馬は欧米の趣味で日本人の趣味ではありません。日本ではごく少数の人が楽しんでいるマイナーなものです。そこで欧米人と日本人の趣味の大きな違いに気が付いたのです。その証拠です。
日本の乗馬人口は71000人位です。ところが「ドイツ」では250万人、「イギリス」では250~400万人、「フランス」ではは150万人ほどいるそうです。日本の人口を考えると日本は乗馬人口が極端に少ないのです。延べ年間500万人ともいわれるゴルフのようなメジャースポーツと比べると極端に少ないのです。(https://teiji-taisha.com/horseriding-population-in-japan )
日本では普段の生活に馬が見られず馬を見るのが珍しい環境です。馬に乗る機会も非常に限られています。伝統文化の違いからヨーロッパの人は馬の扱い方も馬とのコミュニケーション能力も格段に違うのです。
以上のように乗馬は欧米の趣味で、日本の趣味ではありません。

もう一つ、欧米人と日本人の趣味の大きな違いの例を上げます。ヨットの趣味です。

私は昔クルーザーヨットの趣味を25年間楽しみましたが、その趣味も日本の趣味ではありません。イギリスでは1720年に記録に残っている最古のヨットクラブ「コーク・ウォーター・クラブ」がアイルランドに設立された。これは現在の「ロイヤル・コーク・ヨットクラブ」の祖です。 以後、19世紀にかけてヨーロッパ、アメリカの富裕層を中心に各地にヨットクラブが設立されたのです。18世紀にもアイルランドとイングランドのクラブ同士でレースが行われています。19世紀になって大掛かりな国際ヨットレースが行われるようになりました。

19世紀後半にはディンギーと呼ばれる小型艇のレースも始まり、第一次世界大戦後に盛んになったのです。1875年にイギリスで設立されたヨット競技協会(YRA)によって統一的なルールと6段階のクラス分けが制定されtげいます。

1番目の写真は24フィートの帆船 のヨットレースです。 写真の出典は、ヨット - Wikipedia です。 シドニー港です。

2番目の写真はのクルーザー級の帆船のヨットレースです。写真の出典は、ヨット - Wikipedia です。

3番目の写真はクルーザー級のヨットレース(2013年)です。写真の出典は、ヨット - Wikipedia です。

以上のように欧米と日本の趣味を比べると比較文化人類学の問題になってしまいます。興味の尽きない問題です。
日本人の趣味は以下のようなものです。趣味に関する調査結果です。

男性は「スポーツ」「読書」「パソコン/インターネット」、女性は「読書」「旅行」「音楽鑑賞」「料理」が上位を占める結果となり、「趣味はない」と回答した人は、2.3%にとどまりました。ちなみに妻は学生時代短距離走ソフトボール。そしてスケートは60歳迄続けました。85歳の現在はランニングだけですが、観戦は野球、相撲の他スポーツ全般を好んでいます。

大人男性の趣味ランキングは?

1.スマホゲーム スマホゲームはいつでもどこでもできるため、人気の趣味です。 .2.カラオケ・一人カラオケ ...

3、読書 ...

4,一人旅

5.英会話教室 ...

女性の場合は、

1.在宅ワーク ...

2.一人旅 ...

3,御朱印巡り ...

4,ドライブ

そしてスポーツではゴルフが目立ちます。延べ年間500万人ともいわれるゴルフのようなメジャースポーツがあるのです。

欧米と日本の趣味を比べると比較文化人類学的に興味の尽きない問題なので今後考を深めて行きたいと思います。


「秋の花々の写真」、続き

2022年09月16日 | 写真
秋の花々の写真をお楽しみ下さい。写真は順に、キキョウ、オミナエシ、フジバカマ、ハギ です。

「秋の花々の写真」

2022年09月16日 | 写真
秋の花々の写真をお楽しみ下さい。
写真は順に、トロロアオイ、ヒガンバナ、ツタ、ナデシコ です。
 
 
 
 
 

「秋の思い出、あけび、栗、柿、そしてススキのある風景」

2022年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム
秋になりました。秋になるとあけびや栗や柿そしてススキのある風景などを思い出します。
戦中、戦後に仙台市に育った頃は秋の果物といえば柿と栗しかありませんでした。冬になれば果物店に青森の林檎や静岡のミカン並びがましたが、一般的に果物は貴重品でたまにしか食べられませんでした。
そんな時代の1950年頃に郊外の八木山の森深く入って行くと不思議に山栗が沢山落ちているところを一度だけ発見したのです。それは踊り上がるような歓喜でした。
栗の実を拾い集めてからさらに森の奥に入って行きました。と、不思議な果物がつるにぶら下がっていたのです。それは淡い紫色になったアケビでした。
すぐに取って、中の果実を口に入れると、やさしい穏やかな甘味が広がります。その甘味は砂糖のように強くなく、ほのかな甘味ですが、何故か体中が幸せになるような感じがします。
この世の果物ではないような味です。幻想的な味です。
それ以来、野生のアケビを探して八木山の奥に毎年のように入りましたが、なかなか見つかりません。まさしく幻の果物でした。
・・・それからいろいろな事がありました。あっという間に25年が過ぎ去りました。
1975年になって山梨県の甲斐駒岳の麓の森の中に小屋を建てました。初めて行ったときに小川の向こうに何と、あの幻の果物のアケビが実っていたのです。薄紫色のアケビが3個ぶら下がっています。
少年の頃。仙台の八木山でアケビを見つけた時の歓喜がよみがえります。
そこでその小屋の名前を「あけび荘」とし、彫刻用の木版に彫って小屋に取り付けました。
・・・それからまたいろいろな事がありました。あっという間に15年が過ぎ去りました。
1990年に琵琶湖で中古のヨットを買って、霞ヶ浦のマリーナまで陸送しました。その時、ヨットの店の人に「あけび号」と船首に書いて下さいと頼みました。
霞ヶ浦に浮かんだ「ヤマハ19」の白い船首の両側に墨黒々と「あけび号」と書いてあります。
その10年後に少し大きな中古ヨットを買いましたが、その登録名は「あけびⅡ号」としました。
アケビの実は不思議です。私の人生の大切なものになりました。
いつもは忘れているのに人生の折り目、折り目に心の中から出てくるのです。そして八木山の奥でアケビを発見した時の歓喜がよみがえってきて幸せな気分になるのです。
ある新聞に次の句がありました。「あの頃のほのかに甘き通草(あけび)かな」  松井矢菅
そして日本の秋には伝統行事があります。
秋の夜に澄んだ虫の声を聞いて楽しむのも日本の伝統です。秋の七草の花々を愛するのも日本の万葉集時代からの伝統です。満月にススキと団子を供えるもの昔の習慣でした。昔は野原がいっぱいありました。その原っぱには必ずのようにススキの穂が秋風に揺れていました。そんな事を思い出しながら毎年秋になるとススキの写真を撮りに行きます。この界隈でススキが群生している所は都立武蔵野公園です。
秋になると何度も家内と一緒に箱根の仙石原のススキの群生の風景を見に行きました。その風景を思い出します。秋になり色々なことを思い出す今日この頃です。

写真にあけびや秋の果物、そしてそしてススキのある風景の写真を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真はアケビです。あけびの写真の出典は、http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/2344/recipe/oba-chan/akebikawa.htmです。
2番目の写真は栗です。栗の写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/syumi-uu/m/200609 です。
3番目の写真は色々な秋の果物です。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=22654001497&GroupCD=0&no= です。
4番目の写真は都立武蔵野公園で撮ったススキです。
5番目の写真は箱根の仙石原のススキの群生です。写真の出典は、http://jere.blog1.fc2.com/blog-entry-628.html です。尚この出典には美しい花の写真が沢山掲載されている楽しいブログです。花のお好きな方へお薦めのブログです。
===付録========================= 
ススキが一面に広がって風に揺れている風景は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にもあります。
・・・ジョバンニは,白鳥と書いてある停車場のしるしの,すぐ北を指しました。
「さうだ。おや,あの河原は月夜だらうか。」
そっちを見ますと,青白く光る銀河の岸に,銀いろの空のすゝきが,もうまるでいちめん,風に さらさらさらさら,ゆられてうごいて,波を立ててゐるのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョ バンニは云ひながら,まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。・・・

このように日本人はいろいろなススキにまつわる心象風景を持っているのです。

「秋は菊が美しく咲きます」

2022年09月15日 | 写真
秋は菊が美しく咲きますのでその写真をお送りいたします。


写真は「菊の花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な菊の写真を選びました。


「何も無い広い武蔵野公園の風景写真」

2022年09月15日 | 写真

私どもが住んでいる小金井市には2つの広い公園があります。北の小金井公園と南の武蔵野公園です。武蔵野公園には何もありません。

緑の芝生と鬱蒼とした武蔵野の森があるだけです。私は何も無いことが大好きです。手つかずの昔の武蔵野の風景を見ている気分になります。太古からの武蔵野を想像しながら先程写真を撮って来ました。

昔の武蔵野を想像しながら写真をお楽しみ下さい。