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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

亀戸で 喉が渇いたので 24時間開いている食堂で芋焼酎のお湯割りを一杯飲んだ

2023年11月13日 | 食べる飲む

某日図書館で予約本をピックアップしてから 京葉道路のバス停で都営バスに乗り亀戸にむかった。最初にちょうど亀戸行きがきた。

 このバス停には 両国行きと錦糸町行き、それに亀戸行きのバスが来る。

亀戸について商店街をぶらぶらして「肉のハナマサ」で「缶入り菊水」の買い物をしていたら喉が渇いてきた。

 24時間開いている食堂があると家人が調べていた店に向かった。店にはアルコール類もメニューに多数あるらしかった。

入った食堂の写真の右に見える「升本」はなんか行事があったら家に弁当を配達してもらう店の弁当販売店で 食事をする「升本本店」はすぐ近くの別の場所にある。

 

 昼の3時過ぎの時間で 食堂の食事客は二人だけで 一人はすぐ勘定して出て行った。

アルコールのメニューはなるほど多様だった。

頼んだ芋焼酎のお湯割りを一口飲んだとたん 焼酎の量がそこらの居酒屋の1.5倍の濃さだとわかった。(笑)

 アテを二品と味噌汁を取った。

出てきた品の味がそれなりなのは 焼酎を入れて合計の勘定が1110円だからして やむを得ない。

 でも軽く昼のみするにはいい店で これからも寄りそうだ。

ほろ酔い気分になったので酔い覚ましに総武線の電車に乗らず家まで

亀戸中央公園を突っ切って ふれあい橋を渡って歩いて帰ることにした。

 歩行数  7503歩  歩行距離 4.6㎞

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 120年前の世界各地の人の映像 「この動画の中に存命の人はいまや地球上に1人もいない…」 YouTube

2023年11月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

WHAT THE WORLD LOOKED LIKE 120 YEARS AGO | NaijaReportsTv

2023年11月現在の世界最高齢は116歳で、スペインのマリア・ブラニャス・モレラさん。(マリア・ブラニャス・モレラ - Wikipedia

つまり120年前の人々は、この世に1人の例外なく他界していることになります。

1896年:フランスのリオンではブールをして楽しむ人々の様子。
1897年:エルサレムのヤッフォ門。
1902年:ニューヨークのブロードウェイ下部。
1899年:カリブ海の中心にある市場。
1896年:バルセロナで荷揚げする港湾労働者たち。
1900年:ベトナムのナモ村。
1899年:ロンドンのレディス・サイクリング・ディスプレイ。
1896年:モスクワのトヴェルスカヤ通り。

これらは「映画の父」と呼ばれ、映画化もされたリュミエール兄弟により撮影されたもの。(※トーマス・エジソンと並び称せられるフランスの映画発明者。

当時の生き生きとした姿が映し出されています。

引用元

 

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11月12日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年11月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

 

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東日本大震災が起こった年の [ 2011年10月13日(水)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年11月13日 | 東日本大震災ブログ
2011年10月13日(木)
 
20111009 ウイキリークス の アサンジ氏インタビュー
 

「20111009 ウイキリークスは何を暴いたか」
CS朝日ニュースター「デモクラシーナウ」より。ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジが7月2日、

デモクラシー・ナウ!のエイミー・グッドマンが司会を務めるスラヴォイ・ジジェクとの対談のためにロンドンに現れました。


保釈後、支持者の屋敷に軟禁されてから初めての公開イベントの一つです。

対談の内容は、国際政治におけるウィキリークスの影響、イラクとアフガニスタンの戦争文書の公表、そして史上最大の米政府機密文書漏洩、ケーブルゲイトに及びました。

20111009 ウイキリークスは何を暴いたか 投稿者 PMG5
 

2011年10月13日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
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霞が関のデスクで考える除染は現実の除染とは別のこと
 

放射性物質:進まぬ除染、道険し 雨のたび山から汚染土砂
2011年10月11日 12時21分 毎日jp

 
福島第1原発事故で放出された放射性物質の「除染」について、長期化への不安が住民の間で広がっている。

 山際の地域では除染後も、雨が降る度に、山から放射性物質を含んだ落ち葉や土砂が流れ込み、放射線量が再上昇した例も。

7割が山地の福島県。都市部にも里山が多い。

国は年間被ばく線量が1ミリシーベルト以上の場所で自治体が除染する費用を負担する考えだが、住民は「山の近くは繰り返し除染するしかない。

その費用もちゃんと出るのか」と心配する。【町田徳丈、安高晋】

 福島市は7~8月、市内でも線量が高い大波、渡利地区で除染実験を行い、数日~1週間程度後に線量を再調査した。すると計885地点中7地点で、

除染後の数値が除染前より高いという結果が出た。毎時3.67マイクロシーベルトから同4.63マイクロシーベルトに上がった側溝もあった。市は「山の近くや、山から水や土砂が流れ込んだポイントで数値が上がった」と分析する。

 大波地区に住む八巻祐子さん(52)の自宅裏には里山が迫る。まとまった雨が降ると山から庭に土砂が流れ込む。玄関先は毎時1マイクロシーベルト以下だが

、庭は2マイクロシーベルト超。「どこもうちと同じ状況」と訴える。

 渡利地区で息子夫婦と孫娘2人の6人暮らしの裏沢利夫さんは、市民団体の調査で、自宅脇の水路から30万ベクレルを超える高濃度の放射性セシウムが検出された。

「一度だけの形式的な除染では意味がない。定期的に実施できないのなら、住民の安心にはほど遠い」

 森林の汚染実態について調査してきた農水省は9月30日、宅地などとの境から20メートル程度の範囲の森林の落ち葉などの除去が効果的との中間とりまとめを公表した。

だが、その中でも、常緑の針葉樹については「葉にも放射性セシウムが蓄積しており、通常3~4年程度をかけて落葉する」として継続的な落ち葉除去が必要と認めた。

 2年間で全域の生活空間の線量を毎時1マイクロシーベルト以下にする計画を立てた福島市。今月中にも大波地区で本格除染を始める。山林については未定だが、

国の「20メートル指針」に対し、地権者らの同意を条件に75メートル内部まで腐葉土を取り除く方向で検討している。除染は繰り返すしかないとみているが、

長期的な財政支援が得られるのか、国からの回答はないという。

 「汚染土」の置き場の問題も深刻だ。国は国有林の活用も検討し始めたが、伊達市の担当者は「全域の『森林20メートル』は広大。大量の土砂を置く場所の確保は本当に難しい。

それに人手はどうするのか」と指摘する。

 また、森林にはさまざまな役目がある。9月末に緊急時避難準備区域から解除された川内村。9割近くが山林で全域が井戸水や流水で生活する。

村は約20年かけて山林全体を除染する計画だが、担当者は「水源を保つためにも山林は必要。木を伐採せず、森林機能を保持したまま除染する方法はないんでしょうか」と苦悩を語った。

2011年10月13日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
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茨城県東海村の村長は発言と行動を継続している
 

原子力」の東海村、村長が原発廃炉を国に要請
(2011年10月12日11時23分 読売新聞)

細野原発相(右)に文書を手渡す村上村長(11日、東京・霞が関で) 日本原子力発電・東海第二発電所を抱える茨城県東海村の村上達也村長が福島第一原発事故後、

「脱原発」の姿勢を鮮明にしている。

 11日には都内で細野原発相、中川文科相と相次いで会談し、「東海第二原発は廃炉にすべき」などと直談判に出た。一方、村内には廃炉に伴う地域経済への影響を懸念する声が根強く、

定期検査後の東海第二発電所の運転再開を巡って議論の長期化も予想される。

 「東海第二は原発の立地条件として不適切。また老朽原発である。廃炉にすべきでないか」。村上村長は都内で、両大臣に「半径30キロ圏内に100万人が住み、避難計画策定は不能」などと訴え、東海第二発電所の廃炉を求める文書を手渡した。原子力安全・保安院に代わる規制体制の早期確立や減原発政策の具体化も求め、会談後、記者団に「今日は私の考えを示しただけ。国がどう対応するかを見させてもらいたい」と、今後の取り組みを注視する考えを示した。

 村上村長は原発事故後、公の場で「人に冷たく無能な国で原発を持つ資格はない」などと国の姿勢を批判する発言を繰り返している。立地自治体の首長が脱原発発言を繰り返すのは全国でも異例だ。村の2009年度の歳入約199億円のうち、原子力施設に関連する歳入は約60億円と3分の1近くを占める。東海第二発電所だけに限れば「全体の6~7%」(村幹部)にとどまるが、原発推進派の村議らは「下請け企業が納める法人税や雇用効果など目に見えない影響もある」と脱原発への懸念を隠さない。

 また、村上村長は9月定例村議会などで「東海第二原発が事故を起こせば村全域の避難は避けられず、全村民の意見を問うべき問題」と、運転再開の是非を問う住民投票の実施にも言及。しかし、議会内には「廃炉にした場合の村民生活への影響など十分な情報が示されていない。隣県で原発事故が収束していない中、二者択一で冷静な判断を求めることはできない」と反対意見も多く、実現に至るかは不透明だ。

 東海第二発電所は東日本大震災で原子炉が自動停止し、現在は定期検査中。11月を予定していた終了時期は延期され、運転再開の見通しはたっていない。

◎JCO事故から12年、脱原発村長の茨城・東海村を行く

一部引用・・

◇命も地域も二の次か
 福島第1原発事故が列島を揺るがしている。日本の原子力発祥の地といわれる茨城県東海村では、村長が脱原発を打ち出した。東海村はどこに向かうのか。現地を歩いた。【井田純】

 ◇30年、40年恩恵受けたとしても それで、ふるさと失ったら…?


 東西、南北とも7~8キロの村に、原子力関連の事業所は12を数える。村内を東西に走る道路には原電通り、原研通り、動燃通りの名が。

3万8000人の村民の3分の1が原子力関連の仕事に就いているか、またはその家族といわれる。それでも村上達也村長(68)は言う。

 「福島での対応を見ていたら、日本には、原発なんていう巨大な科学技術をコントロールすることはできねえなと。『資格なし』というふうに思いました。

これはもう脱原発だ、と腹を決めましたよね。世界一、二の地震地帯でさ、54基も原発を持って平然としてる。あまりにもうぬぼれた話、自然に対して傲慢だと思いましたね」

 ぼくとつとした茨城弁。だが、あまりの言葉の強さにけおされる思いがした。

 これまで、放射能漏れなどの原子力関係のトラブルが起きた時の自治体の長の反応はほぼ共通していた。

まずは住民の健康への影響懸念に言及して事故を非難し、最終的には「再発防止を」「安全第一で」と念を押し、容認する。だが、この「脱原発」はどうやら違うようだ。

全文はこちら

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放射能汚染の食品基準 日本500ベクレル・ベルラーシ37ベクレル
 

日本の食品基準は甘すぎ ベラルーシ専門家が批判
2011.10.12 20:28 [放射能漏れ] MSN産経ニュース

 チェルノブイリ原発事故後の住民対策に取り組んできたベラルーシの民間の研究機関、ベルラド放射能安全研究所のウラジーミル・バベンコ副所長が12日、

東京都内の日本記者クラブで記者会見した。東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品や飲料水の放射性物質の基準値が甘すぎ、

「まったく理解できない」と批判、早急に「現実的」な値に見直すべきだと述べた。

 例えば、日本では飲料水1キログラム当たりの放射性セシウムの暫定基準値は200ベクレル。一方、ベラルーシの基準値は10ベクレルで、20倍の差があるという。

 ベラルーシでは内部被ばくの影響を受けやすい子どもが摂取する食品は37ベクレルと厳しい基準値が定められているが、

日本では乳製品を除く食品の暫定基準値は500ベクレルで、子どもに対する特別措置がないことも問題視。「37ベクレルでも子どもに与えるには高すぎる。ゼロに近づけるべきだ」と指摘した。(共同)

2011年10月13日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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福島のコメ農家のどうしようもない思い
 
関西TV「スーパーニュースアンカー」アンカーズアイより。福島県のコメ農家が収穫の時期を迎えて苦悩している。いわき市にある2つの地域のコメ農家を取材。
 
大久町小久では原発からの距離が30キロのため、避難に対して補償があり、水田の8割で作付けしなかった。一方山を隔てて30キロ圏外となる四倉町では避難に対して補償がなく、
 
多くの農家がコメを作付けした。
 
 
2011年10月13日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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