端っこ大好きな暇人は、空と大地の狭間を一人侘びしくトボトボと歩いてきたのだった。
見る人が見れば、なぁ~んだ何処其処じゃないか、と言われそうだが事実何処其処です。
何処其処であるところの石狩浜は、石狩川の河口に出来た砂州の先端、ご覧のとおり
暇人の大好きな陸地のどんずまりの端っこなのだ。
暇人はこういった石狩浜の荒涼とした風景が好きなんです。
それらしく見えるように多少レタッチしてありますが・・・・アハハッ。
なんて戯れ言は置いといて、実は今が盛りのヒオウギアヤメを見に行っただけです。
脈絡なく話は飛んで、こんなスナップ写真もいいかなって思ったりして。
また何処か、端っこの方へ旅に出たいな~。
ここしばらくニセコの神仙沼にご無沙汰していたので様子を見て来た。
結論から言うと、7月上旬は花の時期も過ぎ、夏草生い茂る唯の草っ原だった。
神仙沼のいつもの風景、犬をつれた山ガールが居た。
ミツガシワの葉っぱがニョキニョキと生えているだけ。
水面の反射とさざ波なんかを入れてみたりして。
池塘に写る夏雲です。
湿原にヒオウギアヤメが一輪だけ、さびしいなぁ~。
こちらもエゾカンゾウが一輪だけ。
わずかに咲き残ったミツガシワです。
何にも無いので長沼へ行ってみたら、此方はさらに何にも無かった。
僅かに残雪を残す目国内岳です。
以上、片道二時間100km車を飛ばして行った割には収穫の少ない一日であった。
本文とは関係有りませんが、涼しそうな写真でも。
昨日の朝日新聞のコラムに「原子力のゴミ 放射能の時間、人間の時間」
と題する一文が載っていた。
コラムの内容もさることながら、プロの書く文章ってやっぱ上手いなと感心した。
内容は「原子力のゴミは一万年、あるいは300世代に渡って管理しなければならない、
そんな事が可能か?」というもの。
今後福島第一原発から発生するであろう膨大な量の原子力のゴミ、あれを一体
どうやって処分するのだろう?
何処へ行っても人が住んでいる狭い日本の国土、国内何処へも持って行きようが
無いことだけは確かなんだが。
これまでの政・官・財・学の原子力村の住人達に小分けして、門外不出の家宝として
300世代の末代まで管理してもらうってぇのはどうだろう。
これは冗談として、通産官僚が現実的として考えている方法は、福島第一原発敷地内に
未来永劫に野積みしておくというもの・・・・だろうね、おそらく。