阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

支え合う大切さ訴え 小平奈緒さん母校で講演    長野日報

2022年11月17日 | 諏訪便り

2022年11月11日 6時00分    母校の児童を前に笑顔で語る小平奈緒さん=茅野市豊平小学校

2018年平昌冬季五輪スピードスケート女子500メートル金メダリストで、先月現役を引退した茅野市出身の小平奈緒さん(36)=相沢病院=が10日、母校の豊平小学校で講演した。

引退後の講演は、県内では初。「人とつながる」と題し、多くの出会いやつながりに支えられた競技人生などを振り返り、支え合うことの大切さを訴えた。

3歳でスケートを始めたという小平さん。引っ込み思案で恥ずかしがり屋だったが、中学1年で初めて全国大会に出場する際、父親の「友達をつくってこいよ」との言葉を

きっかけにほかの選手に声を掛け、手紙で交流を深めることで 人に興味を持つようになったと話した。

海外遠征などで友達の輪を世界へ広げると言葉の壁があったが、「相手の国の言葉を覚え、会話することで寄り添うことの大切さを学んだ」。

平昌五輪ではライバルで親友の李相花さん=韓国=が、小平さんのレース前の集中を邪魔しないよう気遣っていたことを後から知り「人の気持ちを想像することを学んだ」と振り返った。

成績が伸び悩み落ち込んだ時には母親の「必ず誰かが見ていてくれる」との言葉に背中を押されたとし、「生きていく中で一人で乗り越えなければならない時が来るが、

見てくれている人がいることを思い出してほしい。そして、見守ることのできる人になってほしい」と願った。

先月の現役最終レースを6000余人が見守ったことにも触れ「ぬくもりや感動がつながった瞬間だった」と感謝した。

講演は同校の人権参観日に併せたPTA家庭教育学級で行われ、全校児童211人が体育館で聴講。保護者は教室でライブ中継を見詰めた。

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隣村の小平奈緒さん!   2010年03月01日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載


『小平奈緒さんお見事! そして下駄スケートの話』


こんどのバンクーバー冬季オリンピック報道は、メディアが囃す笛と太鼓の音がやかましすぎるのか、だんだん日本選手の実力や実態がわかってくると、

世界レベルとの落差が大きすぎて、日本の新聞やテレビも、彼らが日ごろ目を向けているのは、この列島の内部だけのことで、日本のメディアが、

全くの世間知らず(世界知らず)なんだということがミエミエだ。

 そんな中で女子スピードスケートに小平奈緒さんという人がいて1000mと1500mで5位に入った。そして終了間際の日程の「スピードスケート女子団体追い抜き」で銀メダルを取った。

事前にメディアが、「スピードスケート女子団体追い抜き」で日本チームがもしかしたら金メダルを取る可能性があると、あまり報道していなかったので嬉しかったのと同時にびっくりした。

 「小平(こだいら)」という苗字は長野県に多く、諏訪や茅野ではポピュラーな苗字なので、もしかしたら長野県出身の人なのかなと思っていた。

ある日のテレビで、茅野市の豊平小学校の児童たちが先輩の小平選手の応援をしているニュース画面があった。

ウン?豊平小学校?聞いたことがあるなあと思って、グーグルのMAPで検索すると、やはり阿智胡地亭の母親が通った玉川小学校の隣の小学校が豊平小学校だった。

小平奈緒さんは、母や母方のイトコたちが卒業した玉川小学校の隣の小学校を卒業している。

母が生まれた当時の諏訪郡玉川村は今は茅野市玉川だが、豊平地区も当時は諏訪郡豊平村で、現在は茅野市豊平になっていて、往時の玉川村の隣村にあたる。

 そのことに気がついたとき、母が話していた下駄スケートの話を思い出した。

冬になると、校庭全面に夜先生方が水を張って、朝になるとそれが全面結氷し、昼間は休み時間にみんなでスケートをしたと、そう楽しそうに話していた。

「ただね、昭和初年のあの時代に村で誰もスケート靴を買えるような家はないから、みんな下駄の下に村の鍛冶屋さんが造ったスケートの刃を、紐でしばりつけて滑ったんだよ」、

「冬は誰でも子供は当たり前のようにスケートをしていたよ」と言っていた。

聞いたときその光景を想像して面白かった。足袋と下駄を履いて着物姿で、校庭に出来たスケートリンクの上をみんなが滑っていたんだそうだ。

今は知らないが、イトコ達も同じように毎冬楽しんだと聞いたような気もする。もしかすると今でも冬は校庭がリンクに変わり、

小学生の小平奈緒ちゃんも(彼女の時代は)スケート靴で滑っていたのかもしれない。

 後日親しい従兄からこんなコメントも届きました。☞「私が生まれ育った玉川村と奈緒ちゃんの在所の豊平村は古代より同じ御柱を曳く氏子仲間です」


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