図書館で予約していた本を受け取ってから、荒川の河川敷をまわって帰宅した。
この大きな人工の流れは当時の東京市中に墨田川の水が氾濫して流れ込まないように墨田川の放水路として作られたものだ。
いまは荒川として流れている。長大で広い河川敷には季節の花、ポピーやコスモスが植えられ、野球場やサイクリングロードが作られて 周辺の住民が楽しんでいる。
「荒川(放水路)の建設は、明治43年の洪水被害(※)を契機として計画されたものです。明治44年(1911)に荒川放水路事業が始まり、
隅田川に堤防がなくても洪水が氾濫しないことが目指されれました。この事業により用水路予定地の住民1,300世帯が移転を余儀なくされたとあります。
移転対象地域には、民家や田畑ばかりではなく、鉄道や寺社も含まれていました。
『荒川放水路変遷誌』(荒川河川事務所)には、約2年間で建設予定地の96%の買収が完了したとあります。1300世帯分の土地を2年間で買収する。
現代では考えられない速さで進められたようです。この報告書には「当時の用地買収では、移転を余儀なくされる人々の個々の事情などは考慮されませんでした。」との記述があります。
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荒川放水路は、工事中における風水害や関東大震災等による工事の遅れがありましたが、昭和5年(1930)に完成しました。荒川放水路が完成してから約90年を経過していますが、その間荒川の洪水による被害は一度も起きてはいません。」
荒川(荒川放水路)の歴史と風景 旧岩淵水門と荒川河口 全文はこちら。
昭和41年(1966年)のマップ