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円という安さに10本を活けた。我が家では花があってもなくても誰もなにも言わな
い。
ユリを活けると息子が「この匂いが苦手っす。」と言うだけ。だから1人で「いい
ね、いいね。」と悦にいっていて気付いたのは、香りがしないこと。1本1本鼻を近
づけ調べてみる。9本の深紅のバラは全く香らないが1本の白バラは強くはないが香り
がある。種の特徴?冬だから?それともそれが安い原因?
道の駅では生産者が記されていることが多くなった。バラの花束にもあったが、す
でに捨ててしまった。私にできたことは鶴舞公園へ行き、バラの香りを嗅いでみたこ
と。
公園に植えられているバラの大半が四季咲きであるから、この寒さの中でも随分咲
いている。春はバラ園に近づけば、香りがしてくる。さすがに今は鼻を花までもって
いらないと匂はないし、強さは種類によって差があるというものの香りはある。冬だか
ら香らないという仮説はきえた。
冬薔薇は三冬の季語だそうだが、この言葉は谷村新司の「群青」を思い出させる。
反戦歌のようのにも聞こえるし戦争を賛美しているようにも聞こえる歌だ。その一節
手折れば散る薄紫の 野辺に咲きたる一輪の 花に似てはかなきは人の命か せめて海に散れ 思い届かば せめて海に咲け 心の冬薔薇
小説や歌詞は作りごとでいいと思っているが、一言、言ってみたかった。「野辺の
薔薇は冬には咲かないし、薄紫の薔薇は自生していないよ。」