【まくら】
題名は、「論語」の「厩焚けたり、子朝より退き、人は傷つけざるやとのみ言いて、問いたまわず」(厩が火事になり、主人が大事にしていた名馬が焼け死んだにもかかわらず、仕事から帰ってきた主人は、家中の者に怪我はなかったかとだけ聞き、馬が死んだことについて誰もとがめなかった)に拠った話。
【あらすじ】
髪結いで生計を立てているお崎の亭主は文字通り「髪結いの亭主」。
怠け者で昼間から遊び酒ばかり呑んでいる年下の亭主とは口喧嘩が絶えないが、しんから愛想が尽き果てたわけではなく、亭主の心持ちが分からないと仲人のところに相談を持ちかける。
話を聞いた仲人は、孔子が弟子の不手際で秘蔵の白馬を火災で失ったが、そのことを咎めず弟子たちの体を心配し弟子たちの信奉を得た話と、瀬戸物を大事にするあまり家庭が壊れた武家の話をする。
そして目の前で夫秘蔵の瀬戸物を割り、どのように反応するかで身の振り方を考えたらどうかとアドバイスをする。
帰った彼女は早速実施、結果夫は彼女の方を心配した。感動したお崎が「そんなにあたしのことが大事かい?」と質問すると、「当たり前だ、お前が指でも怪我したら明日から遊んでて酒が呑めねえ」
出典:出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
【オチ・サゲ】途端落ち(決めの台詞で終わるもの)
【語句豆辞典】
【濁酒】普通、どぶろくという。別称は白馬・諸味酒・濁り酒。酒粕を漉し取らない、醸造したままの白く濁った酒で、漉した酒の清酒に対し言う。
【おかめ】お多福の別称。本来亀は長寿・富貴・平和・愛・徳の表現であり、それを称えてお亀といったのであるが、江戸中期以降は。不器量な女性の意味で隠語として使われたり、あるいは女性を罵倒する際に用いられた。
【ひょっとこ】火男。下男が火を焚き付ける時に口を尖らして火を吹く姿から出た。転じて醜男の罵倒語。
【般若】本来の意味は実相を知る知恵。後に恐ろしい鬼女の仮面の名。
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『男というものは五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腸(はらわた)はなし』
【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・八代目 桂文楽
【落語豆知識】 真打(しんうち)
真打になることを「真を打つ」と言う。
昇進の際には真打披露目が行われ口上が述べられる。
寄席で主任(とり)を務めることができる資格を有することを意味する。
「真を打つ」とは寄席の終演者が閉幕の際に蝋燭の芯を打つ様からきたと伝えられる。
また東京では真打になって初めて「師匠」と呼ばれるようになる。

題名は、「論語」の「厩焚けたり、子朝より退き、人は傷つけざるやとのみ言いて、問いたまわず」(厩が火事になり、主人が大事にしていた名馬が焼け死んだにもかかわらず、仕事から帰ってきた主人は、家中の者に怪我はなかったかとだけ聞き、馬が死んだことについて誰もとがめなかった)に拠った話。
【あらすじ】
髪結いで生計を立てているお崎の亭主は文字通り「髪結いの亭主」。
怠け者で昼間から遊び酒ばかり呑んでいる年下の亭主とは口喧嘩が絶えないが、しんから愛想が尽き果てたわけではなく、亭主の心持ちが分からないと仲人のところに相談を持ちかける。
話を聞いた仲人は、孔子が弟子の不手際で秘蔵の白馬を火災で失ったが、そのことを咎めず弟子たちの体を心配し弟子たちの信奉を得た話と、瀬戸物を大事にするあまり家庭が壊れた武家の話をする。
そして目の前で夫秘蔵の瀬戸物を割り、どのように反応するかで身の振り方を考えたらどうかとアドバイスをする。
帰った彼女は早速実施、結果夫は彼女の方を心配した。感動したお崎が「そんなにあたしのことが大事かい?」と質問すると、「当たり前だ、お前が指でも怪我したら明日から遊んでて酒が呑めねえ」
出典:出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
【オチ・サゲ】途端落ち(決めの台詞で終わるもの)
【語句豆辞典】
【濁酒】普通、どぶろくという。別称は白馬・諸味酒・濁り酒。酒粕を漉し取らない、醸造したままの白く濁った酒で、漉した酒の清酒に対し言う。
【おかめ】お多福の別称。本来亀は長寿・富貴・平和・愛・徳の表現であり、それを称えてお亀といったのであるが、江戸中期以降は。不器量な女性の意味で隠語として使われたり、あるいは女性を罵倒する際に用いられた。
【ひょっとこ】火男。下男が火を焚き付ける時に口を尖らして火を吹く姿から出た。転じて醜男の罵倒語。
【般若】本来の意味は実相を知る知恵。後に恐ろしい鬼女の仮面の名。
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『男というものは五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腸(はらわた)はなし』
【この噺を得意とした落語家】
・五代目 古今亭志ん生
・八代目 桂文楽
【落語豆知識】 真打(しんうち)
真打になることを「真を打つ」と言う。
昇進の際には真打披露目が行われ口上が述べられる。
寄席で主任(とり)を務めることができる資格を有することを意味する。
「真を打つ」とは寄席の終演者が閉幕の際に蝋燭の芯を打つ様からきたと伝えられる。
また東京では真打になって初めて「師匠」と呼ばれるようになる。


