洋楽 60年代オールディーズ 名曲10選【英詞つき】
1977年にパリに3回出張しました。
森村桂さんの往時のベストセラー「天国に一番近い島」の舞台、南太平洋のニューカレドニア島は旧フランス領で、ニッケル鉱の世界の一大産地です。
ニッケル鉱山から積出港までの長距離コンベヤ設備が計画され、その設備の国際入札に所属貿易部が参加しました。ニッケルの鉱山会社の本社はパリにあります。
1)ある朝6時頃、ホテルで目が覚めてタバコが切れているのに気づき、外に買いに出ました。小さなホテルで自動販売機なんかありませんでした。
道路に出ると、昨夜はなかった物が驚くほど沢山落ちています。
よく下を見て歩かないとすぐ踏んでしまうくらいそこらじゅうにあります。それは犬の糞でした。
マンションやアパートなどの集合住宅で飼われている犬達が早朝飼い主に散歩に連れ出され、排便したものでした。
フランスではポピュラーな煙草、ジタンを買ってホテルへ帰る途中、
大きなタンクローリーが走ってきて道路中に水を撒き、犬の糞を側溝へ押し流しているのが見えました。
ああそうかパリの有名な下水道に流しているんだと気が付きました。
クロワッサンとコーヒーの朝食を済ませて、お客さんのオフィスへ出かける頃の道路は鏡のように塵一つないきれいな街路でした。
毎朝、パリの全ての街路で恐らく何百年もされていることを見ることが出来たと一人ごちたことでした。
写真はネットから引用。当時の風景ではありません。
2)フランス語もメルシーボクーくらいしか解らないので、1人でホテル暮らしの時は、近くのスーパー(昭和52年頃の当時、
もうパリの街のあちこちにありました)に行って結構おいしい当地のサンンドイッチや惣菜類を買って食べていましたが、
ある時、日本メシが食べたくなり、JALがくれたパリマップを見てホテルの近くに「伊勢」という日本料理屋を見つけ歩いて行きました。
入るとすぐのところに寿司のカウンターがあり、35、6才のフランス人が1人黙々とうまそうに寿司を食べていました。
後で店の女の子に聞くと、日本で働いて日本食にはまったフランス人が、国へ帰ってきて、
一ヶ月に一度、給料を溜め、ああやってこの店に来る人が結構いる、その1人だとのことでした。
寿司は高かったので、椅子席でメニューを見てそこそこの値段の親子丼を頼み、着物姿の日本人のアルバイトらしい女の子に
「伊勢」という店の名前はどうしてついたのか聞きました。
「マスターが確か三重県の出身だから伊勢と付けたと聞いた」と言ったので、「自分も三重県に居たことがあるので、
もしマスターが手が空いたら席にきてくれないか」と頼みました。日本酒を頼み、久しぶりの親子丼をおいしく食べ終わった頃、
マスターが来てくれました。パリに来てこの店を初めて3年くらいのこと。
話をしていくと、驚いたことにマスターは四日市市の出身で、しかも同じ市立港中学校の3年後輩ということがわかりました。
習った先生方も丁度一回りした同じ先生達でした。大入道の四日市祭など話が弾みました。
父親の数多い転勤のせいで住む土地が頻繁に変わり、小学校は3校、高校は2校に通いましたが、中学だけは唯一入学して同じ学校を卒業しました。
その中学校の後輩にここパリで会うとはと驚きました。
板前も自分でやっているその主人の名前も顔も忘れてしまいましたが、先般、娘が友人と二人でパリを旅行した時、
行かなかったけどマップの[味でお薦めの店]に「伊勢」があったと聞き、後輩はずっとパリで 頑張っているんだと嬉しく思い出しました。
一言多いとあいかわらずヒンシュクを買うことが多いボクですが、どうして店名が「伊勢」なんだろう?と好奇心を持って聞いてみて良かったと思いました。
(本稿は2000年ごろ作成して知人友人に送信)
パリの日本レストラン 引用元
いまパリには日本食のレストランはどのくらいあるのか。一説では1000軒を超えるという。
パリ1区のサン=タンヌ通りの両側には和食、ウドン、ラーメン屋などが軒を連ね、昼どきともなると、ラーメン屋の前に行列ができて、
そのなかには多くのフランス人も多く混じっている。言わずと知れた日本色ブームだが、なかには外国人がスシを握ったり、ラーメンを茹でたりしている店も多いと聞く。
最初にパリに住んだ1970年代初頭、この界隈にはすでに数軒の日本レストランができていた。
サン=タンヌ通りがオペラ大通りと交わる角に東京銀行の支店があり、パリ在住の日本人の多くが口座を開いて、故国との金銭の送金をしていた。
戦前の横浜正金銀行の流れをくみ、海外貿易の決済や外国為替業務に慣れた東京銀行がもっとも便利だったのである。
そのためこの界隈を大勢の日本人が往来し、それにつれて日本食を供する店が出来ていった。
本格的な店としては1958年に開店した「たから」や、その後にできた「伊勢」などがあった。

黒柳徹子さんが語る “ブギの女王”の素顔
芸能生活70年を超える黒柳徹子さん。
まだ駆け出しのころ、初めて共演した“スター”が笠置シヅ子さんでした。
連続テレビ小説「ブギウギ」でヒロインのモデルとなった“ブギの女王”とどんな交流があったのでしょうか。
知られざるエピソードをたっぷり語っていただきました。
(大阪放送局 ディレクター 尾崎琢朗 小田原秀 足立ひかり)
誰にも優しく、気さくに

黒柳さんはおよそ70年前、テレビ本放送が始まった1953年にデビュー。
まだ駆け出しの俳優だったころに共演したのが笠置シヅ子さんでした。
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「朝ドラ ブギウギ」は一回も漏らさずすべて毎回見て楽しんだ。
脚本の足立紳さんという人の世界観に基づく戦前と戦後すぐの当時の 日本の一般人の生きる世界が自分には納得できる描き方でとても良かった。
そしてヒロインを演じた俳優の 回を重ねるごとに役者として成長していくのを見ていると 時々鳥肌が立つような思いになった。
大満足できるドラマの私にとっての唯一のキズは 服部良一役をやる俳優の関東弁だった。
服部良一は大阪生まれの大阪育ちで、26歳で上京しても関西アクセントは当然ながら生涯直らなかった(家族談)。
「草彅 剛」さんも指示されて ひたすら大阪弁を学んだのだろうが 彼にはとてもまっとうな大阪弁は無理だとNHK側の判断が下ったのだろう。
主役の鈴子役の俳優はこのドラマで大阪弁を使えなければ ドラマが成立しない。
ということで 趣里さんはプロデューサーの妥協のない指示で必死に大阪弁を身に着けたのだろう。
私は全回の中でたった一回だけそれも一語だけ ああ今のは大阪アクセントやのうて関東アクセントやんと思もたことがあっただけやった。
そこにプロの役者の趣里さんと歌手とタレントである草彅さんの違いを感じる。しかし百点満点のドラマはない。
草彅さんには大阪弁でのセリフ回しはとても無理で、製作者側はやむを得ず妥協せざるを得なかったが それ以外の演技面では彼は「草彅の服部良一」像を作ったと思う。
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東京都が切り捨てたカウンセラーに広がる余波 #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://t.co/1BtNYHDV6f
— 阿智胡地亭 辛好 (@achikochitei2) April 1, 2024
絶望の工事現場が加速・・・大阪万博開催不能!法律違反をして残業ルールを破らないともう間に合わない!完成しない!元博報堂作家本間龍さんと一月万冊 https://t.co/krKAkDzmMr @YouTubeより
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いじめや性加害など「悪事」が見過ごされる現実 #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://t.co/hPIAJYWmtH
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石川県の馳知事、オリンピック委員に官房機密費で賄賂を贈った人物だが、リコール運動が起きている。
— HARUKI@ネット市民連合 (@Haruki_j1) March 30, 2024
能登地震で、被災地の知事でありながら半月も現地入りせず、ボランティアまで排除し、被災者を見捨てた人物だ。その傍ら、大阪・関西万博にはエールを送るなど、石川県民を蔑ろにしている。 pic.twitter.com/6FSdreO3JY
何かあったらまず隠す。裏金問題まで続く共通点。
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) April 2, 2024
「公文書の改ざんをめぐり財務省が自殺した財務省職員の妻に対し関係の文書を開示しない決定をしたことについて、国の審査機関が決定を取り消すべきとの判断」
赤木雅子さん「この裁判で初めて明るいニュースだと思います」https://t.co/OMAyvaDG9E
「石川県が集めて送り出しているボランティアの数ではニーズに応えきれていない。壊れている住宅の中から大切な物を取り出して、取り出さないと公費解体も進まない。今のペースでいくと5年も10年もかかっていつまでたっても復興ができない」https://t.co/3BQW5DeUjk
— 五百旗頭幸男 『はりぼて』『裸のムラ』 (@yukioiokibe) April 1, 2024
埼玉県、特に川口市について「クルド人のせいで治安が悪くなっている」という言説について、データを確認しました。当たり前ですが、刑法犯として検挙される人のほとんどは日本人です https://t.co/Hxg6MmMyAI
— 吉井理記 (@yoshii_r) March 29, 2024
元記事: ”A Confused Nuclear Cleanup” (2/10/2012) By Hiroko Tabuchiはこちら。 Saturday, February 18, 2012 ニューヨークタイムズ: 訳の分からない放射能除染 (記事全訳。翻訳はこちらから引用) 2012年2月10日ニューヨークタイムズ タブチ・ヒロコ 飯舘村 - 福島第1原発から20マイル(約32キロ)のところにあるこの村に、ハズマットスーツを着てマスクをつけた作業員500人が散開し除染を行う。彼らの困惑は明らかだ。 「5センチ掘るんですか、それとも10センチ?」現場監督はは同僚に聞きただし、取り除く予定の表土を指差す。その後、村の広場の向こうにある公民館を指して、「あれは取壊すんじゃなかったですか?除染するんですか、しないんですか?」 日雇いの労働者は放棄された学校の窓を拭きながら、彼の作業グループの行き当たりばったりの仕事振りにしょうがないとばかりに肩をすくめる。「みんな素人だからね」、と彼は言う。「放射能をどうやってきれいにするか、誰も本当のところ知らないんだ。」 確かに、誰も本当のところを知らないのかもしれない。しかしそれしきの事で挫ける日本政府ではなかった。手始めとして、政府は130億ドル(1兆円)分の契約を発注し、8000平方マイル(2万720平方キロ)を超す、放射性降下物に最もさらされた地域 - 米国のニュージャージー州と同じ広さ - を再生しよう、というのだ。最大の目標は、昨年3月の原発事故現場の近くに住んでいた8万人以上の住民が帰還できるようにすること。その中には飯舘村の6500人の村民も入っている。 ただ、その除染方法が効果的であるかははっきり分かっていない。 除染プログラムを批判する人々にとって更に気がかりなのは、政府が最初の契約を発注した先が大手ゼネコン3社であったことだ。放射能除染の専門知識・経験が飛びぬけてあるわけでもないのに、日本政府の原発推進で大いに利益を上げてきたのが大手ゼネコン会社、というわけだ。 市民の監視グループである原子力資料情報室によると、このゼネコン3社で日本にある54の原発のうち45を建設している。そのうちの1つ、福島第1原発では、原子炉建屋やそのほかの発電所は津波に耐えることが出来ず、壊滅的な機能不全に陥った。 【訳注:ニューヨークタイムズの記者は原子力発電所と原子炉を混同している模様。54あるのは原発ではなく、原子炉。ニューヨークタイムズには記載が間違っている旨メールしましたが、返事なし。】 3社のひとつが大成建設で、ジョイントベンチャーの元締めであり、今飯舘村にハズマットスーツを着た作業員を送り込んでいる。大成のジョイントベンチャーと他の2社、大林建設と鹿島建設が元締めのジョイントベンチャーの3つで、最初の12の政府除染実験プロジェクト合計9千3百万ドル(約74億円)を受注した。 「詐欺ですよ」と言うのはサクライ・キヨシ氏。原子力業界を批判する氏は、日本原子力研究開発機構の前身機関の研究者だった。日本原子力研究開発機構は現段階での除染を総括している。「除染はビッグ・ビジネスになりつつあります。」 除染契約は原子力業界と政府の間に長い間存在してきたなれあいの関係を象徴するものだ、とサクライ氏などは批判する。 「日本の原子力業界は失敗すればするほど金を多くもらえるように出来ている」、とサクライ氏は言う。 日本原子力研究開発機構は、ゼネコン大手が今後も大半のプロジェクトを受注するとは限らない、と言っている。今後のプロジェクトの発注を行うのは環境省になる。しかし、大手ゼネコン側は今後も元締めとして参画し続けるつもりであることをほのめかしている。 「実際に作業しながら経験を蓄積しているのです」、と言うのは、大成の広報のヒライ・フミヤス氏。「試行錯誤のプロセスですが、私たちには除染の仕事をやっていくのに十分な能力があります。」 鹿島と大林は、現在進行中のプロジェクトについてはコメントできない、と言っている。 環境省のセイマル・カツマサ氏によると、大手ゼネコン各社は必要な作業員をあつめることが出来、道路、山林の除染など大規模なプロジェクトをまとめる力があり、除染作業員をきちんと被曝から守り、被曝を監視する能力が一番高い、という。 「原発推進だったかどうかではなく、除染に何が出来るかが重要なのです」、とセイマル氏は言う。 他のゼネコンも何とかして一枚加わろうと必死だ。1月の末、前田建設が環境省から除染契約を受注した。前田建設の入札価格は予想されるコストの半分以下で、明らかに損失覚悟で足がかりを掴もうとする手口に対して大成を含む他の入札者から苦情が出た。【訳注: 楢葉町役場周辺の除染プロジェクトで前田建設の入札価格は大成、大林の10分の1。コストの半分、という情報はどこから来たのか不明。前田建設の次に低い価格を提示したのは清水建設。詳しくは朝日新聞1月22日付け記事ご参照。】 今月の初め、警戒区域のすぐ外側の南相馬市は、大手ゼネコングループに発注する除染プロジェクトに400億円(5億2500万ドル)を計上すると発表した。議論はさておいて、日本が重要な作業を行っていることには間違いない。この作業は1986年ウクライナのチェルノブイリ原発事故の後に行われた部分的除染をはるかに超える予定だ。チェルノブイリでは、原発から半径19マイル(約30キロ)の地域が事故後4半世紀が経った現在でも、ほとんどが立ち入り禁止のままになっている。 しかし、どのような除染方法が日本で有効なのかについてはほとんど合意がない。放射性物質は風や雨で簡単に移動し、一度除染作業が終わってからも町を再汚染するかもしれない、と専門家は言う。 「除染の専門家はまだ存在しません。国が大手ゼネコンに大金を払わなければならない理由などないのです」、と言うのはタオ・ヨウイチ教授、工学院大学の物理学の客員教授だ。教授は飯舘村の村民が除染方法を自主テストするのを手伝っている。彼はまた、エネルギー庁の除染プロジェクトの効果の有無を監視している。 主契約を受注するのは大手ゼネコンでも、実際の除染 - 単純だが手間のかかる、ごしごしこすったり穴を掘ったりする作業 - は多くの下請けや孫請け会社が行い、更にこれらの会社は、一番ひどい除染作業を行うのに訓練されていない日雇いの労働者に頼っている。 下の階層へ行くにつれて手数料がピンはねされ賃金が低くなっていく、というこの階層構造は、日本の原子力業界、建設業界ではおなじみのパターンだ。 飯舘村のプロジェクトの作業員はほとんど地域外から来ている。学校の窓を拭きながら自分で素人だと認めた作業員、シバタとだけ名乗る彼はもともと自動車工で、160マイル(約257キロ)離れた千葉に住んでいるのだ、と言う。「見入りがよくてさほど危険でない」仕事が福島である、というニュースに飛びついたと言う。 シバタさんは一日に4時間シフトを2つやっている、と言う。寝泊りするのは近在[地元?]の温泉リゾートだ。シバタさんや同僚の作業員は賃金の話をするのを断ったが、地元のニュースによると除染作業の賃金は一日2万5千円、およそ325ドルになる、という。 ペーパータオルで窓を拭きながら彼は言う。「タオル一枚で拭くのは一度。さもないと、放射性物質がただ広がるだけだからね。放射線が見えるわけじゃないけど。」 その通り。昨秋、飯舘村公民館の同様の除染プロジェクトは村によって行われたが、放射線を安全なレベルまで下げることは出来なかった。 大成、ゼネコン各社によるパイロット事業は早くも思わぬ障害にぶつかっている。日本政府は、汚染された庭や畑からそぎ取った大量の汚染土を[地元で]保管しておくことへの住民の抵抗を予期できなかったのだ。 一方、政府・ゼネコンの除染プロジェクトを批判する人々は、地元の会社や自治体の方が除染を安上がりに行うことが出来、地元の雇用創出にもなる、と言う。 飯舘村の住民の中には、大学の専門家の手を借りて自分たちで何とかしようとし始めている人々もいる。彼らの実験によると、除染はまず飯舘村の面積の4分の3を占める山林から始めなければならない、とのことだ。 「うちを除染してもらっても、放射能はまた山から降ってくるからまた全部汚染される」、と言うのは、農業を営む60歳のカンノ・ムネオさんだ。他の飯舘村の住民と同じく、カンノさんも原発事故から1ヶ月以上村に留まっていた。放射能雲が飯舘村に到達しているのを知らなかったのだ。 カンノさんは5月に村から避難したが、週末には帰村していろいろな除染方法を試している。最近は物理学者のタオさんを伴って近くの山に行き、枯葉を地面から取り除くことでどれだけ放射線が下がるかを実験している。 彼らの作業には公的資金は出ていない。すべて寄付と、村人たちの無償労働で支えられている。つい最近でも、70歳の人々数人を含む10数人のボランティアが朝、雪の積もった山林に入って枯葉を掻き出し、布の袋に詰めていた。普通の服にマスクをしただけの格好だった。 「この土地のことはゼネコンより私たちのほうがよほど良く知っている」、とカンノさんは言う。「金は跡形も無くどこかに消えているんじゃないかと思うよ。」 |
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総合テレビ/3月3日(土)午前1:15~2:25【2日(金)深夜】(70分) ■紹介番組 NHK特集「いま原子力を考える」 (初回放送:1981年8月3日/79分)※約55分に編集 2回目は、秘められた巨大技術シリーズへの視聴者の反響を受けて制作された1981年のNHK特集「いま原子力を考える」をお伝えする。これは、当時としては画期的な、原子力推進派と原子力反対派がスタジオで1対1で真っ向から原子力について議論するという討論番組である。 原発推進派から森一久さん(日本原子力産業会議・専務理事)、反対派から久米三四郎さん(大阪大学理学部講師)が出演。安全性やコストから軍事利用の危険性に至るまで議論を繰り広げた。 30年前にもかかわらず、原子力の本質をとらえた議論で、その明快な論点はフクシマ後の今聞いても示唆に富む。 |
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| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 / 日本社会の仕組み改良 |
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| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
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| 今日の気になるネット情報 / 東日本大震災・原発 |
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事故直後前首相側近ら証言 「東電撤退」即座に拒否 2012年3月2日 東京新聞朝刊 東京電力福島第一原発の事故当初、菅直人首相(当時)を支えた側近ら三氏が本紙のインタビューに応じ、昨年三月十四日夜に東電が福島第一からの撤退を考えているとの情報が入った際、菅氏が「このままだと海外から(原発を管理しに)やってくるぞ」と強い危機感を示し、即座に拒否したことなどを明らかにした。情報の遅れに加えて撤退情報が入ったことが、翌十五日早朝に政府と東電が統合本部を設けるきっかけになっていた。 証言したのは、福山哲郎元官房副長官と池田元久元経済産業副大臣、北陸先端科学技術大学院大副学長の日比野靖元内閣官房参与。 福山氏によると、1、3号機の爆発後、2号機の原子炉で空だきが始まった三月十四日夜、官邸に「東電撤退」の一報が入った。当時の海江田万里経産相や枝野幸男官房長官に、東電側から電話が入り、撤退と受け止めた。 十五日未明に政治家ら数人で話し合った後、菅氏の意向を聞くこととなり、仮眠中の菅氏を起こして報告。菅氏は「撤退なんかありえない」と話した。 菅氏は「海外からやってくるぞ」「このままでは東日本全体がおかしくなる」「決死隊をつくっていくしかない」と話し、強い危機感を示したという。 菅氏は東電の清水正孝社長(当時)を官邸に呼び「撤退なんかありませんから」と通告。清水氏は「はい、分かりました」と応じた。 政府は同日早朝、東電との事故対策統合本部を東電本店に設置。本店に出向いた菅氏は「会長、社長も覚悟を決めてくれ。六十歳以上が現地に行けばよい」などと訴えた。 東電は、作業に無関係の社員の一時退避を検討したいと伝えたとし、全員撤退の打診を否定している。 日比野氏は、十三日午前に官邸に呼ばれた東芝の佐々木則夫社長が、菅氏に「2、3号機はどうなりますか」と問われ、「1号機と同じく水素爆発します」と即答したことを証言した。佐々木氏は、爆発を防ぐため建屋から水素を逃がすには、水の噴射で穴を開けるウオータージェットがあると提案したが、3号機の爆発までに調達が間に合わなかった。 |
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