阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

昭和50年代の海外あちこち記 その1     忘れられない二人、香港空港とグラスゴーのホテルで。

2022年11月23日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1)香港空港のトランジットルームで   (日本語ってこんなにきれいな・・


昭和50年代のある年、香港空港で乗り継ぎのため待合室にいました。

その時、70歳少し前くらいに見える女性から「日本の方ですか?」と日本語で声をかけられました。

「そうです」と答えると、懐かしそうに、

「東京もすっかり変わったのでしょうね。 わたくしは戦争前に東京の女学校に行っておりました。

現在は台湾の南部の町で暮らしていますが、久しぶりに日本の方とお話をいたしました。

今回の旅行は、シンガポールの親戚を訪ねました。今はその帰りです。」と言われました。

時間が来て長くお話できませんでしたが、節度のある 美しく格調の高い話し方でした。

小津監督の「東京物語」などで原節子が喋る日本語の世界以上にも思えました。

わずかな時間の出会いでしたが、この台湾の一女性の生きてこられた道筋や現在の生活までおもわず想像し、いまだに忘れられない一人です。


2)グラスゴーのステーションホテルで。

昭和50年代のある年、出張でスコットランドのグラスゴーへ行きました。夕方、仕事がすんで部屋に戻るとメイドさんが魔法瓶の水の補給に来てくれました。

ほっぺたの赤いまだ少女のような人でした。

 用事が終わったあと、何か話しかけたいそぶりでドアのそばにたたずんでいるので、「なにか?」と声をかけると、

はにかんだ笑顔で「どこから来たのですか」と言いました。東洋人は珍しいのでしょう。

 日本からと答えると、

「遠い遠いところから来たのですね、私は田舎から出てきて家族と離れて、スコットランドで一番大きな都会に勤めることが出来たけど、

 きっと一生ロンドンまでも旅行することはないと思います。このようにあちこち旅行するのですか?」と言いました。

 仕事で時々外国へ行っていると話すと、

「私には想像も出来ません、もしそんな事がいつか出来たらどんなにいいでしょう」と窓の外の夕暮れの空にふっと視線を向けました。

        この僅かな何分かの彼女との会話のおかげで、通り過ぎの身にグラスゴーにも日本と変わらぬ人達が暮らしているんだなあと、

今でも地名を見たり聞いたりすると、街並みとあの少女のことを思い出します。


* 画像はインターネットから借用。阿智胡地亭が現地に行った当時に撮影したものではありません。

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 印旛沼の里山住人の「壱岐、対馬の旅」。シリーズ(2) 対馬、日露戦争 その1

2022年11月23日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

☝ 好天に恵まれて Kさん夫妻は 対馬の展望台から約50㎞の距離の韓国釜山の街を眺めることが出来ました。

シリーズ(2)開始 ☞ 対馬北東部の上対馬西泊地区に日本海海戦記念碑があります。

1kmほど離れたホテルに宿泊したが時間がなくて行けてはいません。

  日本海海戦記念碑(Webより)

1905年5月27日対馬と壱岐島の海峡を進んだロシアバルチック艦隊と、

韓国鎮海の軍港を出港した連合艦隊は対馬沖で激突し連合艦隊が大勝した。

この日本海海戦記念碑は撃沈された バルチック艦隊のウラジミル・モノノフ号の水兵143名が

ボート4隻でたどり着いたところを地元民が水、食料、宿を提供し保護したことの記念碑という。

以下に今まで旅してきた中で日ロ戦争に関わる旅先を纏めてみたい。

a. ウラジオストク

バルチック艦隊の目的地であったが連合艦隊に撃破され3隻だけがウラジオストクにたどり着いた。

1893年には鉄道が開通しており、1912年には現在の駅舎が完成している。

  ウラジオストク港

  ウラジオストク駅

bポートバイカル

日ロ戦争が開戦した1904年2月の時点でシベリア鉄道はモスクワーポートバイカル、スリジャンカー満州間が開通していた。

バイカル湖南岸のポートバイカルースリジャンカ間90Kmは断崖、絶壁の難工事で未だ工事中であった。

この区間はバイカル湖上を夏は船で、冬は砕氷船で輸送を確保していた。

ポートバイカル駅舎は2005年に100周年を記念して建て替えられ現在は駅舎、ホテルとして機能している。

 ポートバイカル駅

 ポートバイカル駅構内にて

日本軍は軍資金不足や準備不足もあったがシベリア鉄道が全線開通すると輸送力が格段と上がり

不利となることから開戦に踏み切ったということらしい。

ロシアは開戦の翌日氷上鉄道の起工式を行っている、氷上鉄道は開通したが何度か氷が割れて

機関車、貨物、人も沈んでいる。

シベリア鉄道が全線開通したのは1904年9月、日ロ戦争の終戦は1905年9月である。

ポートバイカルからモスクワ方向に60kmほどのところにイルクーツク駅がある。

 イルクーツク駅

この駅は1998年にモスクワからの開通鉄道が開通、駅舎は1906年に建て替えられその後増築され現在に至っている。

c.旅順

2006年6月大連へアカシアを見に行った、旅順への1日ツアーがあったので参加した。

当時旅順は重要な軍港であり外国人の立ち入りは規制されていたが、日露戦争の関連施設の一部は

立ち入りが認められていた。ただし見学場所、ルートは当局より指示されていた。

現在は規制が解除され旅順駅、旅順監獄なども自由に行けるらしい。

 まずは水師営会見所、1905年1月ロシア軍が降伏して停戦条約が締結された後、乃木将軍と

ステッセル将軍が会見した場所です。

 水師営会見所

次は203高地、旅順要塞総攻撃の激戦地です。

頂上には慰霊碑、大砲などが有りかすかながら旅順港を見渡すことができた。

  203高地より旅順港を望む

 203高地にて

最後は東鶏冠山北堡塁、203高地を占領しても旅順港を守るロシアの堡塁は3か所健在であった。

そのうちの一つが東鶏冠山北堡塁であった。

強固な堡塁に対して地下に坑道を掘り爆破する作戦をとり、1905年1月1日爆破。

これによりロシアの旅順要塞は爆破され日本が占領した。

  東鶏冠山北堡塁

d.対馬旅行で新たな日ロ戦争に関わる場所を通過した。

日清戦争で勝利した日本は三国干渉を受け日本軍はいずれロシアとの戦争は避けられないと判断、

対馬の西入江の浅茅湾の水雷艇の基地から東へ抜けるためダイナマイトで山を爆破し瀬戸を作り1901年に完成した。

日本海海戦では水雷艇がこの瀬戸を通り東側へ移動している。

ここには橋を作り万関橋とよばれ、近くには瀬戸を守る陸軍の砲台も設置された。

伊藤博文はこの水雷艇の基地を視察していることから外国から日本を守る重要な場所と認識していたのだろう。

 万関瀬戸

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「死なない蛸」    荻原朔太郎

2022年11月23日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2010年04月28日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

高校の「国語」の教科書に、この散文詩が掲載されています。「死なない蛸」は“宿命”の中にある一篇です。


 或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。

 だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。

 けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。

どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。

それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。

かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。

或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水(しほみづ)と、なよなよした海草とが動いてゐた。

そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。

 けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。

古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。

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2022年11月23日 | SNS・既存メディアからの引用記事

11月21日に留まったSNS・メディアの記事

 

 

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