阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

西洋美術館の前庭など桜の上野公園風景

2024年04月12日 | 東京あちこち

240410西洋美術館など桜の上野公園風景

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【日本人のルーツ。DNA・言語からわかる結果|茂木誠 || 人類はどのように日本列島にやってきたのか?|ガリレオX第10回

2024年04月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

日本人のルーツ。DNA・言語からわかる結果|茂木誠

人類はどのように日本列島にやってきたのか?|ガリレオX第10回

 

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04月11日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年04月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年03月12日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年04月12日 | 東日本大震災ブログ
2012年03月12日(月)
 
家族7人を震災で失くした女子高校生
「妹たちの分まで故郷で生きたい」 家族7人失った18歳
2012年3月12日 東京新聞朝刊

涙ながらにお別れの言葉を読み上げる三浦美咲さん=11日午後3時35分、宮城県気仙沼市の総合体育館で


 宮城県気仙沼市の三浦美咲さん(18)は十一日、同じ悲しみを持つ人たちの前で、津波で先立った家族七人の分まで前を向いて生きると誓った。市の追悼式の壇上。一人きりになっても「家族と会える日が来るまで、精いっぱい生きていく」と。震える声で、かすれぎみだった。

 四世代、八人で暮らしていた。ひいおばあちゃんに祖父母、両親に妹二人。

 一年前の三月十一日、「行ってきます」と市内の店に買い物へ。そこで、地震。携帯で「私は大丈夫」と打ち込み、母の美江子さん=当時(41)=にメールを送信。「どこにいたの?」と返信があったのが最後となった。

 階上(はしかみ)地区の家は、目の前が海。近所の人から「全員、だめだった」と伝え聞いた。

 市内の父方のおばの家に身を寄せて四カ月、遺体安置所に通った。中学三年の妹の遺体も自分で確認した。昨夏、七人一緒の葬儀を出した。畑の上に残っていた自宅の二階部分から、遺影に使う写真を探し出した。

 家族がいて、友達がいて、明日が来る。当たり前であることが、いかに幸せかを知った。ささいなことが気になり「素直になれない女子高生だった」。自分を悔いる。

 母は料理上手だった。でも、恥ずかしかったから「おいしい」と言わなかった。

 父の芳弘さん=当時(43)=は「イチゴ農家を継いでほしい」と思っていたらしい。母から聞いていた。けれど進路を真剣に話し合っていなかった。

 四月から、仙台市内の大学に通う。独り暮らしをする。就職先は、気仙沼の小学校の栄養教諭と決めている。「妹たちの分まで故郷で生きたいから」

 追悼式で「お母さんたちに、ただいまを言うのはまだ先。見守っていてね」と素直になれた。消えてしまいたいと思った震災直後から、少し強くなった。

 震災後、多くの人から「強いね」「偉いね」と、言葉をもらった。でもこう七人に届けたい。「本当にすごいのは、そんな私に育てた家族です」 (鈴木龍司、沢田千秋)
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新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
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同じIAEAの天野局長発言でも編集次第で記事がここまで違う
 
1、IAEA事務局長 原発「より安全になった」
産経新聞 3月11日(日)7時55分配信

 国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は9日、福島第1原発事故後、関係各国が対処法を学んで原発の安全強化に取り組んでおり、世界の原子力発電は「より安全になった」との声明を発表した。

 IAEAによると、現在、約30カ国・地域で436基(検査中を含む)の原子炉が稼働し、中国、ロシアなど15カ国・地域で63基の建設が進んでいる。IAEAの予測では、世界で稼働する原発は2030年までに10年末より約90基増え、528基になるという。

 また、米原子力規制委員会(NRC)は同日、米国内の原発に対し、福島第1原発事故を踏まえて安全対策の強化を命じた。

 福島第1原発と同じ原子炉を持つ米原発に対し、ベント(排気)装置や電源喪失に対応できる装置の強化を義務づけている。(ベルリン 宮下日出男/ワシントン 柿内公輔)

2、IAEA事務局長「情報伝達で改善を」
日本テレビ系(NNN) 3月11日(日)8時58分配信

 福島第一原発事故から1年にあたり、IAEA(=国際原子力機関)の天野事務局長が10日、NNNの単独インタビューに応じ、原子力の安全性は高まったとの認識を示すとともに、情報伝達には改善が必要だと強調した。

 天野氏は、福島第一原発事故を振り返り、天災だけでなく、津波を過小評価していたことなど、人災の側面も数多くあったと指摘した。一方で、「問題があったということがわかったのはポジティブないい点で、問題がわかれば、それに対する対応策ができるわけだから、そういう意味で福島第一(原発)の事故前に比べて原子力は安全になっている」と述べ、事故の教訓を生かして原子力の安全性は高まったとの認識を示した。

 また、「(福島第一原発事故では)情報の流れが十分でなかったと、最初から感じていた。日頃からもっと準備して、国内的、国際的にも、事故の際に情報を流す備え、訓練をしておく必要がある」と述べて、情報伝達の重要性を挙げ、今後、改善に向けて取り組んでいく考えを明らかにした。

 天野氏は、IAEAとして引き続き日本への支援を行い、最終的には原子炉の解体に至るまで、長期的に協力していくつもりだとの考えを示した。

3、人為ミスで原発事故拡大 福島1年、IAEA天野氏
(2012/03/10 21:47) 神戸新聞

【ウィーン共同】国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は10日、東京電力福島第1原発事故から1年を前に共同通信と単独会見し、事故拡大の背景に経済産業省原子力安全・保安院の東京電力に対する監督不足など「数々の人為的ミスがあった」と強調した。

 また、福島事故で世界の人々が原子力発電に「不安を感じたのは間違いない」と述べ、日本での新たな原発建設の可能性についても「国内世論が受け入れるような雰囲気にはないと感じている」と話した。

 IAEAは原子力の平和利用促進を設立目的としており、事務局長として踏み込んだ発言。
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知りたくない現実の一つ。日本人が知らない最悪シナリオをアメリカはすぐに入手していた
 
米、日本の原発事故対処能力疑う 福島4号機爆発で
2012年3月10日 19時12分 東京新聞

昨年3月15日に東京電力福島第1原発4号機水素爆発で作業員の大半が退避した時点で、オバマ米政権が日本の対処能力を疑い、対日支援リスト提示や米軍特殊専門部隊投入など本格支援に踏み切ったことが10日、分かった。

 米側が、東京に放射性物質が飛散する最悪事態を独自に予測、日本が3月25日に作成した最悪シナリオを即座に入手していたことも判明した。複数の米政府高官が共同通信に語った。

 日本政府は最悪シナリオを国民に知らせず封印し、今年1月まで開示しなかった。(共同)

☆経産省、外務省、文科省のいずれかは知らないが、自分の雇用主はアメリカだと思っているトップ官僚がいる。日本国民の生命と財産を守るのが日本のお役人様の本務だと思いたいが。
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全世界へ福島宣言を発信
 
「ふくしま宣言」全世界へ 佐藤知事、復興誓い発信
(2012年3月12日 福島民友ニュース)

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から1年を迎えた11日、佐藤雄平知事は、本県復興の誓いとして「再生可能エネルギーを推進し、原子力に頼らずに持続的に発展する社会を目指す」とした「ふくしま宣言」を全世界に向けて発信した。

 県が同日福島市で開いた「3・11ふくしま復興の誓い2012」で表明した。宣言では、地震や津波、原発事故と、かつて世界が経験したことがない複合災害の教訓として(1)自然の脅威への備え(2)科学技術の力への過大な評価(3)原子力を扱うことの難しさ-を挙げ、「二度とこのようなことが起きないよう、県内の原発を全て廃炉とするよう求めながら、再生可能エネルギーを推進する」との考えをあらためて提示した。

 その上で「私たちは必ず、美しいふるさとふくしまを取り戻します。活力と笑顔あふれるふくしまを築いていきます。このふくしま復興の姿を世界へ、未来へと伝えます」と宣言した。

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東京の人間の鎖
 
東京 脱原発訴え“人間の鎖”
3月11日 19時24分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故から1年になるのに合わせて、東京都内では原発の廃止などを訴えるデモ行進が行われ、参加した人が国会議事堂を取り囲む「人間の鎖」をつくって脱原発を呼びかけました。

東京・千代田区の日比谷公園には主催者側の発表で1万人余り、警察によりますと、およそ6800人が集まり、地震が起きた午後2時46分に合わせて参加者全員で黙とうをささげました。

このあと参加者たちは、「原発はいらない」とか「再稼動はやめろ」と訴えながら、東京都内をデモ行進しました。
そして、国会議事堂を取り囲む「人間の鎖」をつくって、「脱原発」への誓いを新たにしていました。

参加した東京都内に住む71歳の男性は「福島県民に原発を押し付けて何不自由なく電気を使ってきた者として、事故のことを考えると原発はなくさなければならないし、今こそエネルギーのことを全国民が真剣に考えるべきです」と話していました。

子ども連れで参加した39歳の母親は「子どもたちの未来のために、放射能汚染で住めなくなるような事故を起こす原発を残すことは、親としてもあり得ない」と話していました。

また群馬県から参加した22歳の大学生は「脱原発にすれば生活に不都合も生じると思うが、30年先を考えると、今の世代のうちに原発をやめて、新しいエネルギーに切り替える必要があると思います」と話していました。
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福島原発の爆発が原因で救出出来なかった悔しさ
 
遺族会発足 東電の責任追及へ
3月12日 4時4分 NHKニュース

 東日本大震災で150人が亡くなった福島県浪江町の遺族が、原発事故で救助活動が中断されたため家族を救うことができなかったとして、東京電力に責任を求めるための遺族会を発足させました。


原発事故で捜索中断“救えたはずの命が”

浪江町は、震災で150人が亡くなり、いまも34人の行方が分からないうえ、原発事故で町全域が避難区域に指定され、すべての住民が避難を余儀なくされています。

震災発生の当初は消防や警察による救助活動が行われたものの、原発事故の影響で翌日からは住民の避難誘導で救助活動が中断され、本格的な捜索が行われたのは1か月以上たってからでした。

こうしたことから遺族たちは、救助活動が中断されたために家族を救うことができなかったうえ、どのように亡くなったのかも分からないとして、11日、東京電力に責任を求めるための遺族会を発足させました。

遺族会の会長で、妻を亡くした叶谷守久さん(72)は、「救助活動が続けられれば生き延びていた人が多くいた可能性がある。原発事故が無ければもっと多くの命が救えたのではないか」と訴えました。

11日は、発足の前に東京電力の鼓紀男副社長が遺族らと面会し、「原発事故によって捜索に支障が出たことについて、深くお詫び申し上げます」と謝罪したということです。

遺族会は、今後、東京電力に謝罪とともに賠償を求めることにしています。

死因究明の動きも

福島県内で亡くなった1605人のうち、大半は津波による「溺死」と判断されています。

しかし、遺体を調べた複数の医師はNHKの取材に対し、「遺体に目立った不審な点がなければ、解剖など詳しい死因の究明は行わず、遺体が発見された場所や着ていた服の状態などから津波による『溺死』と判断した」と説明しています。

そのうえで、「溺死」と判断された人の中にも、津波の後、しばらくは生存していた人が含まれ、別の死因で亡くなった可能性があるとしています。

こうした問題を受けて遺体の死因を調べる医師などでつくる日本法医学会は被災地で遺体を調べた医師らを対象に、災害現場での体制面での課題や「溺死」と判断した遺体の中に、解剖などしてさらに詳しい死因を調べる必要があったケースがなかったかなどアンケートや聞き取りを行い、被災地での死因究明の課題について調査に乗り出しています。

☆この一年、「福島原発事故は広島、長崎、チエルノイブリとは違う。それが証拠に死者は一名も出ていないではないか」と言う発言を多く見てきた。

 こういう人の一人に池田信夫さんがいる。池田さん以外にも数は多い。

震災と原発事故被害当事者に対する想像力の欠如と、福島原発事故は大したことではないとしたい官僚国家日本への協力者たち。しかしこの人たちは自分の名前を公にしているだけまだましだ。

いまだに記事に署名しないまま、操作情報を垂れ流す、本社東京・記者クラブ加入談合業界に属する大手メディアは、経営幹部や記者と称する連中が顔を見せないだけタチが悪い。

浪江の遺族らが東京電力に精神的慰謝料請求へ
(2012年3月12日 福島民友ニュース)

 東日本大震災で犠牲となった浪江町民の遺族は11日、「東日本大震災浪江町遺族会」(叶谷守久会長)を設立。二本松市で開かれた追悼式前に総会を開き、東京電力に精神的慰謝料を請求することを決めた。

 同会によると、原発事故に伴う避難指示で震災翌日から約1カ月にわたり同町沿岸部の捜索活動が中断。適切な捜索や生存者の救助ができなかった上、遺体が激しく損傷し遺体の尊厳を失う結果につながった。そのため東電に対し謝罪と慰謝料を求める方針という。
2012年3月12日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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福島の原発反対集会。日本各地と世界各地でも。
 
東日本大震災:福島では1万6000人集結…原発反対集会

毎日新聞 2012年3月11日 22時35分

東日本大震災発生から1年、デモで反原発などを訴える人たち=福島県郡山市で2012年3月11日午後3時56分、尾籠章裕撮影 国内外で反・脱原発集会が開かれた11日。「『原発いらない』の声は痛恨の思いを込めた福島県民の叫び。この声を全国の心ある人に届けるのは、県民の使命であり義務だ」。

東京電力福島第1原発事故で、深刻な被害に苦しむ福島県で開かれた集会では、呼び掛け人代表の清水修二・福島大副学長がこう訴えた。未曽有の大災害が与えたショックは今も生々しく、各地で「原発反対」の声が上がった。(参加者数はいずれも主催者発表)

 福島県郡山市の開成山野球場で開かれた「原発いらない! 3・11福島県民大集会」には、全国から約1万6000人が集結した。10代を代表し、県立あさか開成高2年、鈴木美穂さん(17)は「原発がなければ、被害に遭った人を助けに行けました。人の命も守れないのに、電力とか経済とかいっている場合ではないはずです」と訴えた。

 鈴木さんは小3からサッカーを始め、福島第1原発から約10キロにある県立富岡高に推薦入学。原発事故後、避難を繰り返し、転校後も女子サッカー部に入ったが、昨年末に退部を申し出た。「富岡は部員が減っているのに、転校してサッカーをすることは仲間を裏切る行為」と思えたからだ。やり切れない思いを、鈴木さんはこの日の集会で吐き出した。「(昨年の)3月11日の朝、晴れていて、いつものような一日が始まろうとしていました。その日常に戻ることはできません」

 東京、大阪、札幌、福岡でも大規模な集会やデモ行進があった。

 東京都千代田区の日比谷公園周辺では、原発に反対する「3・11東京大行進」に約1万人が集まった。親子連れらが「子供を守ろう」などと書いたプラカードを掲げ、東京電力本店や経済産業省の前を行進。墨田区の石井啓子さん(61)は「原発推進の流れを作ってしまったのは私たち団塊の世代。若い人たちのために再稼働はおかしいと言い続けたい」。大阪市では約7000人が参加。集会では福島県飯舘(いいたて)村から県内の仮設住宅に避難中の酪農家が講演し「事故を風化させてはならない」と訴えた。札幌市や福岡市でもデモが行われた。

 全国最多の14基の原発が立地する福井県の敦賀市では、集会に約1200人が参加し、元原発労働者ら約15人が「原発のない未来に向かって進めていこう」などと訴えた。被爆地・広島市では、市民ら約2000人が「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ」と声を上げて歩いた。

 脱原発を求める声は海外でも響いた。

 昨年12月に原発建設候補地に選定された韓国東部の江原道(カンウォンド)三陟(サムチョク)市では、市民ら約1000人が建設反対集会を開いた。主催した「誘致白紙化闘争委員会」の李光雨(イ・グァンウ)さんは「フクシマ事故があってもまだ原発は安全だと言う政府には、憤りの気持ちでいっぱいだ」と話した。

台北市では若い世代を中心に約3000人が「人類は原発を制御できない」と声を上げた。フランスでも、約230キロ間で脱原発を訴える「人間の鎖」運動が行われ、仏国内から100団体、数千人が参加した。
2012年3月12日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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