阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

神田小川町交差点近くのほぼ50年間通っている中華の店「四川一貫」のタンタンメン(からしそば)はやはりおいしい

2024年04月26日 | 食べる飲む

神田小川町交差点近くの四川一貫でタンタンメン

 現在の店の住所は神田美土代町になった中華「四川一貫」は先代の店主が台湾で修行して始めた店だ。

自分が昭和50年代の初めに店を知った時は、神田錦町の今は北千住に移った「東京電機大学」のすぐそばにあった。

 昭和62年に東京から大阪淀屋橋の支社へ転勤になった時は 幹事に頼んで移転前の錦町の店で送別会をしてもらったものだ。

 店が美土代町に移転してもうかなりになるが 移転しても神戸在住時代から上京するたびによく寄っていた店だ。

   

   

今回はひさしぶりに行ったが 昭和50年代の最初の頃と全く同じ風味のますますの旨さの向上で嬉しかった。

それにしてもほぼ50年間 同じ店の同じ「担々麵」を食べているので このブログに掲載している「食べる飲む」カテゴリーでも最多登場回数の店になっているだろう。

 「からしそば」下さいと言ったら ああ錦町当時からのお客さんですね、と言われたのも嬉しかった。

    この店では 残念ながら5,6年前に亡くなった先代とも よくお喋りしたものだ。

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2006年4月16日 初めて本ブログに登場した「四川一貫」のエントリー;

神田司町に「みますや」があります。日曜日はやっていませんが店の場所を教えるために案内して久しぶりに行ってみました。

今は本や雑誌で老舗の居酒屋と紹介されて有名店になったようです。

24,5年前には昼の定食と夜の一杯とで一日2回行ったりしていました。

最後に行ったのはもう4年ほど前(クリック)になります。

この店から50mほどの所に東京電機大学のすぐ近くにあった中華料理店の「四川一貫」が移転してきました。

この中華の店はやはりその頃、週に一回は通って、「坦々麺」を食べていました。親爺さんが台湾で2年ほど住込み修行したとかで、

この「坦々麺」のうまさを日本の他の店で超える所はまだ知りません。大阪へ転勤の時に幹事から希望を聞かれたので、この店で貸切で送別会をしてもらいました。

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2007年6月22日のエントリーから;

4月の中ごろ神田の「四川一貫」でいつもの辛しそば(坦々麺)を食べ終わったころ、ご主人が調理場から出て来てくれて「今度は久しぶりですね。

このあいだ四国のどこだったかからお知り合いが来られてましたよ」と言いました。「新居浜の松岡さんですか」と聞くと

「そうですそうです、新居浜だ、新居浜と言われていた。確かお名前は松岡さんと言われていました。

孫の宿題で大人にインタビューというのがあって、孫に捕まってインタビューを受けてくださったのでお名前を知ったのです」と言いました。

つい一ヶ月ほど前に新居浜で松岡さんとお会いしていたので少し驚きました。


 ご主人とはもう27,8年の付き合いです。ということはこの店の坦々麺をそれだけの間、飽きずに食べていることになります。

しばらく四方山話をしてからJRお茶の水駅まで歩きました。小川町の交差点から駿河台の坂を登ると、

駅の手前にギリシャ正教の教会ニコライ堂があります。ひさしぶりだったので携帯のカメラで写してみました。

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2013年8月14日のエントリーから;


夜の「四川一貫」は何年かぶりでした。頼んだ料理は「陳麻婆豆腐」

「青菜炒め」

「紋甲イカのうま煮」と、この夜お付き合い頂いた森哲雄さんお勧めの「魚香茄子」。

酒は陳年紹興酒をボトルで。初めての「魚香茄子」は病みつきになるうまさでした。

親爺さんは厨房を後継者に任せたのか、店の小椅子に座っていて、途中で席の我々二人の話に参加してくれました

東京から大阪へ転勤になるときに錦町時代の「四川一貫」で送別会をしてもらいましたが、それ以前から昼に通って

よく食べていた「担担麺」を〆に頼みました。

一人前を小鉢に分けて二人に出してくれました。この店独特の出汁の坦々麺は30年食べていますが、それでも飽きることがありません。

 

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04月25日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年04月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年03月26日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年04月26日 | 東日本大震災ブログ
2012年03月26日(月)
英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版
 
 
スタートした画面下のバーのccをクリックすると日本語の字幕がでます。
3月5日に掲載したこの番組の日本語字幕バージョンです。
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今日の気になるネット情報 / 東日本大震災・原発 |
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関西の知事さんたちが揃って国に声を上げ始めた。

【原発再稼働】大飯原発、ストレステストでは不十分 関西広域連合
2012.3.25 20:19 SankeiBiz

 関西広域連合は25日、大阪市で知事会合を開き、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町、定期検査で停止中)の再稼働について、安全評価(ストレステスト)結果だけで判断しないよう、近く政府に申し入れることで合意した。

 東京電力福島第1原発事故の知見を反映した安全基準を示し、適切に評価することや、広域連合への十分な説明も求める。

 また東日本大震災で発生したがれきの広域処理に関し、構成2府5県で採用する統一基準で合意。「処理に協力する」との声明も出した。

 申し入れは大飯原発に近い滋賀県と京都府が提案。法的拘束力はないが、関西の総意として突き付け、慎重判断を迫る狙いがある。

 会合で京都府の山田啓二知事は「かなり強いメッセージ。国は重大に捉えるべきだ」、滋賀県の嘉田由紀子知事も「(同県も)原発事故の被害を受ける当事者に認めてほしい」と強調した。

☆生活者の一人として嬉しいニュースだ。
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新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
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房総沖 長さ160と300キロの活断層
 
房総沖に未知の長大な2活断層 長さ
2012/03/26 02:00 【共同通信】160と300キロ


 房総半島南端から南東に百数十キロ以上離れた太平洋の海底に、これまで存在が知られていなかった長大な二つの活断層が存在するとの調査結果を、広島大や名古屋大、海洋研究開発機構などの研究グループが25日までにまとめた。

 長さは160キロと300キロ以上で、一度にそれぞれの断層全体が動けば、いずれもマグニチュード(M)8~9の地震を起こす可能性があるという。グループの渡辺満久・東洋大教授(変動地形学)は「ノーマークで未調査の活断層。強い揺れや津波が関東南部や東海地方に及ぶ可能性があり、早急に詳しく調査するべきだ」としている。
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福島原発2号機格納容器を 内視鏡で再調査
 
3月26日 4時19分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の2号機で格納容器の中に内視鏡を入れて汚染水の状況や放射線量などを調べる調査が、26日から2日間にわたって行われます。ことし1月の前回の調査では、汚染水が確認できなかったことから東京電力は、より長い内視鏡を使って確実に確認したいとしています。

この調査は、福島第一原発の廃炉作業を進めるうえで重要な原子炉の外側にある格納容器の損傷状況などを確認するのが目的で行われ、ことし1月に続いて2回目です。前回の調査では、格納容器の内部の壁や配管の一部が撮影できましたが、内視鏡の長さが足りず、格納容器の底にたまっている汚染水は確認できませんでした。

このため、今回は前回より長い内視鏡を使い、格納容器の貫通部から内部に入れて、汚染水の水面と水温を確実に測定することを目指すとしています。また、今回は線量計も入れて、壁沿いや壁から1メートルほど離れた場所の放射線量を初めて計測するということです。
東京電力は「水面と水温を調べることで、格納容器の底に溶け落ちた燃料が確実に冷却されていることを確認したい。放射線量を把握すれば、廃炉に向けて必要な機器の開発にもつながると思う」と話しています。
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南相馬市民2万6000人はまだ避難している!
 
冷温停止したら事故は収束なんですか?
南相馬市民2万6000人はまだ避難している!
――桜井勝延・南相馬市長インタビュー

一部引用・・

2万6000人帰宅できていない
どこが事故収束なのか
 
さくらい・かつのぶ/1956年生まれ。78年岩手大学農学部卒。2003年原町市議会議員を1期、06年南相馬市議会議員を2期務めた後、10年より南相馬市長。――震災から1年が経った。この1年をどのように総括しているか。

 国が責任をまったく果たしていない。震災と原発事故のドタバタでまったく情報が入らなかった。SPEEDI(スピーディ:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報はもちろん、放射能汚染がどのように広がって行ったかという情報がまったく入らなかった。警戒区域が設定され、物流も止まった。それによって、南相馬市は情報においても物流においても、完全に孤立し、過疎地となってしまった。

 市民は自分の命や子ども達を守るために、山を越えて飯舘村の方や伊達市のほうへ避難して行った。しかし、情報がないために、わざわざ放射線量が高い方へ逃げてしまった。南相馬市街にいた方が被爆しなくて済んだ。これは国の責任だ。国のメッセージ力がまったくなかった。

…中略…

市立病院の看護士約70人
行政職約50人が退職

――南相馬市では復興に向けて行政職員の大量退職がネックになっていると聞く。原因は何であると考えているか。また対策はどのように考えているのか。

 今まで働いてきた人たちには、疲れ、不安、家族離散などさまざまな事情がある。市立病院の看護士は約70人早期退職した。皆、若い看護士だ。ここで働くことに不安を覚えている人が多い。また役所などで働いてくれていた約50人も早期退職していった。南相馬市がどのような状況に置かれていて、復興を支える人員がどれだけ必要なのか、そういった現場の状況を国はもっと知ってほしいし、対策を打ってほしい。南相馬市が「職員が足りないから応援をお願いします」と他の自治体に要請しているんですよ。これは国が音頭をとってやっていくべきことでしょう。

 病院の職員は集まりませんよ。看護士の方は資格を持っていれば、全国の病院で働ける。わざわざ南相馬市で働いてくれる人は少ないです。行政職員は採用時期を前倒ししてなんとか人員を確保した。

全文はこちら
 
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