【深川七福神ご案内】
深川は、
江戸時代から有名な寺院がおおいところ、また多くの史蹟があります。
ここに次のような七福神がおまつりしてあります。
恵比寿神(富岡八幡宮)、弁財天(冬木弁天堂)、福禄寿(心行寺)、大黒天(円珠院)、毘沙門天(龍光院)、布袋尊(深川稲荷神社)、寿老神(深川神明宮)
深川七福神はゆっくり歩いて二時間ほどのコースで付近の史跡巡りをかねての七福神めぐりをおすすめいたします。
七福神詣では火難、水難、盗難、太陽、星の異変、風害、旱害の七難即滅と、愛敬富財(恵比寿神)、芸道富有(弁財天)、人望福徳(福禄寿)、有福蓄財(大黒天)、勇気授福(毘沙門天)、清廉度量(布袋尊)、延命長寿(寿老神)の
七福即生という勝縁が授かるとされています。
私が東京での単身赴任時代に巡った七福神を紹介していきます。
第三陣は「深川七福神」です。
・名称 深川七福神
・寺社名 富岡八幡宮

・七福神 恵比寿
・所在地 東京都江東区富岡1-20-3 地図
・最寄駅 地下鉄大江戸線門前仲町駅
・参拝日 1998(平成10年)/01/10
・コメント
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建された。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得た。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」。
江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念された。
また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せている。
恵比須神が祀られている富岡八幡宮は、その境内や周辺に多くの旧跡がある。歴代の横綱の名を刻名した「横綱力士碑」や、東京都指定無形文化財の「木場角乗りの碑」・「深川力持の碑」など境内にも多くの旧跡がある。

・マップ 深川七福神
・HP 深川七福神
深川は、
江戸時代から有名な寺院がおおいところ、また多くの史蹟があります。
ここに次のような七福神がおまつりしてあります。
恵比寿神(富岡八幡宮)、弁財天(冬木弁天堂)、福禄寿(心行寺)、大黒天(円珠院)、毘沙門天(龍光院)、布袋尊(深川稲荷神社)、寿老神(深川神明宮)
深川七福神はゆっくり歩いて二時間ほどのコースで付近の史跡巡りをかねての七福神めぐりをおすすめいたします。
七福神詣では火難、水難、盗難、太陽、星の異変、風害、旱害の七難即滅と、愛敬富財(恵比寿神)、芸道富有(弁財天)、人望福徳(福禄寿)、有福蓄財(大黒天)、勇気授福(毘沙門天)、清廉度量(布袋尊)、延命長寿(寿老神)の
七福即生という勝縁が授かるとされています。
私が東京での単身赴任時代に巡った七福神を紹介していきます。
第三陣は「深川七福神」です。
・名称 深川七福神
・寺社名 富岡八幡宮

・七福神 恵比寿

・所在地 東京都江東区富岡1-20-3 地図
・最寄駅 地下鉄大江戸線門前仲町駅
・参拝日 1998(平成10年)/01/10
・コメント
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建された。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得た。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」。
江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念された。
また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せている。
恵比須神が祀られている富岡八幡宮は、その境内や周辺に多くの旧跡がある。歴代の横綱の名を刻名した「横綱力士碑」や、東京都指定無形文化財の「木場角乗りの碑」・「深川力持の碑」など境内にも多くの旧跡がある。


・マップ 深川七福神
・HP 深川七福神