575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

一山を風のニッコウキスゲかな   遅足

2017年07月16日 | Weblog
ニッコウキスゲは、ユリ科の高山植物。
尾瀬とともに霧ヶ峰がよく知られています。
先日、その霧ヶ峰高原へ行ってきました。
ところがビーナスラインを走っても一向に花は見当たりません。
数年前ならあちこちに咲いていたのに・・・

しばらく車を走らせて、ようやく出会えました。
柵で保護された場所だけは、いまが花盛りでした。
近年、増えていたニホンジカが花芽を食べてしまうので、
電気防護柵を張って守られているのです。
柵のないところはキレイさっぱり。

ニッコウキスゲは一日花。
この一日を精一杯咲き、高原の風にそよいでいました。
近くの食堂で一休み。すずしい風を満喫。
帰ってきたら猛暑の名古屋・・・あの風が恋しくなりました。

  写真の遠くの山は蓼科山です。
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妻に逢うまえの私に会う夏野   遅足

2017年07月15日 | Weblog
歌人の永田和弘さんにこんな歌があります。

  きみに逢う以前のぼくに会いたくて海へのバスに揺られていたり

私の句は永田さんの歌にヒントを得てつくったものです。
違いは「君」が「妻」に。「海」を「夏野」としたところ。

結婚をしてもう半世紀。人生の3分の2は妻と一緒。
幼い子どもの頃のことは、折に触れて思い出します。
しかし結婚直前の自分のことはすっかり忘れていました。
そんな自分に「夏野」なら出会うことが出来るかも・・・
春でも秋でも冬でもない、夏野です。

本歌取りとして成功しているのかな?

 
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父、竹中皆二の短歌から ~老松(おいまつ)~竹中敬一

2017年07月14日 | Weblog

  老松に渡らふ風のひびきあり うば玉の夜にわれはきくかも

福井県小浜市阿納尻(あのじり)にある私の生家近くの村有地に、父の初期の代表作、
老松の歌碑があります。歌友によって、父が存命中の昭和59年(1984)に建てられました。
牧水風で言葉の響きがよく、朗詠に向いているように思います。父はよく牧水や
自作の歌を朗詠していました。

私の生家「いるかや」は、内外海(うちとみ)半島の根っこに昭和7年に建てられました。
今でいうコンビニです。「いるかや」という屋号は、家のすぐ前にあった「いるか地蔵」
からもらって、父が名付けました。
私の家の裏に広がる入江では以前、天草がよく採れました。天草は寒天の原料になるため、
村人のよい現金収入になりましたが、時々、イルカの群れが現れ、天草を食い荒らしました。
こんな時、お地蔵さんにお参りますと不思議とイルカの群れは入江から去ったと云います。
それで、いつの間にか、このお地蔵さんを「いるか地蔵」と呼ぶようになったとか。
また、雨乞い地蔵としても崇められています。

「いるか地蔵」の傍には、樹齢500年という一本の大きな老松がありました。私も幼い頃、
強い風が吹くと枝枝の松葉が一斉にヒユーヒユーと音を立てて、唸ったのを覚えています。
父の書斎は「いるかや」の二階にあって、窓から目の前に老松を見ることができました。

昭和40年代、日本が高度成長時代になると、かって陸の孤島といわれた内外海半島にも
開発の波がひたひたと押し寄せて来ました。
昭和47年(1972)、道路拡張のため、お地蔵さんをどこかにお移しすることになりました。
父がこよなく愛し続けた老松をどうするか。なかなか決まりませんでした。

昭和47年2月10日付で、母から私の妻宛に来たハガキが残っています。
「…家の前の山も とうとう削られ、道がつくられることになって、昨日から立木を
切ってゐます。大きな松は のこされることになりましたので安心してゐます。
お地蔵様は三十メートルほど阿納尻よりの山ぞいに かりに おうつし申しました。
大変 変わりますでしょう。…」

この母からの便りがあった数ヶ月後、老松の運命が・・・。    (続く)

     写真は、昭和48年(1973)当時の老松。手前が「いるか地蔵」後ろが「いるかや」。

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碧南市藤井達吉現代美術館   麗子

2017年07月13日 | Weblog
昨夜の雷雨はすさまじかったですね。犬山城の天守閣も落雷のせいかしゃちほこのひとつが崩落したようです。
早く梅雨明けしてほしいうような、猛暑を想像すると恐ろしいような。
若い頃は夏が大好きだったのにここ数年、苦手になってしまいました。

さて、先日以前から気になっていた碧南の藤井達吉現代美術館に行ってきました。
平成20年に開館したこの美術館。
藤井達吉(1881~1964)は碧南市出身の美術工芸家で図案、絵画で活躍し、晩年には小原和紙工芸や瀬戸の陶芸などにも尽力したそうです。
こじんまりした美術館ですが、市民に愛されているなかなか居心地のいいところでした。
今はデンマークと日本の国交樹立150年を記念してのスケーケン美術館の所蔵品展が開かれています。

スケーケンはバルト海と北海にはさまれた湯とランド半島の最北端の漁村。そこに19世紀末から20世紀初めに北欧の画家、詩人作曲家などが集まり芸術家村として有名になったそうです。
漁師達たちの働く姿や海辺の様子、自然豊かな風景が美術館で味わえます。
デンマークには行ったことないけれど、渚の絵画から北欧のすずしさを体感できますよ。
7月23日まで開かれています。
そうそう、すぐ近くには真宗大谷派の僧侶で哲学者の清沢満之記念館もあります。西方寺にお参りして近くのうなぎやさんに立ち寄るという日帰り旅はいかがでしょうか?

       北欧の風を感じる夏絵画  麗子
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7月句会近づく

2017年07月12日 | Weblog
晩夏とは夏を3つに分けて、最後の10日ほどを言います。
季語は旧暦を基本にしており、立秋の前10日程が晩夏にあたります。
8月の7日が立秋ですから、7月中旬から8月上旬ごろまで。
実感としては夏真っ盛りですが、秋の気配を感じて・・・。
晩夏以外にも、夏深し、や、夏の果なども傍題として詠まれています。

  大水槽に鮫泳ぎゐる晩夏なり  辻美奈子

  蝶にのみ風あるごとし晩夏光  横山白虹

  縞馬は神の悪戯夏深し  岸田雨童

  新妻の二の腕白き夏の果 村井信子

今朝、庭でクマゼミが元気な声をあげていました。
このなかで晩夏の句を詠むのは、精神の集中が必要です。
句会には、どんな晩夏の句が集るのでしょうか? 
                          遅足
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ゴキブリを仕留めるときの妻の目  狗子

2017年07月11日 | Weblog
ゴキブリの字足らずは、緊迫感を出す高等テク??。

  ゴキブリを仕留める時の妻の 眼

と、一字空けの表記にすると、一呼吸が生まれ、
作者の意図が明確になるかもしれません。

ゴキブリは2億5000万年前には地球上に存在いていたとか。
人類の絶滅後にも生き残っているであろうと言われています。
好きな人はいないでしょうね。嫌われ者の代表みたいな存在です。
一体、何時頃から俳句に登場するようになったのでしょう?
しかしゴキブリを季語にしてしまう俳句。したたかですね。

  ゴキブリと我は一夜の三国史  遠藤寛子 

  ごきぶりを見しより疑心兆したる  西村和子

  愛されずして油虫ひかり翔つ  橋本多佳子

  あぶらむし明るき雨にぬれそぼつ  白川京子

ゴキブリ、ごきぶり、油虫、あぶらむし。
同じものでも表記によってニュアンスが微妙に違いますね。

狗子さんの自由題の句。

  徘徊の車飛び込む梅雨晴れ間

改装したての作者の家に車が飛び込んきた事故を詠んだ句。
運転していたのはボケ老人だったとのこと。
とんだ災難でしたね。でも怪我がなくて良かったです。

                   遅足


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紫陽花坂歩き遅れし妻を待つ  等

2017年07月09日 | Weblog
紫陽花は梅雨の似合う花。
色は紫から青までさまざまに変化することから七変化とも。
この句からは紫をイメージします。
初句が「紫陽花」と漢字で表記されているから。
表記も大切ですね。

一句の中に、歩き、疲れし、待つ、と動詞が3つ。
2つに出来ないかな?と思っていました。
遅れがちなる、はどうですか、との声。

  紫陽花坂歩き遅れがちなる妻を待つ

なるほど。この方が良いかも・・・・

我が家の庭にも紫陽花の花が咲いています。
買ってきた時は紫でしたが、年とともに青色に。
土壌の酸性度が高いほど青くなるそうです。

四枚の花弁を持つので四葩(よひら)とも呼ばれ、
俳句にはこの語を用られることも多いようです。
花弁に見えているのは萼が変化したもの。
花は小さくて虫眼鏡で見ないとよく分かりません。

ちょっと蓼科へ行ってきます。   遅足

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飛び魚の遠く飛ぶさき妻の待つ   能登

2017年07月08日 | Weblog
飛魚は夏の季語。旬は初夏から夏だそうです。
以前、一度、塩焼きにして食べたことがあります。
飛んでいるのを一度見ましたが、私には馴染みのない魚です。

この句は30年ほど前、最後の南氷洋商業捕鯨を取材。
長かった航海が間もなく終わり、日本に近づいた頃の思いです。
と、作者のコメント。
「遠く飛ぶさき妻が待つ」。ロマンチックな句ですね。

飛び魚は、亜熱帯から温帯にかけての海に生息するそうですから
赤道を越え、日本に近づく頃に目にすることに。
大きな胸ビレと腹ビレがあり、飛行距離は100米以上に。

  飛魚の翅透くまでにはばたける  福永耕二

空を飛ぶのは、マグロのような大きな魚から逃れるためだとか。
また、船の接近に驚いて、飛ぶこともしばしばあるそうです。
句では作者の帰心のイメージにもなっています。

九州では「あご」と呼ばれ、干物として食卓に。
たしか口にした記憶があるのですが、味は・・・

  飛魚の銀鱗光る魚市場  秋川ハルミ

          

九州の被災地のかたには申し訳ないような晴天が続いています。
35度を越しそうです。
早く雨がやんで行方不明の方々の捜索が安全に出来ますように。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された方々へこころよりお見舞い申し上げます。
                         遅足




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父、竹中皆二の短歌から ~世相を斬る~竹中敬一

2017年07月07日 | Weblog

 明治末生まれの我等過去暗し わが若き日は暗黒時代

 歌作る仲間を思想集団となして ブラックリストに載せき

明治35年(1902) 生まれの父が丁度、私の今の年齢83歳 の時に当時を
回想して詠んだ歌です。
父は名古屋の旧制八高在学中の大正15年(1926)、たまたま三河の鳳来寺
の宿で歌人、若山牧水と出会ったことで、歌の道に入っていきました。

92歳で亡くなった父の最後の歌集「自然は最高にして」の後書きより。
「…私の若く感じ易い頃に、牧水先生に逢った事は、私の人生に火をつけた
事になった。私は退学し浪々し、其の間、生家の破産に逢った。その頃、
京都に居たが、金もなくなるし、職をさがしても、なかなか見当たらず
且は其の頃は私みたいな普通の生活をしていない者は危険人物視され、
警察のブラック・リストにものせられているらしく、" 故なく巷を彷徨
するもの " というので、これは後になって郷里の村役場の人から聞いた」。

父が若山牧水が創設した短歌結社「創作社」に入会したのが、大正11年
(1922) 。その2年後の大正14年に治安維持法が公布されています。
父のいう暗黒時代は昭和20年の終戦の日まで続きます。そして今、
インターネット時代の治安維持法とも云われる「共謀罪」法が参院本会議で
強行採決されました。なんだか父の時代と重なってきます。

戦後、平和憲法のもと、高度経済成長で豊かになった生活態度に対しても
警告しています。昭和61年(1986) の時の作です。

 戦後といふ安楽椅子に腰下ろし安安(やすやす)と居り 現代人は

また、90歳の時の作には

 利潤追求始終の如き現代は明朗の世か将(はた)暗黒の世か

 九十年生き来てわれは思ふなり 世論と言ふもの当(あて)にはならず

 権力者となへて大衆追随す これが軍専制時代の世論

 今にして思ふ 軍専制時代には面従腹背のわが生きざまなりき

面従腹背 つまり表向きは服従するかのように見せかけて、内心では反抗。
そんな時代に逆戻りしないよう願いたいものです。

            

第二歌集「朱」(昭和34年) 版画歌集の製本はすべて父の手製によるもの
父は生涯で6冊の歌集を自費出版しています。

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ミニ遠足     麗子

2017年07月06日 | Weblog
台風一過の昨日、郁子さんの運転で藤井四段の地元、瀬戸に遊びに行きました。
瀬戸市美術館で開催中の「曜変・長江惣吉展」を見に行きました。曜変とは中国宗代の陶磁器で室町時代から最高の宝物として珍重されてきたそうです。現在、完全な天目茶碗は世界に3点しか存在しないそうです。

その曜変天目茶碗を瀬戸出身の長江惣吉さんが酸性ガスを使って再現し、新たな作品を制作されています。
その小さなお茶碗の中に宇宙が存在するかのような神秘的な光彩。見る角度によって色合いも違ってみえます。漆黒の宇宙の中の星雲のようなきらめきの釉薬。
暑い夏にはぴったりの展覧会です。

その後、滝を見にいこうということで岩屋堂まで足を伸ばしました。行基が聖武天皇の病気平癒を祈ったといわれる巨大な岩の祠。目や耳の病気にご利益があるそうです。
そのすぐ横に暁明ヶ滝がありました。台風の翌日ということで水量も多く、マイナスイオンたっぷりのひんやりとした涼感スポットでした。

帰り道に藤井四段の快挙を祝う横断幕のある瀬戸セラミックプラザに立ち寄り、お値打ちな蕎麦ちょこをお土産に帰りました。
藤井四段の活躍で一気に注目を浴びた瀬戸市。ミニ遠足としてとても楽しいところでした。郁子さん、本当にお世話になりました。

             掌に広がる銀河の茶碗かな    麗
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妻をぬぎ旅する空は青の夏  晴代

2017年07月05日 | Weblog
結婚して女性は妻に。専業主婦なら、掃除・洗濯・料理・・・
そのうえ仕事を持っていれば一分の時間も惜しい毎日。
子どもが生まれれば母としての日々。
子どもたちが独り立ちをして再び妻の仕事が。

こうした日常から脱出する一番の方法は旅。
それを、妻をぬぎ旅する、と表現したのが秀逸です。
しかも、空は夏の青ではなく、青の夏です。
技もあり高得点だったのも頷けます。

男は夫を脱ぎたいと思ってるのでしょうか?

          

梅雨前線に台風と重なって大変な日本列島。
どうか被害がでませんように・・・

                 遅足
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斎宮や二上に夫(セ)か夏木立   結宇

2017年07月04日 | Weblog
「夫」は「セ」とも読み、女性が、夫、兄弟、恋人など
自分の親しい男性をさして呼んだ言葉です。

この句の「夫」は、天武天皇の子・大津皇子をさしています。
皇子は文武に秀でた人物でしたが、皇位継承争いの中、
謀反の疑いで死罪になってしまいます。
自分の運命を知った皇子。伊勢に斎王(姉・大来皇女)を訪問。
これが姉弟の今生の別れとなりました。

大来皇女は、弟が罪を犯したことから斎王の任を解かれ都に。
皇子は二上山に葬られ、山頂付近には皇子の墓があります。

  うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む

弟を偲んで姉の詠んだ歌です。

作者は最近、伊勢の斎宮跡に行ったそうです。
以前は田畑だった斎宮跡。奈良の宮の跡のように整備されていました。
その一角に、大来皇女の歌碑がありました。
二上山に向けて建てられていたそうです。   遅足



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六月の夫の背中に薬塗り  麗子

2017年07月03日 | Weblog
六月は梅雨の季節。
気温も湿度も髙く、むしむしとした気候。
クーラーがあるとはいっても、肌がべとべと、
過ごしにくいものです。
赤ちゃんにあせもが出来たり、
眠っていた水虫が目を覚ましたり
アトピー性皮膚炎も悪化したり・・・

六月が来ると、夫の背中に薬を塗る。
季節の移り変わりを肌で感じます。
六月という季語が効果的です。

いつかは二人は一人に。
背中が痒い時には一人では薬を塗れません。
いまは孫の手のような道具もあるとか。
奥さんの手で背中に薬を塗ってもらえる。
ささやかな、しかし大切な時間です。

                遅足



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新妻の帰り待ちわび鯵捌く  すみ

2017年07月02日 | Weblog
季語は鯵。鯵の旬は5月~7月。暖流にのって日本周辺を回遊。
旬の鯵は小ぶりですが、脂ののりがよくオイシイとのこと。

新婚の夫がキッチンで包丁を手に鯵を捌いています。
新鮮なら、たたきか、刺身。あるいは、塩焼き?フライ?
新妻の好きなのはフライかな?

私も台所に立つことはありますが、魚は捌けません。
男子厨房に・・・と言われた名残りもあって
結婚しても、台所には入りませんでした。
包丁の免許皆伝がもらえませんでした。

いまの若い世代は子ども頃からキッチンに。
気軽に料理をする人も多いようです。
夫が妻との夕食を用意する。
明るい家庭が想像できます。(遅足)

  鯵裂いて水の匂ひや男の手  佐藤惣之助
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片陰に荷降ろす夫の肩寂し  郁子

2017年07月01日 | Weblog
片陰は、午後の日差しが、建物や塀などにつくる日陰。
陰の恋しい夏ならでは季語。

重い荷物を運んできた夫が一休み。
降ろすのを手伝っていた妻。ふっとその肩に寂しさを・・・
日差しのなかを歩いていた時には気が付きませんでした。
ああ夫も齢を重ねたのだ。
二人で歩んできた人生を振り返る瞬間だったのかも。
季語の片陰がきいています。

句会では「寂し」という主観の強い言葉ではなく
様子を描写したほうが良いのでは?という意見も。
確かに。しかし、どんな言葉がふさわしいのか?
なかなか難しいですね。
女性なら「ほそし」「うすし」でしょうね。
よい言葉を探してみます。
                 遅足


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