最近は海水浴に行くこともなく、海とは縁のない生活をしています。
改めて、海と言えば子供の頃の父と行った三河湾の御馬(おんま)海岸。
ボートからのぞいた海のきれいだったこと!
透き通って、海底の砂が白くきらきらと輝いていました。
数少ない父との思い出です。
この辺りは、古代には、引馬野(ひくまの)と呼ばれていました。
馬に関係の深い土地だったのでしょうか。
持統天皇が行幸された地とされており、万葉集にはその時、詠まれた歌が。
引馬野ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに
天皇は、伊勢から海を渡って三河へ。諫言をも聞かずに行幸。
その目的は謎につつまれたままです。
今は埋め立てられて、護岸堤防が続く殺風景な御馬海岸。
私が見た海の色は持統天皇のご覧になった海と同じ色だったんでしょうか?
もう一つ思い出す海の色は黒潮。太平洋で見たのは文字通りの蒼く黒い海でした。
海の日の瞼に残る海の色
海の日は、1995年に制定された日本の国民の祝日。
制定当初は7月20日でしたが、その後7月の第3月曜日に。
世界中で「海の日がを国民の祝日となっているのは日本だけだとか。
今また、制定当初の「7月20日」に戻そうという動きがあるそうです。
改めて、海と言えば子供の頃の父と行った三河湾の御馬(おんま)海岸。
ボートからのぞいた海のきれいだったこと!
透き通って、海底の砂が白くきらきらと輝いていました。
数少ない父との思い出です。
この辺りは、古代には、引馬野(ひくまの)と呼ばれていました。
馬に関係の深い土地だったのでしょうか。
持統天皇が行幸された地とされており、万葉集にはその時、詠まれた歌が。
引馬野ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに
天皇は、伊勢から海を渡って三河へ。諫言をも聞かずに行幸。
その目的は謎につつまれたままです。
今は埋め立てられて、護岸堤防が続く殺風景な御馬海岸。
私が見た海の色は持統天皇のご覧になった海と同じ色だったんでしょうか?
もう一つ思い出す海の色は黒潮。太平洋で見たのは文字通りの蒼く黒い海でした。
海の日の瞼に残る海の色
海の日は、1995年に制定された日本の国民の祝日。
制定当初は7月20日でしたが、その後7月の第3月曜日に。
世界中で「海の日がを国民の祝日となっているのは日本だけだとか。
今また、制定当初の「7月20日」に戻そうという動きがあるそうです。