阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

旧中川の遊歩道へ行く前に「居酒屋 きんめ家」で昼の定食

2023年11月25日 | 食べる飲む

旧中川への散歩道の途中にあるこの居酒屋さんは夜ではなくお昼の定食に時々寄る。

この日相方は「ちらし定食」をオーダー。☝

私は「赤魚焼魚定食」をぬる燗一合をお供に。昼食時の一杯の悪癖というか健康の元??はいまやもう直りそうにない(笑)。

 幸期幸齢者になって六年も経つと いくら毎回 傍からクレームが飛んできても、とめどなくわが身に甘くなる。

 

昼時は常連の年配一人客が次々入ってくる店だ。

 

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ハゲワシを出し抜いて水場を独占するカラス…恐ろしいほどの知能を見せる   YouTube

2023年11月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

Clever crow outsmarts TWO turkey vultures with ONE move

ひどっ!

邪魔ものをまとめて退散させたいがために、2羽のハゲワシをケンカさせるハイレベルな行動。

普通に悪いやつですが、人間でもよくやるイタズラのレベルに感心します。

  引用元。

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11月24日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年11月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

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東日本大震災が起こった年の [ 2011年10月25日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年11月25日 | 東日本大震災ブログ
2011年10月25日(火)
 
海外のモータースポーツでも風評被害
 
☆一般論ではなくヨーロッパでの大衆人気スポーツという具体的な事例で、日本は放射能まみれとの報道がかけめぐっている。日本のマスコミは日本内部の風評被害だけを取り上げているが、井の中の中の蛙大海を知らず。世界の世間の風評被害を国を上げて阻止するキャンペーンを張るべきだ。

世界各地にいる駐在員は知っているはずだが、本社のデスク以上が例のごとく「国民に不要な心配をさせてはいけない」と報道を止めているのだろう。

国民を愚民として信頼しない国と報道機関は必ずしっぺ返しを受ける。☆

「放射能怖い」と駄々をこねたGPライダーたち

一部引用・・

自動車部品も出荷時に放射線測定

 世界中の注目を集めるこうした「グランプリピープル」による一連の騒動を伝え聞くにつけ、何より痛感するのは、日本と日本人が3月11日からどのように暮らしてきたか、そして「原発事故とその影響」について、具体的な情報が世界にはほとんど伝わっていないのだな、ということ。

 もちろん日本国内にいても、状況を把握するのに十分な情報を入手するのはそう簡単なことではない。それもこの半年余り、私自身も日々味わってきたことだ。

 それにもまして海外では、「日本は原発事故で放射能に汚染されている」「放射能は怖い」というイメージだけが広がっているのだ。

 それによる「風評被害」は、日本からの輸出品を、農産物はもちろんのこと、工業製品まで「放射能がないことを確かめないかぎり受け入れない」という状況を生んでいる。

 私にとって身近な自動車部品産業の分野だけでも、現実にそうした反応に直面し、福島第一原発からはるかに離れた所で作ったものなのに積み出し時に放射線量の測定を行わざるをえなくなった、という話がいくつか伝わってきている。

 そうした時に、日本国内の状況を、時間経過と空間的広がりの両面から網羅的に伝え、理解してもらえるような情報がない。

 グランプリピープルに向かって説明できる安心材料が、「アメリカ国務省も5月には『福島第一原発そのものは依然として深刻な状況にあるが、そこから50マイル(約80km)半径の外なら、アメリカ(海外)からの一時的な(1年以内の)訪問者にとって明らかな健康および安全上のリスクはほとんどない』と公式見解を出しているし、それを裏付けるデータは国家核安全保障局のウェブサイトに時系列で公開されている」というのでは、何とも説得力に欠ける。

 どう考えても、日本が自ら発信する、分かりやすくて正確な情報が必要だ。言うまでもなくそれは、外務省と首相官邸を中心に進めるべきマターである。

 もちろんそうした政府機関のウェブサイトにも、記者発表などの文書の英語版をアップロードするなど、事務的な対応だけはあるのだが、まずそれを見つけ、次に余分な言い回しが多い文書を逐一読み進んだところで、日本の状況を理解してイメージできるわけではない。

 何かもっと具体的で分かりやすい形の情報提供を、それも刻々と更新しながら進めないと、「汚染列島・日本」のイメージはそう簡単には払拭できない。

 このまま、世界の人々が「日本」と聞いて抱くイメージの中から「放射能」が何となく薄れていくのを待つだけでは、悪しき残像が個人から社会まで様々な形で残ったままになってしまう。私が見る限り、その不安は時間の経過とともにむしろ加速しているのである。

全文はこちら
 
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ICRPの100mSv以下の被曝に関する見解
 
☆日本の政府がその決定に準拠している。ICRPー国際放射線防護委員会。☆

<ICRPも、科学的に100mSv以下の被ばくでも癌が過剰発生すると認めている

国際放射線防護委員会(ICRP)のパブリケーション99は、低線量被ばくの健康への影響をまとめたもので、2004年10月に同委員会によって承認された。そこでは、疫学的(これまでの症例に基づく統計的)なアプローチ、放射線がどのようにDNAに影響を与えるかという細胞学的アプローチ、動物実験に基づくアプローチがなされている。

 このうち、細胞学的アプローチについては、「現在のところの線量と、時間ー線量の関係についてのメカニズムと定量データの理解は、低線量においては直線的な線量反応関係を支持する」(日本アイソトープ協会翻訳版:総括(e))という結論だ。つまり、100mSv以下でも比例的に健康被害が生じることを裏付けているという結論だ。

全文は こちら
 
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老後は・・
 
日本人にとって最良の老後とは

一部引用・・

子規の病床には知人が頻繁に訪れる。関心は俳句にとどまらず多方面に向かう。まず、食事。美食家かつ健啖家である。食べたものを丹念に記載する。絵画、演劇、教育を語り、社会現象にも独特の感想を述べる。宗教を信じないと明言するが、それでも神仏を尊重する。死は怖くないが痛みがつらいこと、病床に寝たきりでいることに叫びたくなるようないら立ちを覚えることなどが縷々書かれている。子規の最大の楽しみは、新聞『日本』に連載していた『病床六尺』の記事を眺めることだった。

子規は、家族や知人との濃厚な交流を維持しつつ、数年間、病床に生きた。終末期医療に詳しい大井玄は、他者とのつながりの中での「居場所」を重視する。「『健康』を失っても『人間関係』という他者とのつながりが保たれているならば、さらにいうと他者の『ため』になっているならば、人は『満足』していられる」(『人間の往生』新潮新書)。認知症老人も、不安を最小化するために、仮想の「居場所」を構築する。

居場所の重要性は終末期や老後に限ったことではない。ヨーロッパの社会保障再編の目標とされる社会的包摂を、宮本太郎は「他の人々とつながり、承認される『生きる場』」(『生活保障』岩波新書)を確保することだとした。

生命維持を最大目的とする大病院には、「気持ちよく『往生できる』サービス資源と機能がない」(『人間の往生』)。大病院の高価な重装備が、穏やかな終末期と、経済的に相性が悪いこともあるが、日本社会で死についての議論と思考の量が十分でないことも、死の扱いをぎくしゃくさせている。病院医療は、病者から人々遠ざけ、しばしば「居場所」を奪う。正岡子規の死は、現代の病院では望むべくもない。

全文はこちら
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小津安二郎を茂木健一郎は「日常が底光りする理由」で書いた
 
☆茂木健一郎は才気煥発が過ぎて、時々ついていけない時がある。
しかし人はなるほど11面観音。「東京物語」にここまで惚れ込んで
ここまで深く読みこんだ文章は彼だけに書けるものかもしれない。

一部引用・・

何が、あの時私を衝き動かしていたのか、今でも十分には言語化できてはない。後にも先にも、映画を見て、あれほど居ても立ってもいられないような気持ちになったことはない。東京物語という作品と出会ったこと、小津安二郎という映画監督に出会ったことは、間違いなく私の人生における一大転機だった。

 私の有限の人生において、東京物語との出会いがいかに大きなことであったか、そのことを、今でも、感謝の念を持って思い出す。もし、小津がいなかったら、「東京物語」や、「晩春」、「麦秋」、「秋刀魚の味」といった作品群がなかったら、私にとって、世界は全く違った風景として見えていただろう。黒澤明のケレンも、溝口健二の様式美も、川島雄三のエスプリも、私にとっては、その後をついて行こうとは思うようなものではなかった。ただ、小津安二郎だけが、それまで私が積み上げたヨーロッパ映画、ヨーロッパ芸術の体験に匹敵する、そしてそれを超えるかもしれない何かを私に提示しているように思われた。

・・・
日々の生活の些細な具体の積み重ねを離れて、人間にとって普遍も、永遠もないのだと思い定めたとき、それまで退屈に思われていたかもしれない日常が、突然、底光りして感じられてくる。「東京物語」に出会い、小津との出会いをする前の西洋かぶれの私が、日常生活などくだらない、本当の生活は、ここではないどこか他の場所にあると思い詰めていたのも、今から考えればそのことだったかと思い当たる。

 小津安二郎は、私たちの日常が底光りすることの理由をつかみ、表現し得た芸術家であった。今、映画作家としての小津安二郎の輝きが増しつつあるように感じられるとすれば、それは、現代の私たちが、戦争でも革命でも経済発展でもない、ごくありふれた日常に寄り添った精神生活を始めているからかもしれない。マルクスやレーニンは革命を発明した。二十一世紀の私たちは、日常を発明し、再定義しなければならない。そのような努力の向こうに見えてくるのは、具体と普遍の関係についての知見であり、人間性の本質に関する洞察であり、文学の可能性である。

全文は こちら 長文ながら一読の価値あり。
 
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