575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

虎落笛形見の筆の竜の彫  千香子

2018年12月16日 | Weblog

虎落(もがり)とは、竹を筋違いに組み合わせ、縄で結び固めた柵 (さく)。
虎落笛は、冬の強い風が竹垣や電線などに吹きつける時に発する音。
笛のような音なので虎落笛というそうです。

子供の頃、木枯しの吹く夜に聞いた音です。
大火事を連想し、この音が恐かった記憶があります。
恐いものは地震、雷、火事、親父、と言われた時代です。

筆は父の遺品の蒔絵の万年筆です、と作者。
お父上が大切にされていた蒔絵の万年筆。
一句の中にある虎落笛の「虎」と龍の彫の「龍」。
ふたつの言葉が、雄々しい父親像を浮かび上がらせます。
そう、恐い親父が生きていた時代ですね。(遅足)

  虎落笛聞きつゝ言葉探しをり  赤木 範
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山形1泊の旅 ~ より道 「 奥の細道 」⑵ ~ 竹中敬一

2018年12月15日 | Weblog

芭蕉の旅は寒い時期は避けたものの、梅雨時や夏場の暑い時期に

当たります。

宮城県の塩竈神社に向かう途中、5月2日 ( 今の6月18日 ) 飯坂。

( 今の福島市にある飯坂温泉 )での記述。

まず、門人の曽良の旅日記より、「 飯坂、宿 記載なし。快晴、昼

より曇、夕方より雨降り夜に入り強し。」とあります。

芭蕉の記述 「 其夜 ( そのよ )飯塚 ( いひづか )にとまる。

温泉 ( いでゆ )あれば、湯に入 ( いり ) て宿をかるに、土坐に筵

( むしろ ) を敷 ( しき ) て、あやしき貧家( ひんか ) 也。

灯 ( ともしび ) もなければ、いろりの火 ( ほ )かげに寝所 ( ねところ )

をもうけて臥 ( ふ ) す。夜に入 ( いり ) て、雷鳴 ( かみなり ) 雨しきり

に降 ( ふり )て、臥 ( ふせ ) る上より もり、 蚤 ( のみ ) ・ 蚊 ( か )

にせせられて眠らず。持病( じびやう )さえおこりて、消入( きえいる )

計 ( ばかり )になん。


" あやしき貧家 "ということなら、やめればよかった思いますが、なにか

事情があったのでしよう。

共同風呂のような外湯で湯に入ったまではよかったものの、宿がひど

かった。土間の上にムシロやワラを敷いて 、携帯してきた紙製の着物

に包まって囲炉裏の側で寝ようとすると、雷が鳴って雨が降りだした。

すると、天井から雨漏りがしてくる上 、ノミや蚊に刺されて眠ること

も出来ない。そのうち持病までが …、

芭蕉は散々な目に会い、消え入るような気持ちになったのでしょう。

持病は註釈によると、痔か胆石のようです、

" せせられ "という言い方は今では聞きなれない言葉となっていますが、

私の子供の頃、若狭の田舎では よく耳にしていました。


鳴子温泉 ( 宮城県大崎市鳴子町 ) から出羽の国 ( 山形 ) に抜ける" 尿前

( しとまへ )の関 "で関守に怪しまれ、すったもんだの末、やっとの思い

でこの関所を越える。

もう日も暮れてしまったので、国境を守る役人の家にお願いして泊めて

もらうことにした。


蚤虱 ( のみしらみ )馬の尿 ( しと )する枕もと


ここでの宿では、ノミ、シラミばかりか、馬のする放尿の音にも悩ま

された。

しかし、こんな情景まで俳句に取り入れ、それが、後の世まで名句と

して親しまれています。

その文学的価値はわからなくても、この句をはじめ「 おくのほそ道 」

に出てくる俳句に出会えば、セピア色ではない今のこととして、人

それぞれの脳裏に旅の情景が浮かんでくる。

不易流行ということでしょうか。


写真は山形県酒田市の日和山公園にある松尾芭蕉の銅像。 筆者 撮影。

芭蕉は酒田市の医師の家に逗留して、句を残しています。
  

   暑き日を海にいれたり最上川

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義仲忌八百年を木曽檜 結宇

2018年12月14日 | Weblog

義仲忌は陰暦一月二十日。源氏の武将、源義仲の忌日です。
義仲は、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って上洛。
後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征夷大将軍に。
しかし源頼朝が送った源義経の軍勢によって近江国粟津で討たれてしまいました。
大津の義仲寺に墓所があり、義仲を慕った芭蕉の墓もここにあります。

作者が訪れたのは木曽福島の二駅先の宮ノ越駅。
義仲が旗揚げした八幡宮や徳音寺とか、結構歩いてしんどかったとか。
居宅跡に八幡宮があり、義仲は、そこで以仁王の令旨を受けたそうです。 
宮の脇に、樹齢800年という木曽檜があったので・・・

義仲は亡くなっても、故郷には800年の年輪を重ねた檜が
残ってるといった気持ちを詠んだものです。

義仲、どんな人物だったのでしょうか。源平盛衰記によれば
「色白う眉目は好い男にて有りけれども立ち居振る舞いの無骨さ、
言いたる詞続きの頑ななる事限りなし」とのこと。

この句、上五は「粟津止む」でしたが、
最初は義仲忌だったとのこと。義仲忌に戻して読んでみました。(遅足)
  
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湖北へ2     麗

2018年12月13日 | Weblog
渡岸寺で美しい十一面観音さまを拝んだあと、次なる目的地、石道寺(しゃくどうじ)へ向かいました。

こちらには井上靖が、小説「星と祭」にも書いた十一面観音菩薩立像がおられます。唇がほんのり赤いちょっと色っぽい観音さま。井上靖は「村の娘さんの姿をお借りになってここに現れていらっしゃるのではないか」と書いています。

石道寺もやはり戦国時代の戦火に遭いましたが、仏像は里の人々により守られて来ました。
石道寺の奥には廃寺となった飯福寺や鶏足寺がります。
そこへ至る石を積んだ風情のある道。どれだけ多くの方が踏みしめたことでしょう。
琵琶湖と石の文化は切り離せない関係にあるようです。穴太(あのう)衆にも興味は沸きます。

湖北から今度は湖西へ。我が先祖のルーツかも知れない坂本へ行きたいものです。(母の旧姓は坂本なのです)

          古の人も踏みしむ紅葉道   麗
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12月句会近づく。  遅足

2018年12月12日 | Weblog

今年最後の句会が近づいてきました。
寒くて家にこもりがちです。
街中はクリスマス、年末商戦のムードでしょうか?
題詠は、年の暮など、年末に関わる季語。なんでもOKです。

時候の項には、師走、歳晩、年の瀬、数え日、行く年、年惜しむ。

  余白すぐ消ゆる師走の予定表  八木久江

生活の項には、お歳暮、ボーナス、賀状書く、年の市など。

  忙しさにまだ余白あり賀状書く  穐好樹菟男

行事には、除夜の鐘、煤払いなど、年末は季語の宝庫ですね。

  また一つ風の中より除夜の鐘  岸本尚毅

みなさん、どの季語を選ぶのでしょうね?
どんな年の瀬が詠まれるのでしょう?
昨日、インフルエンザ予防接種をしてきました。
何事もなく新年が迎えられると良いのですが。(遅足)

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南座の顔見世興行冬はじめ  狗子

2018年12月11日 | Weblog


江戸時代、役者と劇場の契約は十一月から一年間でした。
十一月興行には、新たに契約を結んだ役者が勢揃いして、
その顔ぶれを見せることから「顔見世興行」と呼ばれていました。
初日は午前二時ころからの興行が始まっていたそうです。
京都・南座の十二月興行には、その雰囲気が残っているとも。

その南座の顔見世興行を詠んだ句。
いかにも冬の初めにぴったりですが、
顔見世は季語になっていました。
冬はじめ、を他の言葉にすると、別の句が出来そうです。(遅足)

  顔見世や顔にかかりし紙の雪  市川右団治

  顔見世やおとづれはやき京の雪  久保田万太郎
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冬はじめ子らも鎌手に歩道(みち)の草   千香子

2018年12月10日 | Weblog

町内会で公園に集まってから、
それぞれの地域の草取りをしました、と作者。

子供たちも軍手をはめ、鎌を持って参加しました。
歩道(みち)の草、という下五の表記に作者の工夫が。
草、だけで十分、意味は伝わります。

冬はじめ、子、草取り、の言葉を生かして残り6音。
この6音を使って子らの様子を写生すると、
作者らしい句が生れると思います。

 冬はじめ軍手の子らの手は鎌を  遅足




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からからと落葉に押され山降る  静荷

2018年12月09日 | Weblog

私は山登りの経験はありませんが、ちょっとした丘歩きでも
この時期はこうした音を感じます、と結宇さん。

結宇さんが感じられたように、この句は音が主役ですね。
からからと、というオノマトペ。かさかさと、では駄目ですね。
落葉に押され、山を下っていく、軽快な感じが続きます。

落葉に押されて、なんて!
そう言われてみれば、東濃の公園を散歩していた時、
落葉を踏み分けながら坂道を下りました。
落葉の音に追いかけられているような気がしました。

風に押されるより詩的で素敵です。遅足
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山形1泊 の旅 ~ より道 「 奥の細道 」 ⑴ ~ 竹中敬一

2018年12月08日 | Weblog


先日、テレビの「 ブラタモリ 」で、山形県の酒田市を取り上げていた

のを見て、急に行ってみたくなりました。

私は腎臓病のため、食事の関係で、せいぜい旅は一泊と決めているの

ですが、さて、名古屋から酒田へ一泊二日で行く最も効率的な行き方は

と、調べてみました。

庄内空港が一番、早いのですが、直行便がありません。そこで、愛知

県営名古屋空港から山形空港へ。ここから、行きは列車で最上川を見

ながら酒田方面で一泊、帰りは高速バスで月山を眺めながら山形空港

ということにしました。

このコースは計らずも先日、遅足さんご夫妻が行かれた芭蕉の「 奥の

細道 」の道筋の一部と重なっています。

" 俳句や短歌をつくりたくとも、その能力のない上 、古文が苦手な者が

「 奥の細道 」か "と自問しながら本屋へ行ってみました。

現代語訳でもよいのですが、矢張り原文をと思い、岩波文庫の「 おくの

ほそ道 」をテキストにすることにしました。

これには、原文の難しい漢字にはルビが振ってあり、註釈も付いています。

それに、芭蕉の旅のお供をした河合曽良 ( そら )の克明な旅日記も載って

います。


私はこの岩波文庫をリックに入れ 旅の移動中、読むことにしましたが、

旅の前に予備知識として、一通り目を通してみました。

私の興味はもっぱら、当時の旅がどんなものであったか、その一端でも

わかれば、というところにあります。


まず、奥州街道の宿場、草加 ( 今の埼玉県草加市 )の記述の中で旅支度

として、

「 紙子一衣 ( かみこいちえ )は夜 ( よる ) の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・

筆のたぐい 」

と出てきます。

註釈によると、紙子とは 「 紙製の防寒用の着物。当時 地方の旅では寝具

の用意がなかった 」と出ています。

江戸時代、宿場には大名などが宿とした本陣、食事付きで時には沐浴も

できる旅籠屋(はたごや )の他に木賃宿 ( 米を持参し、薪代を払って泊め

てもらう )があったそうです。

芭蕉は当時の名家や医者、お寺を旅の宿としている場合が多いようですが、

木賃宿や見知らぬ " 貧家 " にも宿泊しているようです。

広辞苑によると、紙子とは 「 厚紙に柿渋を引き、乾かしたものを揉みやわらげ、

露にさらして渋の臭みを去つてつくった保温用の衣服 」 とのこと。

それにしても、冬場に紙製の着物に浴衣などあり合わせの衣類で夜を過ごすのは、

いくら薪代を払って囲炉裏の 近くで、寝たとしても、さぞ寒かったことと思います。

芭蕉はこの寒い季節を避けて 旅の日程を組んでいます。

芭蕉の門人 曽良の旅日記によると、芭蕉は元禄2年 ( 1689 )3月27日 (今の5月16日 )

江戸深川の芭蕉庵を出発 、奥州から北陸の各地を経て大垣に入り 、伊勢参宮へと

出発する9月6日 ( 今の10月18日 )までの約5ヶ月半の紀行。芭蕉はこの時 、46歳。

人生50年の時代、この年齢で門人から翁と呼ばれていたんですね。

( もっとも先生というほどの意味かも )

芭蕉の旅から330年のち、私は飛行機で山形へ向かいました。一泊二日の旅です。

                                 つづく


写真は山形県酒田市の山居 ( さんきょ ) 倉庫。
旧 庄内藩主 酒井家によって建てられた もので、ケヤキ並木と
12 棟の倉庫が並んでいて 、今も農業倉庫として使われている。
                今年10月28日 筆者 撮影


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冬近し補聴器に鳴る風の音   亜子

2018年12月07日 | Weblog

齢をとれば耳が聞こえなくなるのは仕方ないか、
と悟ったつもりでした。
しかしいつの間にはテレビの音が大きくなり、
劇のセリフも聞き取れなくなって・・・。

作者も意を決して補聴器をつけてみました。
お試し期間として。
冬の初め・・・風の音が際立って聞こえます。

風。吹く風。そこから転じて、世の中の動きやありさま。
さらには、風習、習わしの意味にも。

そこまで意味を広げて読むと、補聴器をつけた結果、
これまで感じなかった周囲の気配が分かるようになった、
とも読めます。(遅足)

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私も湖北へ   麗

2018年12月06日 | Weblog
竹中さんのブログに刺激を受け、私も以前から行きたかった湖北の渡岸寺観音堂(向源寺)へ行って来ました。

国宝に指定されている十一面観音菩薩立像。聖武天皇の時代に天然痘が流行り、その厄よけのために作られたと言われています。
時は過ぎ、戦国時代、織田と浅井の戦いの戦火にあい、村人が土中に埋めて難を逃れた観音さま。今は立派な収蔵庫の中に収められています。ありがたいことにガラス越しではなく、また後ろ姿も拝めるという展示になっていますのでゆっくり十一面の細部まで眺めることができます。

頭上に11人の観音さまを配し、そっと目を閉じられています。左手に水瓶を持ち、右手は人々を救うかのように差し出され、右足は一歩前に歩み出ようとするまさにその一瞬が彫られています。

土中に埋められても指一本欠けることなく1200年経った今もその美しいお姿を拝めるありがたさ。白洲正子も絶賛の近江のかくれ里のような湖北にひっそりとたたずむ観音様でした。

ところで、竹中さんの11月24日のブログの写真と私の写真、門前の景色が変わったことにお気づきでしょうか?

実は門の前に大きな斜めに生える松の木があったのですが、9月の台風で根が浮きあがりやむなく切ってしまったそうです。
あちこちのお寺でも大木が倒れていました。台風で琵琶湖からの風をもろに受けたのでしょう。

湖北の紅葉はどこまでも美しく、朱露さんがお好きだった余呉湖にも足を伸ばしました。気持ちのいい一日でした。竹中さん、ありがとうございました。


            小春日の湖北の寺に祈りあり   麗
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木魚までとどく日差しや冬はじめ  遅足

2018年12月05日 | Weblog

年の暮れには、寺参り、墓掃除という方も。
日常生活の中に仏教が入ってる家でしょうね、と。結宇さん。
視点が良く観察の効いた良句だと思います。と等さん。

母の実家は香嵐渓で有名な足助町。山村です。
昔ながらの家には縁側があり、仏間がありました。
仏壇の前には、お坊さん用のりっぱな座布団と木魚が。
冬には日差しが座布団と木魚にまでとどいていました。
(お寺の木魚と読んでくださっても正解です。)

一月には田に氷が張り、ズック靴のままスケート遊びを。
氷を踏み破って酷い目にあいました。
賑やかだった実家も今は叔母さんひとりです。
あの木魚、どうなったのかな・・・

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耳で振るカセットボンベ冬はじめ   すみ

2018年12月04日 | Weblog
久しぶりに使うカセットボンベを耳元で振りました。
中身の確認。冬への準備です、と作者。

鍋物のシーズン到来。カセットボンベの出番です。
湯豆腐、すきやき、しゃぶしゃぶ、蟹すき・・・
野菜もたっぷり入れて、栄養満点。
しかも手間のかからない冬の献立。

鍋料理の鍋。起源は縄文時代までさかのぼれるのでは?
あの底のとがった、黒く焦げた土器。
縄文時代の人達の土鍋だったに違いありません。
貝や魚など鍋の材料は現代よりはるかに豊か。
私たちが想像する以上に栄養価の高い
美味しい食事をとっていたのじゃないでしょうか。

上五は、耳にふる、のほうが良いかも知れません。(遅足)


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手帳買う空欄の未来(あす)冬はじめ  郁子

2018年12月03日 | Weblog

“空欄の手帳に未来がある”と、前向きな姿勢に
好感をおぼえました、と等さん。

買ったばかりの手帳には空欄が一杯。
未来は明るい、というメッセージのようですね。
サラリーマン時代には手帳は必需品でした。
空白もいつの間にか真っ黒に・・・
昨日と同じ今日を送ってきたような気がします。

時代は昭和から平成へ替わり、電子手帳も登場。
しかし旧石器人間ですね、紙の手帳を使い続けました。
処分していないので、どこかにあるはずです。

未来に「あす」とルビを振ったところが
作者の工夫でしょうか。(遅足)

 野菊一輪手帳の中に挟みけり  夏目漱石

 ぎつしりと手帳に行事鳥雲に  近藤一鴻

 秋嶺に手帳失ひ過去なきごとし  岡田日郎


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眠られぬ枕に三すじ木の葉髪  能登

2018年12月02日 | Weblog

“眠られぬ枕に三すじ”とは面白い発想、描写です、と等さん。

木の葉髪。夏の紫外線や暑さでダメージを受けた髪。
晩秋から初冬にかけて抜け毛が多くなります。
それを木の葉が落ちるのにたとえたもの。
侘しさを感じさせる季語です。

また、眠られぬ枕、というフレーズからは王朝時代の歌を思いだします。

 帰り来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふたちばな 式子内親王

この季語といかにもミスマッチの眠られぬ枕の取り合わせ。
自分を突き放してみる、客観的な視点を持った句。
やや自虐的ですが、私も俳諧味を感じました。(遅足)

  君も僕も五十歩百歩木の葉髪  桜井 薫
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