後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「チベット族の秘境、九塞溝の紅葉の風景写真」

2022年10月14日 | 写真

九寨溝とは周囲にチベット族の村が九つあることから九寨溝と名づけられました。九寨溝は四川省の省都である成都の北400kmに位置する秘境です。

4000mを越す深山と原始林を背景に、宝石のような大小100余りの澄み切った湖沼と渓流、瀑布が延べ50kmにもわたって連なっています。

森にはパンダなどが棲み、「神話の世界」とも言われる景勝の地です。湖の透明度は約30mで、底に沈んでいる木まで一片の曇りもなく見える美しさ。

1970年代に森林伐採の労働者によって偶然発見され、今や中国では有名な観光地となっています。

1992年にユネスコの世界自然遺産に登録されました。


「情熱的で美しいブラジルの花々」

2022年10月14日 | 写真

外国にはいろいろな美しい花々があるようです。そこで調べたその写真をご紹介したいと思います。
今日は情熱的で美しいブラジルの花々です。

一番目と二番目の写真はブラジルという国の名前のもとになったブラジルボクの花です。 

三番目と四番目の写真はマナカーという名前の花だそうです。

五番目と写真は、春を告げるイッペ ロッショ(紫色のイッペ)の花です。

花々はその咲く土地に住む人間とさまざまな会話をし、その地方の文化と深くかかわっていると信じています。皆様もお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。


「ウクライナへの軍事攻撃(2)ロシアの民主主義の否定と独裁体制」

2022年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

世界にはいろいろな民族が住んでいます。しかしどの民族の人々は個人として見た場合は皆同じです。同じように家族を愛し平和に暮らしています。しかし政治体制や信じている宗教によって考え方や社会生活の様相が違ってきます。当然のことです。今日は昨日に続きロシアの人々のことを考えて行きたいと思います。

ロシア人は人懐っこい優しい人々です。個人的に付き合っている限り実に気持ちの良い人々です。政治体制は共産党独裁です。共産党独裁の特徴は共産主義に反対な人を逮捕して収容所に送ります。恐怖政治です。人々は共産党権力者を恐怖の目でみています。従って権力者に反対するような意見は絶対に言いません。共産党独裁者が行っている全てを賛美し支持していると言います。本心は別にして、そうしないと身の安全が保障されないのです。収容所に送られ運が悪ければ銃殺されます。これが共産党独裁の国の社会です。例はロシア、中国、北朝鮮、キューバ、その他です。

プーチン氏がウクライナを武力攻撃をしたら国民の大多数はそれを賛美します。賛美者の本心は誰にも分かりせん。ロシア人は民主主義を否定しています。ロシア人は民主主義より共産主義が良いと思っている筈です。

1917年10月に発生したロシアの革命で現在のロシアが生まれました。マルクス主義のレーニン的解釈に基づいて実行されたものでした。マルクス主義によって成立したは10月革命に際して巡洋艦アヴローラ号が冬宮を砲撃し革命を成功させたのです。その後は共産主義政党の高級官僚と秘密警察による支配になります。これでロシア革命は最終的に成功しソ連という強大な連邦国家が出来たのです。

最後に昨日の記事の「ウクライナへの軍事攻撃(1)ロシアの集団的惨酷性と人権意識の欠如」 に対してある方から頂いたコメントをご紹介したいと思います。

・・・ロシアの恐ろしさ、それは抑留されていた父が日記に語っていた、「一般の庶民たち、ひとりひとりはみんな人懐っこくていい、でも集団になると全然違う顔を持つ、その残酷さ、非情さはあれは人間でない、だから絶対に信用してはならない」と。ロシアの人たち、家族の中で話すことと外で発言することは全く別であると。・・・

ロシア人は人懐っこい良い人です。でも権力者が怖いのです。それが共産党独裁なのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

1番目の写真は1917年のロシア革命で打倒されたロマノフ王朝の一家です。

2番目の写真は1917年のロシア革命を指導したレーニンです。

3番目の写真は十月革命に際して冬宮を砲撃し革命を成功させた巡洋艦アヴローラ号です。


「紅葉の絶景風景」

2022年10月13日 | 写真
それにしても紅葉風景は美しいですね!
写真の出典は、https://allabout.co.jp/gm/gc/447887/ です。
1番目の写真は石川県白山市の旧白山スーパー林道の姥ヶ滝です。
2番目の写真は長野県の志賀高原の蓮池です。
3番目の写真は北海道の層雲峡です。
4番目の写真は長野県の上高地の大正池です。
 

「ウクライナへの軍事攻撃(1)ロシア民族の集団的惨酷性と人権意識の欠如」

2022年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の2月24日の突如始まったロシアのウクライナへの軍事進攻に多くの人々は驚愕しました。21世紀になっても大々に他国へ武力侵略するロシアに背筋が寒く成りす。その様子を示す3枚の写真をご覧下さい。写真の出典は、https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60636307 です。写真は首都、キエフの近郊のイルピンの惨状です。

今回のロシアにょるウクライナへの軍事攻撃の原因ついて私は深く考えてきました。そうしたらロシアは西欧諸国とはまったく異質な文化を持った特殊な国であるということに気が付いたのです。その異質性は中国や北朝鮮と同様に共産主義の国家であるということに由来しま

す。

民主主義の西欧諸国とロシアの違いは次の3つに要約されます。

(1)ロシア民族の集団的惨酷性と人権意識の欠如

(2)民主主義の教育の欠如と独裁体制 

(3)政治と宗教が分離していないロシア正教の後進性

さて今日はロシア民族の集団的惨酷性と人権意識の欠如について分かり易くご説明いたします。

「集団的惨酷性」とは権力者が人民をまとめて集団にして過酷な取り扱うことです。それが当然と考える社会を集団的惨酷性のある社会と定義します。証拠写真を示します。

4番目の写真はヴォルガ河の舟引きに家庭の主婦たちを動員して過酷な労働をさせている様子です。集団にして過酷な取り扱っているのです。

5番目の写真も同様に男たちを動員して過酷な労働をさせている様子です。集団にして過酷な取り扱っているのです。

農業・林業・工業においてもこの様な集団にして過酷な労働をさせれば個人の尊厳など尊重されません。

これらは昔のロシアだと抗弁するロシア人は沢山いると思いす。しかし民族の精神の底にはこの集団的な残酷性が牢固として住みついていると考えられます。

ですからロシアがウクライナへ軍事侵侵しして東部の4つの州をロシア領にしてもロシア人には罪悪感が微塵もありません。これがロシアなのです。それがロシアの文化なのです。全く困った国です。

世界にはいろいろな国があります。中国も北朝鮮もロシアと同じです。日本は警戒を怠っては危ないのです。

明日は、(2)民主主義の教育の欠如と独裁体制、について説明したいと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「スウェーデンの淋し気な花々」

2022年10月12日 | 写真

スウェーデンは緯度が高いので夏は白夜で太陽の光も弱々しい国です。8月に入ると草が茶色になり秋風が吹きます。

ですから花々の色も淋しげで、熱帯の花々とは違う魅力があります。そんな淋しげな花々の写真をお送りいたします。1番目の写真は一番先に咲き出すクロッカスの花です。写真の出典は、http://natsumegu.blog26.fc2.com/blog-category-6.htmlです。2番目の写真は藤色のライラックの花です。ピンク色のものもありますね。写真の出典は、http://square.umin.ac.jp/murata/diary_11_e.htmlです。3番目の写真は5月に咲く リンゴの花です。写真の出典は、http://square.umin.ac.jp/murata/diary_11_e.htmlです。

そして下はニワトコの花です。ニワトコジュースを作るそうです。味よりも、花の香りを楽しむ飲み物だそうです。4番目の写真はニワトコの花です。ニワトコジュースを作るそうです。味よりも、花の香りを楽しむ飲み物だそうです。写真の出典は、http://ninni.seesaa.net/article/20631001.htmlです。5番目の写真は夏の森に咲く花、Midsommarblomma(ミッドソンマル ブロンマ)です。夏至の花だそうです。写真の出典は、http://kaffe.exblog.jp/5668822です。

何故か若い時から北欧はロマンを感じていました。幸運にも1972年にストックホルムにある王立工科大学に招ばれ8月から11月にかけて4ケ月間程住んでいたことがあります。

北極圏にあるキルナという鉄鉱山のある町までレンタカーで旅をしたこともありました。スウェーデンには懐かしい思い出が沢山あります。スウェーデンの花を見ながらいろいろなことが思い出されます。思い出しながら花々の写真をお送りいたしました。


「東京都小金井市の『こがねい市民文化祭』」

2022年10月10日 | 日記
東京都小金井市の『こがねい市民文化祭』に行ってきました。
毎年、秋に小金井市の公会堂で行なわれる「こがねい市民文化祭」を見に行きました。妻の姉が出る群舞を見て来ました。
米寿なのに足が高く上がること吃驚しました。年老いても健康なことは良いことです。

「激動の昭和という時代(1)310万人の日本人の太平洋戦争の犠牲者」

2022年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和時代を考える場合、私は第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れることが出来ません。それは日本民族の最大の悲劇であり二度と繰り返すべきではありません。
日本の将兵は212万人が戦死しました。その他、アメリカ軍の空襲やソ連軍の満州占領により民間人が100万人近くが死んだと言われてます。戦死した将兵と犠牲になった民間人の合計は310万人と言われてます。この膨大な犠牲者は日本の歴史において空前の悲劇です。それこそが昭和という時代の最大の悲劇でした。
しかも第二次世界大戦の犠牲者は世界中に広がっていました。全世界で6000万人の人が死んだのです。以下はその主なものです。
(1)日本の占領地のフィリピンとインドネシアで民間人の死者がそれぞれ最大、100万人と150万人だったのです。
(2)日本領だった朝鮮の人が兵士や軍属として最大47万人以上死にました。
(3)インド人は英国兵として87000人死にましたが、民間人も250万人死にました。
(4)中国人は400万人の兵士が死に民間人を含めた合計が2000万人となっております。日本の将兵が殺したのです。これは世界の常識になっています。
(5)ドイツに占領されたソ連では合計2400万人の人が死にました。ドイツ人が殺したのです。
(6)日本ではあまり知られていませんが犠牲者の多かった国々は次の通りです。
ブルガリア、チェコソロバキア、フィンランド、ギリシャ、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、オランダ(インドネシアに居た人も含む)、ポーランド、ルーマニアなどです。
これらの国々の幾つかはドイツ側に立って戦争をしたのです。
全世界の総合計です。兵士の死者は15,00万人で民間人の死者は45,00万人でした。総合すると全世界で6000万人の人が死んだのです。

以上の犠牲者数は国際的に一番信頼されている統計資料の次のものを参考にしました。
(https://www.nationalww2museum.org/students-teachers/student-resources/research-starters/research-starters-worldwide-deaths-world-war )

脚注;Worldwide casualty estimates vary widely in several sources.
The number of civilian deaths in China alone might well be more than 50,000,000.
そして第二次大戦後、責任を取って自殺したドイツの民間人の数は直後の4日間だけでさえ;ベルリンで1200人、ライプチッヒで600人、ハンブルグで450人、ケルンで300人が自殺したと新聞に出ていたそうです。4日間だけでの総計が2550人です。それに比較して日本では愛宕山にこもった民間人10人位とその他に僅かと言われています。
さらにシベリア抑留でドイツ兵が55万人死に、日本人は5万人死んだのです。
和という時代の人類は狂気のように殺しあったのです。国家対国家の大規模な戦争によって殺しあったのです。
その昭和時代の太平洋戦争の為に海外で亡くなった240万人の犠牲者のうちまだ113万5千人の遺骨が日本へ帰って来ていないのです。
父や夫や息子や家族を戦争で失った遺族にとっては太平洋戦争は終わっていないのです。113万5千柱の遺骨が還らぬ限り太平洋戦争は終わっていないのです。

昭和という時代は以上のような戦争の時代でした。しかし終戦直後から日本は明るい時代になったのです。昭和の時代の後半の明るい話題も次回以降に書く予定です。それにしても昭和という時代の前半はひどい時代でした。

今日の挿し絵代わりの写真は第二次世界大戦の太平洋戦争に関連した写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は1941年12月8日の真珠湾攻撃の後にイギリス領マレーシアのパレンバンを落下傘攻撃する日本軍の様子を描いた絵です。 2番目の写真は昭和17年に始まった学徒出陣の写真です。神宮球場です。   3番目の写真は日本航空隊の攻撃を受けるアメリカの航空母艦です。この頃はまだ日本が優勢でした。4番目の写真は日本全土に焼夷弾をばら撒いたアメリカ空軍のB29の写真です。長嶝と広島には原子爆弾を落としました。5番目の写真はB29の空襲ですっかり焼野原になった東京の写真です。日本全国で200以上の市町村がこのような焼野原になったのです。

「ロシアのサンクトペテルブルクにあるハリストス復活大聖堂の写真」

2022年10月09日 | 写真
ロシアのサンクトペテルブルクにあるハリストス復活大聖堂の写真をお送りいたします。
ロシアを深く理解するためには貧しい農奴の生活とその悲惨を救うロシア正教の両方を理解する必要があます。そこでロシア正教の教会の写真をお送りいたします。

「日本の遍路と外国の巡礼の風景」

2022年10月09日 | 写真
今日は日曜日なので宗教にかかわる写真をお送りいたします。日本の遍路と外国の巡礼の風景の写真です。
1番目の写真は四国八十八箇所の巡礼の青龍寺です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A1%E7%A4%BC です。
2番目の写真は四国八十八箇所の巡礼のある橋を行くお遍路さんです。
3番目の写真はオーストリア、ケルンテン州のキリスト教巡礼者です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A1%E7%A4%BC です。
4番目の写真はスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(世界遺産)です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A1%E7%A4%BC です。
5番目の写真はヒンドゥー教の巡礼路です。ガンジス川の水源付近のケーダールナートの巡礼者たちです。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A1%E7%A4%BC です。

「イグナチオ教会の今日の 『教会祭 国際ミサ 2022年』の風景」

2022年10月09日 | インポート
イグナチオ教会の今日の 『教会祭 国際ミサ 2022年』の風景です。
今日はインターネットの画面を見ながらミサにあずかりました。
ミサ の風景の写真をお送りいたします。

「イグナチオ教会の今日の 『教会祭 国際ミサ 2022年』の動画配信のご案内」

2022年10月09日 | 日記

今日のミサは 11:00 時から「 教会祭 国際ミサ 2022年」です。

動画配信のご案内をお送り致します。
https://www.youtube.com/watch?v=8bs4TVmKlC0

なお関口教会からも動画配信があります。

写真は丸い外形のイグナチオ教会の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。 後藤和弘(藤山杜人)


「イリア・レーピンの『ヴォルガの船曳き』」

2022年10月07日 | 写真
サンクトペテルブルクにあるロシア美術館に収蔵されています。

寸法 は 131.5 cm × 281 cm です。

船曳き人夫らは皮や布でつくった幅広のベルトを身体に巻いて、何時間も何日間も岸辺や浅瀬を歩き続けて船を曳いたのです。

こうした奴隷労働は、1929年にソビエト連邦の政府によって正式に禁止されるまで続けられました。
これもロシアの文化です。