函館地方は初夏の様な暖かさ、いや暑い。昼食のオニギリを食べ車の中で休んでいた ら、おねだりキツネが寄ってきて車の脇にチョコンと座った。オニギリは食べてしまったし、 何もあげる物が無いので無視していたが、何時までも座っている。オッパイが膨らんでい るので、子ギツネが居るのだろう。母親としては、何か子供にもって帰らなければと必死 のおねだり。野生動物に餌をあげてはいけないのだが、やはり心が動かされる。
今日の収穫はキタキツネ(の写真)と三つ葉が少々。三つ葉は林道脇の草むらにポツポ ツ生えているのを拾い集めてきた。採りながら、三つ葉は本来雑草であることを実感し た。その分野生の物は、味も香りも強い。さて、どの様にして食べようか、やはりお浸しに 削り節といこうか。
オオバナノエンレイソウとニリンソウが混在群生しています。なぜかこの時期、ミズバショ ウに始まって白い花が多いようだ。初夏から盛夏にかけて、花の色もだんだん艶やかさを 増してゆきます。沖縄なんぞは、年がら年中トロピカルな花が咲いていますな。スポンジ頭 で考えてみたら、雪国のこの時期は花の数も種類も少ないので、無理に厚化粧しなくても 昆虫が寄ってきてくれるからじゃないだろうか。反面、ワンサカと花の咲き乱れる夏場や 南国では、少しでも目立つようド派手な色にしないと虫が寄って来てくれない、ホントか な?そもそも彼らは色を識別出来るんだろうか、昆虫は紫外線で物を見ていると言う話も あるし。でも花は、人間のために美しく咲いている訳で無い事は確か。
五稜郭公園で見つけました。明治26年に東京駒場で発見された、ヨーロッパ原産の外 来種(帰化植物)だそうです。帰化植物とは「人為的な導入や偶発的な移入により侵入・ 定着し、野生化した植物。自己の分布能力で自然に生活域を広げたものは帰化植物とは いわない」と定義されるらしい。この文章からすれば、生物学用語ではなく社会学用語だ ね。稲や園芸種は人為的導入だが、管理され野生化していない(野生化する能力が無 い)から帰化植物ではないのでしょうか。とすれば「経済的価値が無く野生化したもの」とも 言い換えられる。どちらにしても人間のご都合主義で、動植物にとっては「私の知ったこと か!」と言いたくなるだろうね。
今日はちょっと堅い話。同じシダ植物だから似ているのは当然と言えば当然なのだが、 一方は数mにも成長する木生シダ、かたや森林の下草程度のただのシダ。ルーツが同じ でも生育環境が異なれば、ここまで形態が変わります。これを進化がもたらす生命の(種 の)多様性と言うのでしょう。シダ植物はこの他にもワラビ・ゼンマイ・コゴミなど(食べられ る物しか頭に浮かばないとは、何という発想の貧困)、白亜紀の絶滅種にリンボクなるドで かいシダ植物も有りました。
環境の変化は種の多様性をもたらすと同時に、絶滅をも引き起こします。地球環境が 過去数億年間まったく変化しなかったら、生物の進化や種の多様化はあり得たのでしょう か。環境保護論者は、環境をどうしろと言っているのでしょうか。現状維持?過去に戻 す?それとも今とは別の環境にする?その場合我々人間の生活はどうなるの?てなこと を暇にまかせてスポンジ頭で考えてみたいと思います。
BSE?なにを今更、当の昔に感染しているわいな、私の場合は。