サラリーマン時代、背広とネクタイは必須でした。
この背広の対極にあるのがセーター。
現役時代、テレビ番組の打ち合わせで、市長さんと面会。
当然背広にネクタイ。
しかし背広同士が打ちあわせをすると、
なぜか面白い話が出てこない。
ネクタイのキライだった私、ある時から、
カジュアルな服装で出かけることにした。
ノー・ネクタイのほうが、私的な話が聞きやすい。
こうして聞き出した話のほんの一部は、
番組を親しみやすくする効果があったかも。
子ども時代、映画を観にゆくのは、ハレの出来事だった。
エノケンの映画も、一張羅を着こんで、出かけた。
一方、新しく登場したテレビは茶の間にあり、普段着の世界。
高嶺の花だったスターを、身近な存在にしたのもテレビだった。
戦後、時代はセーター化してきたのかも知れない。
作者もテレビの先輩、堅苦しいことは嫌い。セーター主義。
時代の先端を歩いてきたのかな?
遅足
この背広の対極にあるのがセーター。
現役時代、テレビ番組の打ち合わせで、市長さんと面会。
当然背広にネクタイ。
しかし背広同士が打ちあわせをすると、
なぜか面白い話が出てこない。
ネクタイのキライだった私、ある時から、
カジュアルな服装で出かけることにした。
ノー・ネクタイのほうが、私的な話が聞きやすい。
こうして聞き出した話のほんの一部は、
番組を親しみやすくする効果があったかも。
子ども時代、映画を観にゆくのは、ハレの出来事だった。
エノケンの映画も、一張羅を着こんで、出かけた。
一方、新しく登場したテレビは茶の間にあり、普段着の世界。
高嶺の花だったスターを、身近な存在にしたのもテレビだった。
戦後、時代はセーター化してきたのかも知れない。
作者もテレビの先輩、堅苦しいことは嫌い。セーター主義。
時代の先端を歩いてきたのかな?
遅足