2024/04/16 06:05 文化
農作物の豊穣を祈る諏訪大社上社の例大祭「御頭祭(酉の祭り)」が15日、諏訪市の上社本宮と茅野市の上社前宮で行われた。
御霊代を本宮から前宮に移し、前宮の十間廊で古式にのっとり神前に鹿の頭部(剥製)などをささげ、北島和孝宮司が祝詞をあげた。
御霊代を乗せたみこしは黄色の装束に身を包んだ茅野市泉野の中道、槻木両区の供奉員らに担がれ、行列を伴って本宮から前宮に運ばれた後、十間廊の上段の間に安置された。
御霊代の前後には、神職や大総代、今年の御頭郷を務める岡谷市の湊・川岸地区の関係者らが連なり、本宮と前宮を往復した。
十間廊では、鹿の頭をはじめ鳥獣魚類などが供えられ、代表者らが玉串をささげた。御頭祭に引き続き、前宮の内御玉殿や若御子社でも神事が行われた。
境内には参列者の他にも多くの見物人が訪れ、厳かな神事を静かに見守っていた。
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2007年4月18日 本ブログに掲載
今年も4月15日に諏訪大社上社の前宮で御頭祭が執り行われました。この祭りは3000年前に遡る縄文人の狩猟神信仰が今に連綿と伝わっているものです。
「春告げる諏訪大社「御頭祭」 五穀豊じょう祈願 (長野日報)
神前にシカの頭をささげて五穀豊じょうを祈る諏訪大社の御頭祭が15日、行われた。諏訪市神宮寺の上社本宮と茅野市安国寺の前宮の間を行列が往復し、諏訪地方に農耕の春を告げた。
神職や大総代、御頭郷の諏訪市中洲、湖南地区関係者ら約200人が行列を整えて本宮を出発。茅野市中道、槻木の氏子が「黄丁」と呼ばれる鮮やかな色の装束に身を包んで御霊代(みたましろ)を乗せたみこしを担ぎ、到着した前宮では神事で豊作を祈った。
かつては3月の酉(とり)の日に行われていたため、「酉の祭り」とも呼ばれ、大社の重要な祭りの1つ。好天の日曜日とあって、境内や沿道は例年以上に多くの人でにぎわい、行列の後について歩く観光客らの姿も目立った。」
(上2枚の画像は数年前の新聞から)
茅野市にある神長官守矢資料館clickに往時の祭りの模様のレプリカが展示されています。
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諏訪大社上社での例大祭、**御頭祭(酉の祭り)**が毎年4月15日に行われています。この祭りは農作物の豊穣を祈るもので、古式にのっとり神前に鹿の頭部(剥製)などをささげる儀式です1。
以下は、御頭祭についての詳細です。
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祭りの経緯:
- 御頭祭は、諏訪大社上社で行われる神事で、正式名称は「大御立座神事」です。
- 古くは、鎌倉時代に信濃の地頭たちが神事に奉仕し、神使御頭として鹿の頭を巡回させていました。
- 現在は、神輿に御霊代を乗せて前宮の十間廊に運び、五穀豊穣を祈ります2。
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祭りの行程:
- 御霊代を乗せた神輿は黄色の装束に身を包んだ茅野市泉野の中道と槻木両区の供奉員らに担がれ、本宮から前宮に運ばれます。
- 十間廊では、鹿の頭をはじめ鳥獣魚類などが供えられ、代表者らが玉串をささげます。
- 御頭祭に引き続き、前宮の内御玉殿や若御子社でも神事が行われます。
- 厳かな神事を静かに見守る参列者や見物人が境内に集まります1。
この祭りは、豊かな収穫と神々の加護を願う重要な行事であり、地域の伝統と信仰を象徴しています。
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[70頭の鹿の首!?】長野で最も狩猟の歴史と結びついた守矢史料館の秘密に迫る!
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諏訪大社の鹿食免(かじきめん)
久しぶりに、上諏訪に立ち寄った。一杯やりながら、鹿肉の串焼きを食べたが、店主がいろいろな話を聞かせてくれた。
日本中、鹿や猪が増えてしまって、困っているようだが、食ってしまうのが解決策となるという。冷凍ではないから、美味いでしょう、という。以前にも何度か食べたことがあるが、ほとんどが冷凍であったと記憶している。
諏訪では、諏訪大社に伝わる食文化を現代に生かすため、鹿食免(かじきめん)振興会を設立し、諏訪産鹿肉料理の普及に取り組んでいる。諏訪湖温泉旅館組合の協力で、ホテルでは一般向けの食事会「鹿食免昼会席」を実施したり、鹿肉料理の可能性を探り、飲食店や宿泊施設向けの調理技術講習や試食会を行って、新しい肉材としてアピールしようとしているそうである。
諏訪大社の分社は一万有余社を数え、お諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、全国に分布する。筆者が諏訪に住んでいたころ、どなたか言ったか覚えていないが、日本中に多くの分社がある理由を、「仏教の伝来に伴って、肉食をタブーとする考えが出てきて、肉食を禁止するおふれが出された。しかし、シカ・イノシシなどの獣肉を堂々と食べることができた。それには、諏訪大社が狩猟の神であり、神に捧げる狩猟は許され、お下がりを食することができた。肉を口にしてしまえば、そのおいしさに、たびたび食べたくなる。そこで各地の領主や武将はこぞって、自分の国に分社してもらい、肉を食べることができた。」と説明してくれた。肉食に偏った見方であるが面白い。確かに、日本書記の天武4年次(675年)に、「・・・牛・馬・犬・猿・鶏の宍(しし、肉)を食らうこと莫(まな、禁止を表す、食ってはいけない)。・・・若し犯すこと有らば罪せむ」と記されている。
米国が、牛肉を日本に大量輸出しようとした時の話とまるで同じである。「牛肉を一度食べさせてしまえば、そのうまさに病みつきになる。」といったとか。
諏訪大社の分社に対する説明は、少し違う。
「御射山祭という神事がある。鎌倉幕府は全国の武将をこの神事に参列せしめ、八島高原や霧ケ峯一帯で武芸を競わせたりして祭事を賑わしめ、参加した武将は諏訪大神の御分霊を拝戴して任地に赴き、御分社を奉齋した。」
祭神は武家の守護神と尊ばれた。それ以外にも、雨や風を司る竜神の信仰や、水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰を有する。また水の信仰が海の守り神となるなど幅広い信仰と結びついていることが、日本各地に広がった理由としている。
鹿食神事
本来の祭神は出雲系の建御名方ではなく、ミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。なお、上記の神々は現在では神性が習合・混同されているが、神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。
鹿食神事は、神楽殿において宮司、神職たちによって執り行われる。周囲の灯火が消され、殿内のわずかな明かりの中で祭事が進行する。神饌として、かつては鹿の頭が供えられていたが、現在では茄子を鹿の頭に見立てて供えられる。国家安泰、五穀豊穣を祈る神事である。
鹿食免とは
仏教の教えが肉食を禁じていた時代(江戸時代)に、諏訪大社が肉食の免罪符として「鹿食免」というお札を発行していた。このお札を持っていると、シカ・イノシシなどを獲って食べても罰せられなかった。免罪符のようなものである。
信濃毎日新聞の記事によると、現代版のお札は、「鹿食免」の文字を記し、諏訪大社の焼き印が押されている。また、神職からは、鹿食免の札などを収めた「神棚」を調理場に祭ってほしいとの提案もあったそうだ。
追記(2010.3.1)
近くまで来たので、諏訪大社に寄ってみた。上記の記事通りに、「鹿食免」のお札を売っていた。お札には次の勘文(諏訪のはらえ)が記されている。
諏訪の勘文
業儘(人遍なし)有情(ごうじんのうじょう)
雖放不生(はなつといえどもいきず)
故宿人身(ゆえにじんしんにやどりて)
同証仏果(おなじくぶっかをしょうせよ)
諏訪の勘文の意味
前世の因縁で宿業の尽きた生物は
放ってやっても長くは生きられない定めにある
従って、人間の身に入って死んでこそ
人と同化して成仏することができる。
引用元
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