明治末生まれの我等過去暗し わが若き日は暗黒時代
歌作る仲間を思想集団となして ブラックリストに載せき
明治35年(1902) 生まれの父が丁度、私の今の年齢83歳 の時に当時を
回想して詠んだ歌です。
父は名古屋の旧制八高在学中の大正15年(1926)、たまたま三河の鳳来寺
の宿で歌人、若山牧水と出会ったことで、歌の道に入っていきました。
92歳で亡くなった父の最後の歌集「自然は最高にして」の後書きより。
「…私の若く感じ易い頃に、牧水先生に逢った事は、私の人生に火をつけた
事になった。私は退学し浪々し、其の間、生家の破産に逢った。その頃、
京都に居たが、金もなくなるし、職をさがしても、なかなか見当たらず
且は其の頃は私みたいな普通の生活をしていない者は危険人物視され、
警察のブラック・リストにものせられているらしく、" 故なく巷を彷徨
するもの " というので、これは後になって郷里の村役場の人から聞いた」。
父が若山牧水が創設した短歌結社「創作社」に入会したのが、大正11年
(1922) 。その2年後の大正14年に治安維持法が公布されています。
父のいう暗黒時代は昭和20年の終戦の日まで続きます。そして今、
インターネット時代の治安維持法とも云われる「共謀罪」法が参院本会議で
強行採決されました。なんだか父の時代と重なってきます。
戦後、平和憲法のもと、高度経済成長で豊かになった生活態度に対しても
警告しています。昭和61年(1986) の時の作です。
戦後といふ安楽椅子に腰下ろし安安(やすやす)と居り 現代人は
また、90歳の時の作には
利潤追求始終の如き現代は明朗の世か将(はた)暗黒の世か
九十年生き来てわれは思ふなり 世論と言ふもの当(あて)にはならず
権力者となへて大衆追随す これが軍専制時代の世論
今にして思ふ 軍専制時代には面従腹背のわが生きざまなりき
面従腹背 つまり表向きは服従するかのように見せかけて、内心では反抗。
そんな時代に逆戻りしないよう願いたいものです。
第二歌集「朱」(昭和34年) 版画歌集の製本はすべて父の手製によるもの
父は生涯で6冊の歌集を自費出版しています。