与那国島の久部良港へは14:30入港、本日の宿は港のすぐそばなので荷物を置いてクブラバリへ向かう。ク ブラバリは港のすぐ裏の崖の上に有るので歩いて15分ぐらいの所。ただし、現地には標識も何も無いので、ク ブラバリが何なのかを事前に知っておかなければ解らない。テッポウユリがチラホラ咲く丘の上から久部良港 が見える。中央の白い船は、先ほど乗ってきたフェリーよなくに。
港の入り口には、太平洋の荒波から久部良の集落を守る様に西崎が半島状に突き出している。
クブラバリとは、クブラ(久部良)のバリ(割れ目)の意味である。八重山層群の砂岩に出来た幅約3.0m、深 さ5.0m程の開口亀裂。現在は土砂が堆積しているが、昔は深さ7.0m程有ったらしい。西暦1500年ごろ、人口制 限策のため島の妊婦たちを飛び越えさせた、とする所である。若い男性ならまだしも、身重の女性が飛び越せ るかは五分五分と言ったところか。ためしにお前さん飛んでみろ、と言われたら御遠慮申し上げる。
なんでこんな残忍で悲惨な人口制限策が取られたか、一説には食糧難のため人口抑制策として行った。も う一説は人頭税軽減のため頭数を減らした、とするもの。もう一つの人口抑制策として行われたのが、トゥングダ (人升田)と呼ばれる狭い田に島民を非常招集し、はみ出した者を惨殺したとする椅子取りゲームによる方法 である。これらは不具・廃疾者(現在は放送禁止用語か?)虚弱者を淘汰する狙いがあったとされる。いずれに しても、日本の辺境・絶海の孤島なるがゆえの生き延びんがための悲しい「知恵」であったのだろう。
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