阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

大阪、梅田―老松町―天満―北浜―淀屋橋 よく歩きました!   2015年の9月に歩いた大阪 2015年9月1日掲載リピート

2019年09月11日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

たなかしん絵本原画展を見てから阪急百貨店の9階から上にあがり レストラン街をのぞくと、11時からの開店を待って、沢山の身なりのいい人たちが椅子に座っている店が多いのに驚いた。阪急の京都線、宝塚線、神戸線の沿線にはこういう階層が住んでいるんだとあらためて思った。蕎麦の「神田」の店もあったが、このレストラン街の出店のレベルは知らないので、かなり遠いが老松通りの「なにわ 翁」を目指すことにして歩き出した。↑梅田新道の高架橋から。アメリカ領事館の前はいつものように屈強な機動隊員が3人警護のために立っていた。それを見ながら老松通りへ。

老松通りは昔から画廊や美術商の店が多い。

「なにわ 翁」についたら、うっかりしていたが日・月は休みだった。通りには蕎麦屋が3、4軒あるが、おそらく関西風味の蕎麦だろうから諦めて、昼食の第2候補、北浜の『福仙楼』まで歩くことにした。天満には大阪高裁が有るので、弁護士事務所が多く、事務所勤務の人目当ての古くからの割烹なども多い。

天満を通り中ノ島へ渡る。

橋からは図書館と大阪市役所が見えた。





北浜の『福仙楼』は1990年頃から1997年まで週に一度は昼飯に行った店だ。

今回も店はサラ―リマンが次々来店、私は定番の「カレーやきそば」をオーダー。やはりおいしい。

麺をほぐすと、

これでも普通盛。若い人はこれの1.5倍の大盛りを頼む人も多い。値段はもうずいぶん長く510円のままなのも嬉しい。
ビル街の中の店のランチ競争は熾烈を極めるので、どこも味と値段で客にとっていい競争をずっとしているようだ。
 懐かしいお母さんはもう店には出ていない。前回挨拶しておいて良かった。子供さんたちが継いで今も繁昌していて嬉しい。
小雨も止まないし、さすがに歩き疲れたので、店を出てから淀屋橋まで歩き、地下鉄で梅田に戻った。



この日は久しぶりに一万歩を歩いていた。それにしても旨い昼食を食べるためにここまで動くとは、「生きるために食べる」のではなく「食べるために生きている」自分の面目躍如たるものがあると苦笑した。

「福仙楼」のカレーヤキソバ  2006年4月6日記
映画を見た後、地下鉄を淀屋橋で途中下車して北浜3丁目の「福仙楼」に行きました。もう1時を過ぎていたので、客は4人ほどでした。当然「カレーヤキソバ」を頼みました。ここ一年ほど来てなかったので出来上がりが待ち遠しい。味もボリュームも全く変わっていませんでした。後から来た客はカレーヤキソバの大盛りが二人で、次に来た若いのは、カレーヤキソバに焼き飯も頼んでいました。この店の「普通」は他所の「大盛り分」はあるので若い人は違うと思いました。店は店舗が自己所有で従業員は全員家族?だから出来るのでしょうが、もう10何年値段は500円で変えずに来ています。旨くて安い。しかもこの店だけにしかないヤキソバ。よく通っていた頃は、近くの日本生命や旧日商岩井の社員でいつも昼時は満員でした。おばさんもお姉さんも全く変わりなくたんたんと同じように注文をとり給仕していました。この店に来るといつも、なんか時間が止まっているような気がして嬉しい。誰もこの店の人は歳をとっていかない。店を出て隣の「適塾」を撮ってから御堂筋を渡って、四ツ橋筋まで歩き、そのまま梅田まで歩いて帰りは阪神電車に乗りました。適塾は幕末に緒方洪庵が開いた蘭学の塾ですが日本全国の藩から人材が入学しています。福沢諭吉の「福翁自伝」に彼の適塾での日々が詳しく書かれていて飽きません。現在この施設は大阪大学医学部が管理していて確か入場無料です。畳一畳をわが城にして日夜、若者が刻苦勉励、若さを発散したこの史跡を是非一度お訪ねください。


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