【深川七福神ご案内】
深川は、
江戸時代から有名な寺院がおおいところ、また多くの史蹟があります。
ここに次のような七福神がおまつりしてあります。
恵比寿神(富岡八幡宮)、弁財天(冬木弁天堂)、福禄寿(心行寺)、大黒天(円珠院)、毘沙門天(龍光院)、布袋尊(深川稲荷神社)、寿老神(深川神明宮)
深川七福神はゆっくり歩いて二時間ほどのコースで付近の史跡巡りをかねての七福神めぐりをおすすめいたします。
七福神詣では火難、水難、盗難、太陽、星の異変、風害、旱害の七難即滅と、愛敬富財(恵比寿神)、芸道富有(弁財天)、人望福徳(福禄寿)、有福蓄財(大黒天)、勇気授福(毘沙門天)、清廉度量(布袋尊)、延命長寿(寿老神)の
七福即生という勝縁が授かるとされています。
私が東京での単身赴任時代に巡った七福神を紹介していきます。
第三陣は「深川七福神」です。
・名称 深川七福神
・寺社名 冬木弁天堂

・七福神 弁財天
・所在地 東京都江東区冬木22番31号 地図
・最寄駅 地下鉄東西線門前仲町駅1番出口 地下鉄大江戸線門前仲町駅6番出口)
・参拝日 1998(平成10年)/01/10
・コメント
冬木弁天堂は、木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置した。
そのためいまでもこの町を冬木町という。
この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年一回衣装の着替行事をおこなってきたが、大正十二年の関東大震災に焼失した。
冬木弁天は、明治三年から一般に参詣を開放した。
現在の弁天堂は、昭和二十八年に再建され。
尾形光琳が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために書いた秋草の小袖が、上野国立博物館に保存されている。
冬木弁天堂は、古義真言宗に属している。

・マップ 深川七福神
・HP 深川七福神
深川は、
江戸時代から有名な寺院がおおいところ、また多くの史蹟があります。
ここに次のような七福神がおまつりしてあります。
恵比寿神(富岡八幡宮)、弁財天(冬木弁天堂)、福禄寿(心行寺)、大黒天(円珠院)、毘沙門天(龍光院)、布袋尊(深川稲荷神社)、寿老神(深川神明宮)
深川七福神はゆっくり歩いて二時間ほどのコースで付近の史跡巡りをかねての七福神めぐりをおすすめいたします。
七福神詣では火難、水難、盗難、太陽、星の異変、風害、旱害の七難即滅と、愛敬富財(恵比寿神)、芸道富有(弁財天)、人望福徳(福禄寿)、有福蓄財(大黒天)、勇気授福(毘沙門天)、清廉度量(布袋尊)、延命長寿(寿老神)の
七福即生という勝縁が授かるとされています。
私が東京での単身赴任時代に巡った七福神を紹介していきます。
第三陣は「深川七福神」です。
・名称 深川七福神
・寺社名 冬木弁天堂

・七福神 弁財天

・所在地 東京都江東区冬木22番31号 地図
・最寄駅 地下鉄東西線門前仲町駅1番出口 地下鉄大江戸線門前仲町駅6番出口)
・参拝日 1998(平成10年)/01/10
・コメント
冬木弁天堂は、木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置した。
そのためいまでもこの町を冬木町という。
この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年一回衣装の着替行事をおこなってきたが、大正十二年の関東大震災に焼失した。
冬木弁天は、明治三年から一般に参詣を開放した。
現在の弁天堂は、昭和二十八年に再建され。
尾形光琳が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために書いた秋草の小袖が、上野国立博物館に保存されている。
冬木弁天堂は、古義真言宗に属している。


・マップ 深川七福神
・HP 深川七福神