【泥鰌】を食べるのは やはり日常的に鯉やイナゴなどを食べるのと同じく、山国の多い東国の食習慣のような気がする。
(各地のドジョウ食文化click)
瀬戸内海などのある、海産物の豊かな西国では古来から、❝どぜう❞を食べる必要はなかったのだろう。
だから神戸にいる時は 柳川鍋を出す店は元町通の路地の一軒だけ店を見つけたが 東京東部に引っ越したら、両国の「桔梗家」clickなどあちこちにあり
亀戸でも柳川鍋を常時出す店を見つけた。 阿智胡地亭にとっては 近くにいつでも柳川が食べられる店があるというのは何となく気持ちが落ち着く。
相方はこの日は 鰻蒲焼き半分と肝の串焼きからなる「スタミナ丼」を頼んだ。これはランチのメニューにしかないサービスアイテムだ。
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霞ケ浦から来た小父さんとドジョウ豆腐鍋の話 昭和50年代初めにこんなことがあった 2019年06月12日 本ブログ掲載
ある日、勤め先の神田から流山市(千葉県)にある南柏社宅に帰ると、夕食に焼いたワカサギやゴリやハゼ、川エビの佃煮が出てきた。
好物なのですぐに食べてみたら、とてもおいしい。どこで買ったのと相方に聞くと今日自転車の荷台に箱を乗せた小父さんがやって来て、アパートの一軒一軒を回った。
味見をしてみたらおいしかったので買ってみた。ねえ、おいしいでしょうという。
小父さんにどこから来たのと聞いたら、霞ケ浦から来た。これからも買ってくれるなら時々寄るよと言ったので寄って下さいって頼んでおいたわよ。
とても凄い茨城弁で言葉は半分くらいしかわからなかったけど、仲間が霞ケ浦で取った魚を自分で加工してそれを常磐線の駅毎に下りて行商していると言っていたわ。
小父さんはその後、ほぼ定期的に寄ってくれるようになり、スーパーで買うのとは違い獲ってすぐの加工なので、新鮮で化学調味料も入ってなく、おいしくて子供も喜んで食べた。
私の通勤最寄り駅の南柏から会社のアパートへ来るまでに、途中のお客さんに殆ど売れてしまい、
残り物しかない日もあるので、来客の手土産や神戸に帰省するときの土産にする時は、小父さんの自宅の電話番号を聞いておき、
あれを300g、これを200gとか頼むようになった。
顔を見て話すぶんにはなんとか理解出来るけど、電話で本物の茨城弁を聞き取るのはホント大変と言っていた。
茨城県の言葉が東北弁のエリアに入るのはそれまで知らなかった。
そしてある日、帰宅すると子供達がバケツを覗き込んで騒いでいた。
今日は小父さんが、生きたドジョウを持って来ていたのでアナタが柳川が好きだから明日の休日の晩に柳川鍋をしようと思って買った、と言う。
突然、何かで読んだか聞いた料理法を思い出した。鍋に汁と豆腐とドジョウを一緒に入れて火にかけると、まもなく熱くてたまらないドジョウがいっせいに豆腐に
頭を突っ込んでドジョウ豆腐が出来る。それがとてつもなくおいしいと。
翌日、相方はそんな料理法は聞いたことないと半信半疑だったが、強引なダンナに負けてトライしてくれた。
台所は修羅場になった。ガスをつけてしばらくするとガタガタという大きな音がして蓋を押しのけて必死のドジョウ達が鍋から飛び出した。
コンロの上の鍋から落ちたドジョウが台所の床を這い回る。
子供達はキャアキャア言って逃げ回る。
そこら中水浸しで、鍋の中の豆腐はカタチがないほどグチャグチャだ。
無言で冷ややかにこちらを見る相方の目を外し、必死でドジョウを捕まえた。
結局その晩はドジョウを捌いて、相方の当初レシピどうり柳川鍋に落ち着いたが食べおわったのは随分遅かった。
水浸しの床掃除は当然、自分以外誰もやってくれなかった。
その騒ぎとは無関係に子供が飼ってみたいというので、ベランダで一匹だけ小さなバケツに別にしていたドジョウは、
一週間後、幼稚園児の長女がつかんで遊んでいた時、手からスルリと抜け出し、あっという間にアパートの四階から下へ落ちた。
あーっ、お父さん、ドジョウが落ちたヨという娘の声で4階から下へ一気に階段を駆け降りた。
ドジョウは芝生の上で何もなかったように動いていた。ドジョウを掴んで上がって来ると心配顔の娘達は大喜びだった。
その後、このドジョウは餌をもらい丸々と太り、長くベランダのバケツに住み着いた。
しかし相方は小父さんからドジョウを買うことは2度となかった。
10年くらい経って神戸に住むようになり、元町商店街の外れに泥鰌料理専門の小さな店をみつけ、二人で柳川鍋をつついた時、
相方がアナタは時々とんでもない事をおもいつくからと当時を思い出して笑った。
そして、今思い出したけど、ドジョウ豆腐はたしか落語のネタのどれかにあったんじゃないと言った。
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「どじょう豆腐」、「どじょう地獄」 日本豆腐協会 引用元
むかしから珍しい料理として「どじょう豆腐」、「どじょう地獄」という豆腐料理が伝えられています。
鍋に水を入れ、豆腐といっしょに生きたままのどじょうを入れて煮るという、少々手荒な料理です。この料理のミソは、湯がわいてくると、どじょうが熱さに耐えかねて、
まだ冷たい豆腐の中にもぐりこんでしまうところ。その豆腐もしだいに熱くなるので、豆腐の中にもぐりこんだどじょうも一緒に煮えてしまう、というわけです。
どうやら、こんなところから「どじょう地獄」なるネーミングが出てきたようです。
この料理は、周りの人からは湯豆腐を食べているようにしか見えないために、昔から肉食を許されなかった僧侶たちには格好のごちそうだったと伝えられています。
豆腐に隠れて、こっそり肉の味を楽しむことができたわけです。
ところが、現実にはこの「どじょう地獄」には、なかなかお目にかかることができません。この言い伝えのように、どじょうが豆腐の中にもぐりこんだりしないからです。
これまで多くの人がこの鍋を試しています。豆腐を煮た鍋にどじょうを放すと、熱湯を飛び散らせて踊ったものの、豆腐の中には逃げ込みませんでした。
また、ある人は水からどじょうを放しておいたけれど、豆腐のなかに入る前に、あっさり煮えてしまったといいます。
豆腐に穴をあけて試したけれど、やっぱりどじょうは入らなかったといいます。
数年前にNHKで、この料理が取り上げたことがありました。さまざまなタイミングでどじょうを放したのですが、どの場合もどじょうが豆腐にもぐることはないという結果に終わりました。
「どじょうが熱さに驚いて冷たい豆腐に逃げ込む……」という発想はなかなかユニークですが、どうやらこの料理は、伝説上の幻の料理のようです。
僧侶たちがこっそりこの鍋を楽しんだというエピソードも、「こんなふうにしてどじょうを食べたい」という願望だったのでしょうか!?