人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

波照間島は神の島

2007年04月22日 | 島旅:八重山諸島

 このままのペースだと、何時になったら波照間島から次の島へ移動できるか解らないので、今日はダブル投 稿します。

 沖縄から八重山の人々の信仰は基本的にはアミニズム、本土の古神道に近い宗教観ではないでしょうか。 祖先崇拝と万物に八百万の神宿る、特に本土の「鎮守の森」に相当する何もない木々に囲まれた空間を神聖 なる場所として、ここから神様に向かってお祈りします。この様な場所を「御嶽」、沖縄本島では「ウタキ又はウ ガン」、八重山では「オン又はワー」と言います。

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 波照間島には、5集落それぞれに御嶽が有ります。上の写真は冨嘉集落の阿底御嶽(アースクワー)、下 の写真は南集落の新本御嶽(アラントゥワー)です。神聖な場所なので観光客ごときが、特に男性は立ち入って はなりません。外から写真だけを撮らせてもらいました。

 集落内の御嶽だけでなく、「ピテヌワー」と呼ばれる集落から遠く離れた原野の森や古い井戸、古い村跡や 住居跡なども聖地とされ、波照間島は神様だらけです。本土の人間には、何処が聖地なのか解りません。近く まで行って何か感ずる物が有れば、むやみに立ち入らぬのが賢明です。とは言っても都会の喧噪の中に生き る我々は、「この様な感性の喪失」故に南の島へ向かって旅立つのでしょう。

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 島の北海岸沿いには、ニシ浜近くの聖地「ミシクゲー」、大泊浜近くの湧水地「ケーラ」、この写真の東部の 観光名所と成っている古井戸「シムスケー」が神井戸とされています。相互の井戸の間で水を運ぶ儀式が行わ れており、この時聖なる水を捧げ持った神女(ノロ又はツカサ又はシカー)の通る道が「神の道」であり、現在も 海岸沿いの森を切り開いて有りました。昔は島内一周して有ったそうですが、今は所々途切れてしまっている そうです。

 というような話を現地で会ったオジサンから聞きましたが、ウチナーグチ(方言)がきつく、言っている事の二 割程度しか理解できませんでした。


ぶりぶち公園とその周辺

2007年04月22日 | 島旅:八重山諸島

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 どこかの旅行雑誌に「島の北海岸近くにあるぶりぶち公園は、行っても見つかりません」と書いてあったの で、意地でも見つけてやると行ってみたら、実はこの標識が入り口なのです。どうも近年設置された様ですが、 ぶりぶち公園とは書いていません。

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 標識の所から林の中の小径を少し分け入れば、正面にこの石標が建っています。他にはコンクリートのベン チが有るだけ。雑草が生い茂り本当に何もありません。でも本当の目的は此処ではありません、左側の崩れ かけた石段を登ると、隆起石灰岩の裏側に下田原城跡の遺跡が広がっています。

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 昼なお暗いジャングルに埋もれて、東西150m南北100mの城跡の石垣が続いています。八重山諸島の群 雄割拠の時代、13世紀から15世紀のものと言われている。細い踏み跡が奥まで付いていますが、何か気味が 悪くなって途中から引き返してしまいました。(私はゲジゲジやムカデの類が大嫌い)

 木を切り倒し、西表島方向の海が見えるように整備する計画があるようにも聞きましたが、そんなことしてほ しくないです。薄暗い森の中に佇み、古人の生活がどんな物だったかに思いを巡らす方が、よっぽど遺跡として の存在感が有ります。

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 ぶりぶち公園入口から少しだけ下れば、道路の右側に四角いコンクリートの水槽(?)が有ります。ここから 崖下へ続く小径が有り、昔の崖葬(風葬)跡に出られます。崖下の窪み(ノッチの跡か?)に遺体を埋葬し、入 り口を石で塞いでいたようです。骨壺が今では高価なパナリ焼きであったため、ほとんどが盗掘に遭い現在人 骨は残っていないそうです。でも幾つか中をのぞき込んだら、口の欠けた壺が一個残っていた。壺の中までは 見ませんでしたがね。宿の若旦那に聞いたら、子供の頃はキモダメシの場所だったそうです。

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 道をさらに下って行くと開けた場所に出、下田原城跡の有る丘全体を見ることが出来る。遺跡保存のためと はいえ、この森の木を伐採するなぞと言うことはして欲しくない・・・・ヤッパシ。城跡も崖葬跡も、この亜熱帯の 森の中でヒッソリト眠っていてほしいものだ。

 尚、この開けた低位段丘面には縄文後期約3600年前の下田原貝塚と大泊貝塚が有るが、何処なのかは 確認出来なかった。