人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

忘勿石(わすれないし)の碑

2007年04月28日 | 島旅:八重山諸島

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 南風見田(はえみた)の浜の東端の岩場を回り込んだ所に忘勿石の碑が建っていますが、外からは見えま せん。碑の来歴については碑文を読んでいただくとして、「忘勿石」とは「波照間住民よ、この石を忘れるなか れ」の意味だそうです。

 マラリアに罹患して亡くなった方84名の名前が、出身毎に左側上下二枚の石版に書かれてあります。 その中に、南出身の「慶田本トミ」の名前が有りました。私が泊まった民宿、けだもと荘の親類の方でしょ うか?(けだもと荘は現在の南集落に有ります)

 「忘勿石 ハテルマ シキナ」の文字は、今でもこの碑の右下の岩盤に残っているそうです。後で知りまし た、残念!

 強制疎開を命じた山下軍曹の名前は、竹富島でも80才半ばのご老人からも聞いた様な気がします。よほど 悪名高い人物だったようですな。終戦後生きながらえ、天寿を全うしたそうです。

 尚、この件につき詳しい歴史を知りたい方はネットで「波照間島ー忘勿石ー終わらない戦争ー強制疎開ーマ ラリア事件ー」などのキーワードを検索して下さい。

 


南風見田の浜へ

2007年04月28日 | 島旅:八重山諸島

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 大原から西へ向かうと豊原の集落、そこに有る真新しい記念碑。「豊原入植50周年記念」とある、そう此処 は戦後出来た集落なのです。琉球王朝時代から戦前に至るまで、何度も入植に挑みましたが、その都度マラリ アのため撤退の憂き目に遭ってきたのです。戦後に米軍主導でマラリアの撲滅に成功し、始めて定住が可能 となりました。

 八重山諸島の内、石垣島や西表島などの山地地形が有り水が豊富な高島は、蚊の大量発生に不可欠な 水溜まり多く、マラリアが蔓延していたのです。このため水資源の豊富な西表島であっても、定住化が進まず集 落が発達せず、または次々と廃村になってしまいました。

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 豊原集落の日本最南端のバス停です。ここから西部の白浜まで島を三分の二周して一日六便、片道一時 間四十分の路線バスが走っています。私が乗ったときは観光客しか居らず、ガラガラの状態でした。

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 豊原の集落を過ぎれば県道215号線の終点です。この先は簡易舗装の道が南風見田の浜まで続きます。 途中に忘勿石の碑への分岐点が有り、看板が出ています。道成に林の中を進めば南風見田の浜へ出ます。

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 約1.0kmに渡って続く美しい南風見田の浜、漂流物が全く有りませんでした。細かいサンゴの砂にサンゴの 欠片だけです。浜辺に見える岩は津波石、明和の大津波(1771年)または2000年前の津波によって打ち上げ られた琉球石灰岩の塊です。明和の大津波では、宮古・八重山地方で一万二千人の人が亡くなったそうで す。