575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

みんな俳句が好きだった⑤  竹久夢二の俳句       ぐ

2010年12月06日 | Weblog
 紹介している内藤さんの本を読むまで、竹久夢二が荒畑寒村らと同居していて平民新聞の挿絵描いていたとは知らなかった。
 どんな挿絵を描いていたかも知りたがったが夢二の句は夢二らしいものであった。

  ほつれ毛に遊ぶ風あり青すだれ
  襟足の黒子あやふし朧月
  朝顔やおよそ女はいとはしき
  あきらめて灯をけす頃や春の雨
  夕さくら恋はほのかにありぬべし
  肌寒やよべの簪のありどころ
 
 一方次のような本格的な句も

  夕きりや水底の石相触る
  木から木へわたる蛇あり青嵐
  味噌をする音に秋立つ宇治の寺
  石けりのちょうくのあとや鳥渡る
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日常の一瞬を永遠に    遅足

2010年12月06日 | Weblog
少し前のことですが、日曜美術館が上村松園を取上げていました。

障子を開けて夕暮れの光の中で、糸を針に通す女性の姿を描いた絵。

母のおかげで日本画一筋に修業を重ねたテクニックもありますが、
興味深かったのは、孫の淳之さんが、語った言葉。

「日常は絵にならない。しかし、この絵は母への思慕があって、
そのココロが、日常の風景を絵に昇華させている」と。
松園が母を亡くしてから描いた絵だそうです。

そう言われれば展覧会で、こうした日常のしぐさが
題材になることは、ほとんどありません。

            

一瞬を永遠にする。

歌人の岡井隆さんが、日経新聞の「私の履歴書」のタイトルに使っていた言葉です。
上村松園が目指したものと同じものでしょうね。

俳句などでも挽歌というか、母や父の死を詠ったものに
良い句があるのは、そうした思いが伝わってくるからでしょうか。

日常の一瞬を永遠に・・・わずか17文字に。
そんな句は一つでも作れたらイイな・・・





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