昨日は連休最終日、花見と言うことで五稜郭公園へ繰り出した。桜のサの字、花のハ の字も無い中に大勢の「花見客」が居た。私達もその一グループ。「花見」と言う行為が形 骸化し、単なる飲み助の口実と成っている実体が明らかになった。老若男女、なんと単な るノンベエの多いことか。北海道の花見の席は、花見弁当やバーベキューではなく、完全 に・間違いなく・100%・これ以外は打ち首獄門さらし首的にジンギスカンと相場が決まっ ている。花は無くとも酒とジンギスカン、寒風にブルブルと打ち震えながらビールをガブ飲 みし、脂っこいジンギスカンの煙で人間薫製と成りながら、まだ硬い桜の蕾のその下で、 ひたすら飲み喰らい、カラオケを歌い捲る、これが北海道の花見です。
風流・風情・物の哀れ、一ひら舞い落ちる花びらに、我が心を映し見る日本人の感性は 何処へ行ったのでしょうか。昔山仲間から聞いた話ですが、大雪山の山中で一人緋毛氈 を挽いて茶を点てていた若い女性が居たそうです。当人は何を考えていたかは知るよしも 有りませんが(その後自殺死体が発見されたと言う報告は無い、念のため)、その山仲間 曰くは「日本女性を感じた」との事です。人跡未踏の(かなり大げさ)山中で、一人茶を点 てるなどとは、究極の侘び寂びではないですか。そんな人間に私も成りたい。(無理!)
花が咲いていなかったので、新旧の五稜郭タワーのステレオ写真を掲載します。首を捻 って見て下さい。